星空に抱く 連載第10回
マヤの部屋から戻ると、神谷が起きて待っていた。時差で眠れないという。俺達はもう一度、飲みながら話をした。
「で、指輪は出て来たのか?」
「ああ、エプロンのポケットに入っていた」
「そうか……、お前の彼女、面白そうだな、随分時間がかかったが、指輪を探していただけか?」
「ああ? 結婚まではしないって約束してるんだよ。何を言わせる」
神谷がけたけたと笑いころげた。
「いいじゃないか、初夜が楽しみになるぞ」
「おまえは! 親父みたいだな。親父からも同じ事を言われた」
「親父さんは元気か?」
「ああ、元気にしてる。月影千草が亡くなって、老けたがな。相変わらずだ」
「そうか、結婚式で久しぶりに会えるのを楽しみにしてるよ。マヤさんの両親はどんな人達なんだ?」
「いや、マヤは天涯孤独なんだ。両親とも死んで、親戚はいない。……マヤは子供の頃、母親から徹底的に自己否定されてな……。『ツラはよくないし、何の取り柄も無い子だ』と言われて育ったんだ。今でも、そのトラウマから逃れられないでいる。まあ、コンプレックスが演劇への情熱になったと言えなくもないが……。今も『あたしなんて速水さんに釣り合わない』って言われたよ」
「それで、なんて言って慰めたんだ」
「自分がどんなに綺麗になったか、教えてやった。釣り合わないのは俺の方なのにな」
「おまえまで、自己否定するのか? やめろよ、落ち込むな」
「俺は仕事の為になんだってやってきた。金の亡者みたいに仕事をしてきたんだ。今もそれは変わってない。実は……、彼女の母親は俺が殺したようなものなんだ」
「殺したっていうのは聞き捨てならないな。何があった?」
俺は神谷に事情をかいつまんで説明した。
「だったら、直接の死因は交通事故だろ。あまり、自分を責めるな。おまえは真面目なんだよ。昔から!」
「だが、マヤは母一人、子一人だったんだ。母親が死んだ時、演技が出来なくなってな。あの時は悲惨だった……」
「それでも、立派に立ち直ったんだろう。お前はずっとサポートして来た。十分じゃないか。さ、もう忘れろ! 悲惨な出来事を越えてお前達は愛し合うようになったんだ。どんな人生も陰と陽があるさ。俺から見たら、お前達は似た者同士だ。割れ鍋に閉じ蓋、十分釣り合ってるよ」
俺は神谷の明るさと軽薄さに救われる思いだった。俺達はそれから1時間程しゃべって休んだ。
翌朝、独身最後の日はいつもと同じように始まった。独身最後。なんとなく感慨深い。
6時半にはマヤが来て神谷と3人で朝食を食べた。
「速水さんの学生時代ってどんな感じだったんですか?」
「学生時代? ……マヤさん、こいつはね、若い頃はいつも、仏頂面をしてましてね。こんなにハンサムなんだから、にっこり笑えばそれだけで女は落ちる。あ、失礼。男同士の下世話な物言いをしてしまって……。ところが、こいつは笑わない男だったんですよ」
「神谷……」
俺は止めたかった。何故、笑わなかったか。それは思い出したくないし、マヤに説明したくもなかった。
「笑わない?」
「何故だか知りませんが、とにかく無愛想だったんです。こいつ、綺麗な顔をしてるでしょう。速水がキャンパスを歩いているとそこだけ、空気が違うんですよ。ダサいキャンパスが一瞬にしてヨーロッパの街並みになったようになって……。女の子達は、速水が来ると目がハートになるし、ラブレターは回ってくるし。今はメールでしょう。当時はそんなもの無かったですからね。手紙ですよ、手紙。手書きの。ところが、こいつは女に興味がない。というか、誰が寄って行ってもきつい冷たい目で一睨みするんですよ。みんな怖がって近づかなかったんですね。俺、そういうの鈍くて……、こいつに女が寄って来るのわかってたから、おこぼれに預かろうとこいつの周りをうろうろしている内に親友になったってわけ」
「……へえ、でも、今は結構、愛想がいいですよ。仕事上のお付き合いの人達とはにこやかに話してる」
「そりゃあ、変わりましたからね、こいつが無愛想でなくなったのは俺のおかげ!」
「神谷、何を言い出す!」
「俺、いつも駄洒落を飛ばしてたんですよ。そしたら、こいつも笑うようになって……。な、速水!」
「いいや、俺はおまえの駄洒落で、しょっちゅう脱力させられたよ」
