炎   連載第3回 




 真澄もマヤも、あの貴重な夜を過ごした後も、互いの生活が変わる事はなかった。
ただ、思い出が、切なく甘く悲しい思い出が増えただけだった。
マヤは、阿古夜の演技に深みがまし、黒沼を満足させた。
真澄は、仕事に没頭、紫織との結婚へ邁進していった。
ただ、紫織に、新婚旅行は申し訳ないが仕事の都合で1週間に切り替えてほしいと言った。
紫織は、素直に真澄に従った。
紫織は、鷹宮のお嬢様らしく、従順で優しく男を立てる大和撫子だった。
ただただ、真澄の幸福を願い真澄の後ろから半歩遅れて歩く人だった。
真澄が「紅天女」になみなみならぬ執着を持っている事を知っていたが、速水英介の執着ぶりも聞かされていたので、そのせいだろうと思っていた。
紫織は真澄の気持ちを疑う事もなかった。
試演の日が来るまでは。

試演の日、マヤの演じる「紅天女」は素晴らしかった。
紫織は、真澄がマヤを見る瞳の奥にマヤへの抑えがたい激情を感じた。
そして、マヤが紫のバラの花束を抱きしめる様を真澄がじっと見ていた時、紫織は愛する者の直感でわかったのだ。
真澄がマヤの「紫のバラの人」であり、真澄の愛情の総てはマヤの物であると。
自分に向けられる真澄の愛情のような物は、庇護される者へ庇護する者があたえる親切であると。
愛に違いはないだろうが、決して、男女の愛ではないと。
男と女の魂の触れ合うような恋ではないと。
紫織は、真澄の想いを知って狼狽えたが、騒ぎ立てはしなかった。



今、真澄は「紅天女」の北島マヤに恋しているかもしれない。
だけど、真澄は私と結婚する。
長い結婚生活の間に真澄は家族としての妻に愛情を抱くようになるだろう。
妻としての私を愛するようになるだろう。
もともと体の弱い私に男女の恋など無理なのだ。
真澄の激情を受け止める事など私には出来ない。
だけど静かな愛情を真澄に与え続ける事は出来る。

(私は待つわ、妻として真澄様に愛されるまで、静かに待つわ。)

紫織のそんな決心を真澄は知る由もなかった。
紫織の気持ちを考えずに真澄は行動に移っていた。



半年前の3月末に行われた大都グループの取締役会で、真澄は大都グループの持ち株会社、大都ホールディングスの設立を取締役会に報告、承認を受けていた。
英介も承知している。
持ち株会社を設立する事で大都グループの権力は、大都ホールディングスに集中する。
大都ホールディングスの株式は英介が51%を取得。
実質上の権力は会長である英介が握るが、社長としての実務は真澄が担当する様になる。
だが、もし、真澄がなんらかの方法で株式の51%を取得すれば、真澄が大都グループの権力を一手に握れる。
それが、真澄の狙いだった。
10月、大都ホールディングス株式会社のCEOに真澄は就任、大都芸能の社長と兼務する運びとなった。
英介は、これで、真澄も鷹宮と釣り合いの取れる立場になったと喜んだ。
英介なりに歪んだ愛情のような物を真澄に持っていた。
あくまで自身の欲望を満足させる為ではあったが。



試演が終わり、マヤが「紅天女」を継承すると決まった。
その直後、月影千草によって驚くべき事実が発表された。

月影千草を罠にはめ上演権を取り上げていた真澄は、「紅天女上演委員会」を作り、自ら委員長に就任、上演権は主演女優が所有するが、上演は委員会が許可しない限り上演出来ない仕組みを作り上げていた。
義父英介が気がついた時は遅かった。
真澄は、まんまと「紅天女」を義父から取り上げた。
だが、むろん真澄は英介に正面切って、「紅天女」をあなたから取り上げたとは言わなかった。
表面上は大都芸能の為だと誤摩化した。
「紅天女」の新春公演が一時的に名前をシアター月光座と変えた大都劇場で行われると決まった後、真澄は、紫織と結婚した。
新婚旅行は、真澄の都合で1週間になっただけでなく行き先も沖縄になっていた。
紫織は残念そうに

「CEOに就任して間がないのですもの、仕方がありませんね。」

と言っただけだった。
新婚旅行先でも、水城と連絡を取り真澄は仕事をした。
さすがに、食事中は遠慮したが、その後は寝る間を惜しんで仕事をしていた。
また、紫織は生来の体の弱さが出てしまい、日差しがきついからとほとんどホテルの部屋に引きこもって過していた。
病気がちの妻とワーカホリックの夫。
だが、互いの領域に干渉しなかった二人は、表面上は仲のいい夫婦だった。
新婚旅行から帰ってきた二人は鷹宮の別棟で暮らし始めたが、真澄は鷹宮の家にほとんど戻らなかった。
それほど忙しかったのだ。
やむなく紫織は、速水邸に入った。
鷹宮翁は孫娘の姿が見えなくなったのを悲しんだが、孫娘の幸せを願い速水の家に入らせた。
紫織は何度か真澄に抱かれようとしたが、真澄の冷たい手に触れる度に

「ごめんなさい、あなた、私また、調子が悪くて、、、。」

そう言って真澄に抱かれようとはしなかった。
真澄がマヤを愛していると判っていた紫織にはどうしても真澄に肌を許す勇気が出なかった。
真澄が自分を抱きながらマヤの事を考えるのではないかと思うと、惨めさに足がすくんだ。

そして、2年の月日が流れた。





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