炎   連載第6回 




「社長、マヤちゃんが来ましたよ。」

そう言って水城はマヤを社長室に入れた。
社長室は冬の日の穏やかな日差しに満ちていた。
逆光で真澄の顔がよく見えない。

「久しぶりだな、ちびちゃん。」

「お久しぶりです、速水社長。」

マヤはぺこりとお辞儀をした。
それから、勧められるままにソファに腰をおろした。

「今日は、里美茂との交際の件か?」

「そうです、、、。」

その時、水城がコーヒーを持って入って来た。

「マヤちゃん、社長に言いたい事があったらはっきり言うのよ。
 ちゃんと言わないと伝わらないんだから。」

水城はマヤの耳元でそう囁いた。

「はい、水城さん、、、。」

マヤは、にっこりと嬉しそうに笑って水城を見た。
速水は立ち上がりたばこに火をつけるとデスクに浅く腰をかけた。
やがて、水城が出て行くのを待って速水が、問題の核心に触れて来た。

「で、どうなんだ。真剣につきあっているのか?」

「、、、はい、、、。」

「はいだけじゃわからんな。
 将来の事を具体的に考えているとか。」

「いえ、そこまでは、、、。」

「、、、、愛しているのか?」

「えっ! あ、愛って、あの、え〜っとよくわかりません。
 ただ、、、。」

「ただ?」

「里美さんと一緒にいると気持ちが安らぐっていうか、穏やかになれるっていうか、、、。
 ほっと出来るんです。それが、愛だというなら、愛しているのかもしれません。」

「、、、舞台の上では多くの愛を演じている君が自分の気持ちはわからないというわけか?
 まあ、里美は、これから、愛を育んで行くつもりかもしれんな。
 君たちはもう大人だ。昔とは違う。
 だが、君にも、里美にも敵がいる。
 そいつらが、足を引っ張るかもしれん。
 つけ込まれないように気をつけるんだぞ。
 俺が言いたいのはそれだけだ。」

「はい、速水社長。
 気をつけます、、、。」

マヤは速水に離婚の話を聞きたかった。
あんなに幸せそうにしていた速水と紫織が離婚するなんて信じられなかった。
何故、別れたのか、聞きたかった。

「あの、、、、離婚されたって聞いたんですけど。」

「ああ。」

「どうしてです? あんなに幸せそうだったのに。」

「大都ホールディングスのCEOに就任して忙しかったからな。
 モデルのララとの報道で切れたらしい。
 紫織さんから別れてくれと言われてな。」

「じゃあ、じゃあ、今でも紫織さんを愛していらっしゃるんですね。」

「俺が? 紫織さんを?」

速水は笑い出していた。
マヤは瞬間悟った。速水は紫織を愛してない。

(そんな、そんな、そんなのってない。あの苦しみはなんだったの!)

「あたしに愛情がどうのこうのって言う速水さんが、あ、愛のない結婚をしていたって言うんですか?
 そんなのって、そんなのってすごく変です。」

「わかってないな。真実、紫織さんを愛していたら、君を抱いたと思うか?」

「えっ!」

「紫織さんを嫌いではなかった。だが、愛してもいなければ、幸せにしようと思った事もない。
 速水の家の為に結婚をした。会社の為、仕事の為に紫織さんを利用した。俺はひどい男さ。」

「じゃあ、じゃあ、好きな女の人はいなかったんですか?」

「ああ、俺はだれも愛さない、誰からも愛されようとは思わんさ。」

「ララさんとは、、、」

「うん? ただの話題作りさ。
 女性とつきあうのは結構楽しいな。
 知らなかったよ。」
 
「速水さん、商品には手を出さないって言ってたのに、随分、変わったんですね!
 朴念仁の速水さんはどこに行ったんでしょう!
 冷血漢な所だけは、昔のままみたいですけど!
 一体、どうして、そんなに変わってしまったんです?」

「さあ、何故かな、目標を達成したからかもしれんな。」

「目標?」

「どうした? 今日は随分質問が多いじゃないか?
 それより、君の六条御息所、凄まじかったな。
 ぞっとしたよ。
 俺には祟らないでくれよ。」

そう言いながら、速水はくっくっくっくと笑い出していた。

「大丈夫です。
 速水さんに祟って会社が潰れたら困るのは私ですから、、、。」

「ほう、では、君は大都の為に働いているというわけか。
 あんなに、大都で働くのを嫌がっていた君が。
 君だって随分変わったじゃないか。」

「あたしは、その、え〜っと、別に、大都の為になんて、、、。」

「まあ、おかげで、儲けさせて貰っているがな。」

「いいえ、あたしなんて、、、、。
 それより、モデルのララさんの方が稼いでいるんじゃありませんか?」

「随分、ララにこだわるんだな?
 、、、妬いているのか?」

マヤは、図星をさされてどぎまぎした。

「じょ、じょーだん!
 ただ、朴念仁の速水さんが、きれいな女の人と何を話すのかなあって思って。」

「何も。
 女の話に俺が興味を持つと思うか。
 酒を飲んでダンスをして、相手がその気になったら、大人の付き合いをするのさ。
 ま、里美と幸せになってくれ。
 、、、3人目というわけか?」

