炎   連載第5回 




 マヤもまた、紫織と同じ記事を見ていた。

真澄と腕を組んでパーティ会場に入るモデルのララの美しい姿。

(速水さん、綺麗な女の人が好きなんだ。
 あの夜、私を抱いたあの部屋でララと寝たのかしら。
 そんなの嫌! いやあ!
 紫織さんと、紫織さんと幸せに暮らしていると思っていたのに、、、、。)

マヤは嗚咽をあげながら泣いていた。


2年前、真澄への慕情を胸に秘め、マヤは只一人の「紅天女」主演女優を継承した。
月影千草は試演が終わり後継者を決めると、灯火が消えるようにこの世を去った。
マヤは月影千草の死を乗り越えさらに上を目指した。
一流の女優になる。速水さんにとって唯一の女優になる。
その夢を叶える為、大都芸能に所属した。
そして女優としての地歩を固めて行った。


「紅天女」
映画「古都」出演(初の二役)
「ロミオとジュリエット」
「椿姫」
「ハムレット」
映画「霧の旗」
「アンナ・カレーニナ」
「炎 - - - 源氏物語より六条御息所」


そして、今年、「紅天女」新春公演が待っている1月。
真澄が離婚したと聞いたマヤだった。

(どうして、どうして、どうして、離婚なんてするの、速水さん。
 あんなに幸せそうだったのに。
 何故、いろんな女の人と恋をするの。
 こんなの速水さんじゃない!)

速水に一度抱かれたら忘れられると思った。
だが、違った。
恋しくて恋しくて身が焼けるようだった。
紫織と速水が結婚した時、嫉妬のあまり気が狂いそうだった。
だが、生きていかなければならない。
死ぬ訳にはいかない。
一流の女優となって速水の一番の女優となるまでは。
せつなさも恋しい気持ちもすべて芝居に昇華した。
芝居に没頭して速水を忘れた。
いや、総て忘れたいと思った。
だが、速水が結婚した後も、紫のバラは届けられ続けた。
紫のバラを見る度に、速水の事が思い出された。
あの夜の速水を。
私の体を愛した人。体と一緒に心を抱いたとも知らずに。 マヤは泣きながら思った。

(女優として、速水さんの一番の女優になってみせる。
 速水さん、世界で只一人の私の大切なファン。)

人としての普通の幸せなど、家出した時に捨てた。
女優としての幸福は貪欲に求めた。
役との一体感。
その幸福。
舞台の上では何万もの人生が演じられる。
私自身は、なんの取り柄も無い女の子だけど。
姫神にもお姫様にもなれる。

幸せな恋も演じられる。

だけど、苦しい恋が一番のはまり役になるなんて、、、、。
「椿姫」の悲恋。
「アンナ・カレーニナ」の悲恋。
「ハムレット」の悲恋。
「ロミオとジュリエット」の悲恋。

そして、何より当たり役となった「源氏物語」、六条御息所の役。
若いあたしには無理だと言われた。恋人より年上の未亡人の役。
恋人の前では乱れる事のない落ち着いた女。
あたしは、役作りの参考に東京国立博物館に上村松園の「焔」を見に行った。

上村松園「焔」


これこそ、あたしのやりたい役だと思った。
あたしの嫉妬をこの役に昇華させてしまおうと思い、役に打ち込んだ。
生霊となって源氏の妻、葵の上を祟り殺す御息所。
夢の中で女の髪を鷲掴み、手にぎりぎりと巻き付ける御息所。
そして、女を引きずり、打ち倒しあげくに殺してしまう御息所。
あたしは相手を紫織さんだと思って演じた。
葵の上役の女優が、舞台の後もあたしを怖がった。

「あまり思い詰められませんように。」

光源氏にそう言われ驚き狼狽える御息所。
嫉妬のあまり生霊となって葵の上に祟る女の浅ましさを恋する男に知られてしまった悲しみ。
気位の高い女の哀れ。

評論家から、葵の上を祟るシーンは鬼気迫ると絶賛された。
そして、それ以上に御息所の哀れさは絶品であったと評価された。
あたしは満足だった。


いつのまにか、苦しい恋を演じさせたら右に出る物がないと言われるようになった。
あたしはその評価を無言の微笑みで受け止めた。
そうする以外、何が出来ただろうか?
愛するのは真澄一人。
その人は雲の上の人。
決して二度と触れ合えない人。

でも、痛みになれる日が来るなんて思わなかった。
痛みを心の奥にしまいこみ、ニコニコ笑えるなんて知らなかった。
普通に食事が出来るなんて、、、。

それでも、人は生きて行くのか!

慟哭を胸に、人は生きるのか。

そんな時、里美さんが現れた。
昔と変わらない笑顔で。
あたしはまるで磁石に引き寄せられる鉄くずのように里美さんに魅かれた。
昔と変わらず優しくおおらかにあたしを包んでくれる里美さん。
忘れよう、速水さんの事は忘れよう。
あたしだって幸せになっていいよね。



------------------------------------------------



マヤはマネージャーに里美との交際を告げた。
マネージャーは問題が微妙だから社長に聞いて見ると言った。
社長が直々に話し合いたいとマネージャーがマヤに伝えてきた。
そして、速水社長と里美との交際の件で会見するのが今日だった。

大都芸能に行くと、水城秘書が社長室に案内してくれた。





続く      web拍手     感想・メッセージを管理人に送る


Back  Index   Next


inserted by FC2 system