星空に抱く 連載第3回
「あの夜はステキどした。真澄はん」
「君、やめなさい」
俺はその女を振り払おうとした。
「速水さん! その人、誰?」
「マ、マヤ!!」
何故、こんな間の悪いタイミングでマヤが帰ってくる?
「こちらはんは?」
「豆ちほ紹介しよう、俺の婚約者、北島マヤ、大女優だ」
「速水さん!」
マヤが大女優の言葉に顔を赤らめる。
「まあ、かわいらしいどすなあ、そやけど、大都芸能の社長はんの奥さんにはどないですやろなあ」
豆ちほがあからさまな敵意をマヤに向ける。
「あの、あなたは?」
「マヤ、彼女はその、祇園の舞妓で豆ちほ。仕事で関西にいた時、世話になったんだ」
「世話って……」
世話の言葉にマヤの頬から赤みが消える。ゆっくりと血の気が引いていく。俺は、しまったと思いながら急いで言った。
「浮気はしてない、信じてくれ、ただ、その……」
「わてがお世話したんどす、真澄はんが酔いつぶれはった時……」
豆ちほはいいながら、俺に向って流し目を送って来た。
「上着を脱がして……水飲ませましたんどす。く・ち・う・つ・しで……!」
「酔いつぶれていて覚えてないんだ。マヤ、本当だ、俺は浮気なんかしてない!」
マヤは俺を見上げると、ニパッと笑った。
「速水さん、あたしが速水さんを疑うと思う?」
「いや!」
俺はほっとしたが、瞬間、背筋を寒いものが走った。
「豆ちほさん、良ければ、あがって下さい。その着物ステキ!」
「ま、さすが北島マヤやわ、度胸座ってるやおへんか! ほな、上がらせてもらいます」
俺は何度も危険な場をくぐり抜けて来た。子供の頃から!
しかし、こういう修羅場は……。
それもそうだ、何と言っても恋人と呼べる女が出来たのはマヤが初めてなのだからな。今まで付き合った女達はいたが、恋人ではない。俺達は部屋に帰った。
豆ちほをリビングに通す。ソファに座った豆ちほは生きた日本人形のようである。花簪が揺れる。
マヤがお茶を出した。
「豆ちほさん、京都からその格好でいらしたんですか?」
「へえ、新幹線もこの格好で来ましたんや」
「お一人で?」
「そうどす、真澄はんにお会いしとうて、わて夢中で来ましたんえ、真澄はん、わて、真澄はんが東京にもどらはって、もの凄お寂しおしたんえ」
「豆ちほ、気持ちは嬉しいが俺には婚約者がいる。まもなく結婚する」
「だからなんなんどす。うちを愛人にしとくれやす。真澄はんほどの男はんやったら、愛人の一人や二人いてもかましまへんやろ、なあ、愛人にしとくれやす、奥さんかてよろしおすやろ。京都に来たときだけでいいんどす、なあ、真澄はん」
俺は豆ちほの様子に不信をいだいた。祇園の舞妓は粋な女達だ。こんなあからさまな求愛はしない。
「豆ちほ、確か、西京デパートで京都展やってたな。その為に来たんだろう、君たち舞妓や芸者の戯れ言を本気にすると思うか」
「速水さん、そんな風に言ったら、豆ちほさん、かわいそうよ」
「君は俺が愛人を持った方がいいのか?」
「ち、ちがう。そうじゃなくて、豆ちほさん、何か速水さんに御用があるんじゃないかと……、もしかして、お金に困ってるんじゃあ……」
「お、マヤ、いい勘するようになったな。俺もそう思う。ここに来たのは営業だろう」
豆ちほが、手を口にあてほほほと笑うと、瞳を煌めかせた。
「さっすが!、すぐ見破られると……、思うとりましたけどな」
豆ちほの話によるとこの頃、祇園ではいわゆる旦那になってくれる大店の客が減ったのだという。それで新規顧客の開拓にきたのだということだった。そこで、俺は親父を紹介する事にした。俺の初夜がどうのこうのと言ってきた御礼だ。親父は独身だし、構うまい。豆ちほに親父を紹介すると言うと嬉しそうに帰って行った。
豆ちほを送り出しリビングに戻るとソファに座っていたマヤがぽつりと言った。
「速水さん、口移しって本当ですか」
「は? 何がだ?」
「さっき、豆ちほさんが言ってたじゃないですか! あたし、豆ちほさんの前だから我慢してたんです。口移しって本当ですか? 浮気はしてなくても、あの女(ひと)に唇を許したんですか? ひどい!!!」
マヤが飛びかかって来た。どさっ。俺はソファに押し倒された。
「待て、マヤ、俺は覚えてないんだ、本当だ。それに彼女にあったのは半年以上も前だ、もう時効だ」
「速水さんは、速水さんは、お酒に強いじゃないですか、それなのに、どうして酔いつぶれたんです?」
マヤが馬乗りになった。俺の胸に手を付き涙をぽたぽたと落として来る。俺は思い出そうとしていた。あれは、秋。紫織さんが結婚する話を聞いたんだ、もしかしたら、東京に帰られるかもしれない、そう思って嬉しくてつい、飲み過ぎた。それから……。
「うーん、よく覚えていない」
「速水さんのばかあ、酔いつぶれたりするから唇を奪われたりするんですよ。速水さんはモテるんだから、気をつけないと! もうもう、キスされたりしたら駄目ですよ」
マヤは俺の胸に顔を埋めて泣き出した。泣きながら、つぶやく。
「ぜったいに、、、、う、ううう、だめ、、、、なんだ、、、からあ、、、」
俺はマヤの背中を、髪をなでた。
「ああ、気をつける。俺の体も心も、総て君のものだ。俺の総て、全部丸ごと君の物だ……」
俺達はその夜、久しぶりに愛し合った。マヤは飢えたように俺を求めて来た。俺は惜しみなくマヤを愛した。マヤの心が十分満たされるまで。
続く
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