「3人目?」

「君の一真役さ。里美が演るんだろう?
 次の『紅天女』。
 桜小路と俺、そして里美。
 3人目だと言ったんだ。」

「速水さんは、一真役じゃありません。」

「何故?
 あの夜の事は夢だったというわけか?
 俺は君の初めての男なのに。
 忘れられるとはな。」

マヤは速水の視線を受けてどぎまぎした。
手に持ったハンカチに視線を落し握りしめる。
それでも、顔が赤くなるのを止められなかった。
一瞬、あの夜の速水の瞳がまざまざと浮かび上がった。

(あの夜、あたしは阿古夜の仮面をかぶっていなかった。
 あたし自身だった。)

「あ、あれは、阿古夜の気持ちを掴みたかっただけで、、、、。
 確かにあなたに抱かれたけど、、、。」

「心は抱かれてないとそう言うわけか、、、まあ、いい。
 里美君と幸せになりたまえ。」

速水の投げやりな言葉に思わずマヤは速水の顔を見た。
窓をバックにデスクに浅く腰掛けたばこを吸う速水。
逆光で顔がよく見えない。
だが、速水の足下から青く冷たい炎が彼の全身を包んでいる、そんな印象を受けた。
その炎がなんなのか、マヤにはわからなかった。

「、、、俺は君の『紅天女』を何度も見たが、それでも、あの夜の阿古夜ほど艶やかな阿古夜はいなかったな。
 あの夜の阿古夜は素晴らしかった。
 まるで、本気で君が俺を愛しているのかと錯覚したよ。
 俺は今度の『紅天女』を楽しみにしているんだ。
 里美相手なら、あの時の阿古夜がまた見られるんじゃないかとな。」

「速水さんは、今までの阿古夜では不完全だったと言いたいんですか?」

「いや、そうは言ってない。
 あの夜の阿古夜がより素晴らしかったと言ったんだ。」

「速水さん、今のお言葉、挑戦と受け止めさせていただきます。
 以前よりもっと、素晴らしい阿古夜を演じて見せます。
 見ていて下さい。」

「くっくっくっく、その負けん気だけは、変わらんな。
 いいとも、ちびちゃん、挑戦しよう。
 あの夜のような素晴らしい阿古夜を見せてくれたら、、、」

「見せて上げたら?」

「、、、そうだな。
 俺の出来る範囲で君の望みを叶えてあげよう。」

「そんなのずるい。
 出来ないって言われたらそれまでじゃないですか?
 じゃあ、じゃあ、あたしが勝ったら今度の大都芸能主催のパーティにあたしを連れて行って下さい。
 あたしをパートナーとして連れて行って下さい。」

「いいとも。、、、だが、君は確か、パーティが嫌いじゃなかったか?」

「ええ、嫌いですけど、、、あのパーティに速水社長のエスコートで出席するって事は、大都で一番の女優はあたしって事になるでしょう。
 あたしだって、少しは欲があるんです。」

「なるほど、今でも、十分看板女優だが、それを広く知らしめたいと言うわけか!
 よし、いいだろう、君が勝ったらエスコートしよう。
 そうだな、初日の舞台の評論が以前より素晴らしいと出ていたら君の勝ちにしよう。
 あの夜の阿古夜は俺しか見てないからな。あの夜のように素晴らしいかどうかは俺しかわからん。
 それでは勝負にならんしな。
 もし、君が負けたら、、、、、。
 もう一度、あのスィートルームで、阿古夜を演じて見せてくれ。」

「つまり、もう一度抱かれろと、、、。」

「いや、抱かれなくてもいい。
 里美を裏切りたくないだろうからな。
 ただ、もう一度、あの夜の阿古夜を見たいだけだ。」

「速水さん、汚い手を使って、評論家に嘘を書かせたりしませんよね。」

「くっくっくっく、相変わらず疑り深いんだな。
 もちろん、公明正大に勝負しよう。」

話し合いは終わったとマヤは感じた。
ソファーから立ち上がると、

「あの、、、、、今日は、話を聞いていただいてありがとうございました。必ず、あなたとの勝負に勝って見せます。失礼します。」

そう言ってぺこりとお辞儀をすると社長室を後にした。




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