明日へ!    連載第3回 




 試演を間近に控えたある日、伊豆の別荘で甘い一夜を過した北島マヤの元に一通の招待状が届いた。
速水と鷹宮紫織の結婚披露宴の招待状だった。

――速水さん、嘘!
  速水さんは婚約を解消してなかったの? あたしを騙したの?
  何故……? 何故あたしを抱いたの?

テレビを見ていた青木麗は、稽古から戻ったマヤの様子にただならぬ気配を感じた。

「マヤ?」

卓袱台の前に真っ青な顔をして立ち尽くすマヤ。そして、ゆっくりと倒れた。

「マヤ!」

青木麗は、マヤを抱きかかえるように受け止めた。

「マヤ! マヤ!」

大声で名前を呼びながらマヤを畳の上に横たえる。急いで押し入れからタオルを取り出すと、台所で水に浸しマヤの額に乗せた。

「マヤ、マヤ、大丈夫かい?」

ふっと、目を開くマヤ。

「麗、あたし……、ごめん、疲れてたみたい……」

「もう、心配するじゃないか……、稽古もいいけど、十分休養も取らないとね。今、布団を敷いてあげるから、今日はお休み」

「……うん」

マヤは眠れなかった。

――速水さん……、速水さん、紫織さんと結婚するの?

マヤは布団の中で、茫然自失となっていた。涙も出なかった。

――あの日、速水さんは優しかった。信じられないくらい……。まるで……、まるで、速水さんじゃないみたいだった。速水さん、最初から騙したの? 最初から一夜限りだったの?

  『マヤ、この先、何があっても俺を信じてついてきてくれるか?
  しばらくは会えないかもしれないが きっときみをいい形で伊豆に迎えたいと思う。
  待っていてくれ』

  伊豆に迎えてくれたって事は、紫織さんと婚約を解消したからじゃないの?
  ……でも、速水さんは、一度もこれからの事を話し合おうとしなかった。
  また、連絡するってそれだけだった。
  紅天女の事も、上演権の事も何も言わなかった……。紫織さんの事も……。

  『何があっても俺を信じてついてきてくれるか?』

  信じよう! 速水さんを信じよう!
  『紫のバラの人』を信じよう!

マヤは結局、明け方近くになってまどろんだが、恐ろしい夢を見ただけだった。


翌日、マヤは稽古場で黒沼から散々に注意を受けた。

「北島、おまえ、やる気あるのか! なんだ! その演技は! 昨日までの演技はどうした? 物置に行ってしばらく反省しとけ!」

とぼとぼと物置に向うマヤの後ろ姿を見ながら桜小路は、マヤに何があったのだろうと思った。思ったが以前のように素直にマヤに駆け寄り慰める事は出来なかった。


北島マヤは物置に入ると、小道具の袋に腰掛け、ほーっとため息をついた。
物置の隅には舞台衣装が置いてある。先日、速水から貰った紅梅の打掛けは他の衣装とは別に衣桁に掛けられていた。マヤは打掛けの前に立ち、速水を思った。

――『社長は結果を考えずに行動する人ではなくてよ』
  水城さん……。
  じゃあ、今度の事も?
  あたしがどんなに苦しむかわかっていて……?
  苦しむ?
  苦しむ……?
  阿古夜も苦しかっただろう?
  一真と引き離されて……。
  心配で眠れない、食べられない、あの人の事しか考えられない。
  絶望、慟哭、茫然自失?
  ううん、魂が、あたしの魂が死んでしまったみたい。
  ……
  速水さんは……。
  これをあたしに教えたかったの?
  この苦しみを?
  速水さん、紫のバラの人!
  速水さんは『信じてくれ』って言ってた。
  何があっても信じてくれって!
  きっと、そう、この苦しみを実際に体験させたかったんだ。
  きっと! きっと、そう。
  ……
  速水さんがあたしをもてあそぶ訳がないもの。
  ……速水さんは紫織さんと婚約を解消出来ないんだ。何か、理由があって……。
  紫織さん、速水さんの事、物凄く好きなんだもの。簡単に婚約を解消する筈がない。
  
その時、マヤの脳裏に港での紫織と速水の姿が思い浮かんだ。
紫織が倒れたら、すぐに引き返して紫織を抱き起こそうとした速水。

――紫織さん、病弱な人だって言ってた。
  紫織さんが病気になったのかもしれない。それで、速水さんは別れられないのかもしれない。
  どんな理由があってもいい。あたしは速水さんを信じよう。
  ……
  月影先生、先生はどんな時でも仮面を外さなかったのですか?
  一連先生を亡くされても?
  ……きっと、先生は外さなかったんだろう。どんな時でも……。
  ……稽古と言っても芝居は芝居。
  演ろう。阿古夜を演ろう。阿古夜の仮面をかぶろう。

日は既に傾きかかっていた。マヤは物置を出た。稽古場に行く。

「先生……、阿古夜と一真が引き離される所、あの場面を演らせて下さい」

黒沼はマヤを見た。マヤの表情にどこか思い詰めた所がある。

「よし、北島、演ってみろ」

マヤは今の苦しみをそのまま、演技にぶつけた。一真と引き離される苦しみ! 魂の死。
桜小路はマヤの演技に圧倒されたが、マヤの演技を受け止め、応えた。
引き離された一つの魂。二人が作る慟哭の舞台。

黒沼を満足そうに言った。

「そうだ、それだ、それが見たかったんだ」





続く      web拍手 by FC2     感想・メッセージを管理人に送る


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