マヤが笑い転げる。神谷の軽薄さがマヤは気に入ったようだ。持つべき者は悪友だな。
朝食が終わり、食器をキッチンに片付けると時間になったので俺は出社する事にした。
「神谷、今日のランチ、一緒にどうだ?」
「いいな、俺も合流するよ、場所は?」
俺は待ち合わせ場所を神谷に教えた。マヤがキッチンに立ったのを確認した俺は神谷にこっそり釘をさした。
「おい、マヤにいろいろ教えるなよ」
「大丈夫だ、安心しろ、昔の女の話はしないから」
神谷がひそひそと答える。
「頼んだぞ!」
「速水さん、何か言った?」
キッチンに立ったマヤが戻って来て怪訝そうにする。
「いや、なんでもない、今、待ち合わせの場所を神谷に教えてたんだ。君は、今日、エステだったな。じゃあ、後で」
俺は、適当に誤摩化すと玄関を出た。
出社すると俺は水城君にスケジュールを調整させて昼休みを2時間にさせた。午前中の仕事を終え、マヤ達とランチを食べに行った。ランチの後、神谷は都内のホテルに移って行った。俺のマンションを使ってもいいぞと言ったが、新婚さんは刺激が強いと言って笑いながら去って行った。神谷らしく気を使ってくれたようだ。神谷と別れた後、俺はマヤを宝石店に連れて行った。女優北島マヤが普段身につけるのに相応しい宝飾類を幾つか買った。素材はダイヤだ。これなら、マヤが無くしても4C(カラット、カラー、クラリティ、カット)がわかっているので、同じ物が作れる。
「さ、これなら、何度無くしてもいいぞ」
「もう、速水さんったら! あたしだって、そんなにしょっちゅう無くしたりしないんだから! 昨日は、昨日は、その……、『紅天女』の打掛けや小道具に見とれてて……、もう、速水さんの意地悪!」
マヤが頬を膨らませて俺をにらむ。俺は、マヤの頭をがしがしと撫でた。
「そういう君が俺は好きなんだが……」
マヤが真っ赤になった。
「速水さんったら、もうもう、照れるじゃないですか、そういう事言われると……」
俺はくっくっくと笑った。なんて、マヤは可愛いんだろう。
夕方、俺は実家に戻った。親父と独身最後の食事をする。男親と二人で過す結婚前夜。これが娘なら感慨深いんだろうが、俺と義父は特に話す事もなく食事を終えた。
その夜、俺はベッドに潜り込むとマヤに携帯で電話を入れた。まるで、同棲する前に戻ったようだ。なんだか新鮮だった。
「マヤか? 速水だ」
俺はナイトスタンドの灯りを切った。暗闇の中、マヤの声が耳元で響く。
「速水さん、あのね、あたし、また落ち込んじゃって……、それでね、あたし……今、あたしの裸を見てた!」
俺はどきっとした。思わずベッドの上に起き上がる。昨日の光景が暗闇の中に浮かんだ。首から肩にかけての美しいライン。揺れる乳房。優しくたわむ背中。形のいいヒップ。筋肉質の太腿。
「えへへへ、それでね、速水さんが褒めてくれた言葉を一つ一つ思い出してた。でね、今日買って貰ったダイヤ。あれだけ身につけたらどうなるかなって試してみてたの」
俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
今日買った宝飾品。ネックレス、イヤリング、ブレスレット、リング。それだけって!!!
「でね、もしもし? 速水さん、聞いてる?」
「……ああ、聞いてる」
「それでね、えへへへ、すっごく素敵なの、まるで、綺麗な真水の雫が胸にとまったみたいになって! 手をふるとね、ブレスレットのダイヤが虹色に光るの。すっごくきれい」
「で、マヤ、それだけって、下着は履いているのか?」
「やっだー、もちろん、履いてるよー。さっき脱いでみたんだけど、やっぱり履いてた方がきれいだった。あ、イチゴの柄じゃなくって、白の総レース!」
君は、君は、会えないのを知ってて俺を煽っているのか!
マヤ、君はやっぱり小悪魔だ!
「マヤ、明日は結婚式だ。そんな格好をして風邪を引いたらどうする! 早く寝なさい」
「うふふふ、速水さん、そそられた?」
マヤがきゃっきゃっと笑いながら電話を切った。
くっそー! マヤの奴! 明日は思いっきり愛してやる!
続く
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