炎 連載第7回
速水はマヤが行ってしまった社長室のドアをしばらくぼんやりと眺めていた。
(マヤ、愛しいマヤ、どれほど君を抱きしめたかっただろう。
だが、俺には君を愛する資格がない。)
速水は、深々とため息をつくと、次の仕事に取りかかった。
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『紅天女』新春公演初日。
マヤの楽屋に紫のバラが届けられた。
あなたの阿古夜を楽しみにしています。
あなたのファンより
(速水さん、紫のバラの人、世界で只一人の大切なファン!
見ていて下さい。)
マヤの阿古夜は絶賛を浴びた。
評論家はこぞって褒めたたえた。前回公演より深みが増し、美しくなったと。
記者達のインタビューにマヤはこう答えている。
「以前、月影先生が、『若い時にさんざん演った役だけど、演じる度に新しい発見がある。』
とおっしゃっていらっしゃいました。
あたしも、そう思います。」
マヤもまた、月影と同じ道を進んでいた。芸を極める人生。
そして、マヤは、速水との賭けに勝った。
マヤは意気揚々と速水に連絡を入れた。だが、不在だったので、かわりに水城に事の次第を説明した。
1週間後の大都主催の新年パーティに速水社長にエスコートされて行く事になったと。
水城は、既に社長から指示を受けていると言い、当日、3時間程前にマヤを迎えに行くと言った。
「そんなに早く?」
「ええ、そうよ。速水社長から、マヤちゃんを磨き上げてくれって言われてるから。」
そういうと、水城は電話を切った。
当日、水城はマヤを美容院に連れて行った。
その美容院は、1階にロビーと受付があり、一般客はそのまま1階へ、特別な客は2階の個室へと振り分けられる。
ロビーには大きな吹き抜けがあり、二階へ続く階段があった。
マヤは水城と共に2階の個室に案内された。
そこで、マヤは髪を高く結い上げられ、蝶の羽のように美しいドレスを着せられ、パーティ用のメイクを入念に施された。
「さあ、マヤちゃん、あなたは大女優北島マヤよ。これなら楽に演じられるでしょう。」
マヤは気恥ずかしそうに水城を見上げた。
「水城さん、こんなにきれいにしてくれてありがとう。」
「さあ、行ってらっしゃい。社長が下で待っているわ。」
ハイヒールを履いて、パーティバックを持つとマヤは美容室を出た。
見下ろすと1階のロビーに速水がいるのが見えた。
階段を降りる。途中まで降りた所で速水がマヤに気がついた。
速水の表情が驚きに変わる。
マヤはそんな速水に、はにかみながらゆっくりと階段を降りて行った。
速水は、腕を差し出しながら、
「これはこれは、どこの美人女優かと思ったよ。」
と相変わらずの皮肉な口調でマヤをからかった。
だが、その口調の端々に暖かい優しさが溢れているのがマヤにはわかった。
(ああ、やっぱり、紫のバラの人だ。)
そう思いながら、マヤは速水の差し出した腕に自身の腕を預けた。
速水はマヤの手を取ると腕に絡ませた。
そして、車へと誘った。
大都所属の芸能人達、演出家、脚本家、衣装デザイナーや多くのスタッフ達が多数集まるこのパーティに速水社長のエスコートで乗り込む。
それは、大都トップの女優であると、女王は私だと宣言するに等しい。
「速水さんの一番の女優になる。」
マヤの夢がかなった瞬間だった。
パーティは、華やかに始まった。
速水は社長として壇上に立ち祝辞を述べた。
乾杯の音頭と共にグラスの触れ合う音がして宴会となった。
やがてダンス音楽が始まり、真ん中のフロアではダンスが始まった。
速水はマヤを誘うと、ワルツを踊った。
「ちびちゃん、ダンスが上達したじゃないか。」
「もう、速水さんったら、あたしはちびちゃんじゃありません。
もう、大人です。」
「大人ね、年齢差っていうのは、一生かわらないんだぞ、俺から見たら、いつまでたっても11歳年下の女の子さ。」
速水はくすくすと笑いながらダンスのステップを踏んだ。
マヤは、ターンをしながら、視線を感じていた。
「君のナイトが来ている。」
「え、里美さんが?」
「ああ、俺が呼んでおいた。」
「だって、今日は、ずっとエスコートして下さるんじゃあないんですか?」
「賭けの賞品は君をエスコートして会場に入るまでだろう。」
「そうでしたっけ?」
「くっくっくっく。相変わらずだな。とにかく、このダンスが終わったら里美君と一緒にいたまえ。」
「どうして?」
「俺は、この後、いろいろ挨拶まわりをしなきゃならん。
君は退屈だろうからな。」
曲が終わると速水はマヤを里美の元に連れて行った。
エスコートしながら速水はマヤの耳元で囁いた。
「里美とベッドインする時は、いちごのパンツはやめとけ。
興ざめだ。」
「!」
マヤは目を丸くして速水を見上げた。見る見る顔が赤くなる。
マヤはとっさに何かいい返そうとしたが、すでに里美の前だった。
「里美君、うちの看板女優だ。
宜しく頼むよ。」
「はい、速水社長。
この度は、マヤちゃんとの交際を認めていただいてありがとうございます。」
里美は礼を言った。
速水は、里美にマヤを預けるとパーティの人混みの中へ去って行った。
曲が始まったので二人は軽やかに踊り始めた。
「マヤちゃん。今日、すごくきれいだ。
これは、速水社長に感謝だな。
こんなきれいなマヤちゃんが見られるなんて。」
「里美さん。今日、来るなんて言ってなかったのに。
いつ、来る事になったの。」
「今朝。
君が今日、パーティに参加するって聞いてたけど、大都のパーティだろ。
僕は招待されてないし、部屋の掃除でもしようかと思ってたんだ。
そしたら、今朝、水城さんから電話があって、暇だったら来ないかって。」
「水城さん、何にも言ってなかったのに。」
「君を驚かせたかったんだよ。
それより、お腹がすかない?
この曲が終わったら、何か、食べよう。」
「うん。」
二人は、並んでいるご馳走を見繕い食べた。
軽く酒を飲み踊った。
マヤは里美とパーティを楽しんだ。
その夜、マヤは髪をほどきながら、鏡をぼんやりと見ていた。
里美の顔が浮かぶ。
里美といると気持ちが楽だとマヤは思った。
「気どらず、地のままで」とそう言ってくれた里美さん。優しい。
だが、速水の言った言葉が頭に響いた。
(『里美を愛しているのか?』)
マヤは、1点の曇りも無く里美を愛しているとは言えなかった。
優しくマヤだけを愛してくれる恋人。
きっと、里美さんと歩む人生は、穏やかで楽な人生だろう。
(『俺はだれも愛さない、誰からも愛されようとは思わんさ。』)
速水の言葉がまた、響いた。
(速水さん、紫のバラの人! あたしが、あたしが愛しているのに!)
ここまで考えてはっとした。
そう、あたしはまだ、速水さんを愛している。
深夜、速水は行きつけのクラブで女を物色していた。
(今日はこの子にしよう。後ろ姿がマヤに似ている。
あの夜の夢が見られるかもしれない。)
そう思って口説いていると呼び出しがあった。
「速水様、お電話です。」
こんな時に無粋だと思いながら電話に出ると、聖からだった。
「真澄様、その女は罠です。
○○プロからの刺客です。」
「そうか、では切り上げる。」
「真澄様、どうか、そういう遊びはおやめ下さい。」
速水は電話を切った。
(やはり、身元のはっきりしない女と遊ぶのは危険だな。
それに、○○プロが刺客を送って来ると言う事は、こっちの好みがばれたか!
仕方がない、聖の小言も聞きたくないし、しばらく慎むか。)
速水は、口説いていた女に
「○○プロの社長に宜しく伝えてくれ。」
と囁き、女の顔が青ざめるのを冷たい目で見下ろすと、クラブを後にした。
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「紅天女」新春公演、千秋楽。
ロビーで打ち上げが行われている最中、マヤの元に紫のバラが届けられた。
あなたの阿古夜にいつも恋をしてしまいます。
里美茂さんとの報道、拝見しました。
お幸せに。
もう、紫のバラは必要ないでしょう。
あなたのファンより
マヤは紫のバラの花束を胸に走っていた。
楽屋口に聖唐人の姿はない。
マヤは思わず、守衛を問いただしていた。
「ねえ、おじさん! この花、誰が持って来たの?」
「いつもの花屋だったよ。
ただ、今日は珍しく急いでおってな。
受け取りにわしのサインでいいと言うんじゃ。
後で渡してくれと言ってな、1時間くらい前じゃったよ。」
マヤは、大急ぎで支度をすると花束を抱えて大都芸能に向かった。
劇場を出る時、里美が呼んだような気がした。
続く
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