星空に抱く    連載第4回 




 マヤが眠りにつくと俺はそっと、ベッドを抜け出した。
リビングで煙草を吸う。カーテンをあけると月が出ていた。

そう、あの夜も月が冴え冴えとしていた。
俺は、祇園の夜を思い出した。

あの日は、昼間、仕事中に連絡係を頼んでいた男から連絡が入ったんだ。

「鷹宮紫織様からご連絡がありまして、翁の怒りが解けたそうです。紫織様は近日中にご結婚との事です。紫織様ご本人から大都芸能、水城さんに連絡がございました」

俺は、最初、実感がわかなかった。ぼんやりとこれで東京に帰れると思った。だが、伝言の主が引っ掛かったんだ。嬉しさと同時に忘れていた東京での出来事をまざまざと思い出した。

鷹宮紫織。俺の元婚約者。俺がマヤの「紫のバラの人」だとわかった途端に、マヤに対して嫌がらせを始めた女。聡明で優しく美しい女だと思っていたのに……。マヤに泥棒の汚名を着せた女。果たして、鷹宮翁の怒りがとけたという言葉を信じていいのだろうか? 紫織さんが結婚するので翁の怒りが解けたというのはありそうではあるが……。

その夜、俺は取引先の接待に駆り出された。接待というより相手に言わせると礼だという。
相手は、プレハブメーカーの事業部長だった。どうやったら先行する同業者に追いつけるか、そういう相談を受けていた。俺は、代理店にとって旨味のある商品にすればいいと提案していた。商品価格はそのままに、卸値を下げるのだ。代理店にとって利益が増し販売意欲も上がるだろう。俺の提案を聞いた事業部長は、最初、渋っていた。卸値を下げたら自分の首を絞めないかと思ったらしい。が、幾つかの合理化を同時に実施。卸値を下げた。結局、販売代理店の数が増え、売上及び販売棟数が伸び会社全体として躍進した。事業部長は社内での派閥争いを有利に展開。次期統合本部長候補となった。
その礼だという。
この事業部長、小男で頭が禿げ上がり、いかにも精力のありそうな男だ。
宴会のメンバーはこの事業部長と課長クラスの取り巻き数人、うちの社からは社長と俺と俺の部下。総勢8人だった。祇園近くの座敷で1次会をやった後、事業部長なじみの芸者がいる置屋に向った。以前から何度も利用している店である。
置屋では、芸者に舞妓、囃子方、太鼓持ちが現れどんちゃん騒ぎとなった。その中に豆ちほがいた。座敷で何度か顔を合わせているが親しいわけではない。祇園の舞妓や芸妓は客あしらいがうまい。相手によっては接待させると商談がうまく。時々使っていた。

「藤村君、今回の業績の殊勲賞は君だ、いつか、お返しをさせて貰うよ、さ、もう一杯、おい、豆ちほ、ついでやれ」

事業部長が盛んに進める。俺はこの事業部長が気に入っていた。人のいい土建屋である。足元を何度もすくわれそうになりながら生来の陽気さを失わない。この男の強さは陽気さにあるのだろう。俺は勧められるままに酒を飲んだ。東京に帰られるかもしれないという喜びが俺に杯を重ねさせていた。そのうちに、座敷遊びが始まった。じゃんけんを基本にした遊びで、いろいろとバリエーションがあるが、負けると罰ゲームだ。何度目かのじゃんけんで負けた俺は、さんざん酒を飲まされ、とうとう酔いつぶれていた。

夜半、目が覚めると窓越しに月が見えた。マヤの面影が浮かんだ。

「……マヤ……」

「気ぃつきはりました?」

豆ちほの声にぎょっとした。俺は慌てて起き上がった。一人だと思っていたのだ。月明かりに豆ちほの白い顔が浮かび上がる。額にあったタオルが転げ落ちた。

「はい、お水」

俺は出されたコップの水をごくごくと飲んだ。聞けば他のメンバーは皆帰ったという。俺は、社長に申し訳なかった。本来、お客をタクシーに乗せるまで見届けなければならないのに……。客より先に酔いつぶれてどうする。明日、電話でフォローしなければと思った。豆ちほがそんな俺を慰めてくれた。

「部長はんや社長はんから、好きなだけ寝かせておくよう言われてますよってに気にせんと、寝てておくれやす」

「いや、そういうわけには……、それに、君も次の座敷があっただろう」

「わての事、気にしてくれはるんどすか? 優しいお人やな……。うち、今夜は部長さんから藤村はんについとくよう言われてますんよ。そやから、気にせんと好きなだけ寝てておくれやす。……なんなら、男と女の間になっても宜しおすえ」

豆ちほが笑いを含んだ流し目を寄越した。

「ふっ、水揚げ前の舞妓が何を言う。そんな事になったら、困るのは君だろう。いい旦那がつかないぞ」

「ま、今時、水揚げなんて……」

豆ちほがころころ笑う。水揚げの制度は、とうの昔になくなったのだという。俺は豆ちほの冗談に付き合う気は無かったので、タクシーを呼んでもらって帰った。その後、酒の席でも会わなかったし、それっきりになった。

眠っている間に、唇を奪われたというのはあながち、ウソではないかもしれない。しかし、俺は何も知らないのだ。むしろ、俺は被害者だろう。いや、マヤが激しく俺を求めてくれた。結果として、得をしたかな……?



朝の社長室、水城君の咳払いが聞こえる。

「……社長、マヤちゃんと仲がいいのは喜ばしい事ですが、仕事中は、仕事に集中して下さい。……もう一度、説明しますが、プレハブメーカーがスポンサーのこのCMですが、スポンサーは小高剛を起用してほしいと言っています。いかが致しましょう? マネージャーも本人も乗り気ですが……」

俺は企画書をざっと読んだ。

「……そうか、お返しか……」

「は?」

「ふむ、いいだろう。このスポンサーサイドの担当者、俺の知り合いだ。今回のCM、いいCMになるだろう」

スポンサーサイドの担当者はあの事業部長の下で働いている男だ。眼鏡をかけた長身の、穏やかな笑顔が聖に似ている。あの祇園の夜にも同席していた。じゃんけんには滅法強かったな。そんな事を思い出しながら、俺は決済印を押した。

「ご存知なのですか?」

「ああ、関西にいた時、このメーカーのコンサルをやった。俺が大都芸能に復帰したのを知って、今回のCMの話を持って来てくれたんだろう」

「社長、ではそのメーカー、社長の助言で業績をのばしたんですか?」

「いや、まあ……、そんな……、ところかな?」

俺は照れくさかったので、言葉を濁した。水城は大きな音をたてて、書類をぽんぽんと揃えた。

「社長、その腕、ぜひ大都の為に使って下さい。いいですね!」

水城君に発破をかけられるまでもない。親父の敷いたレールを走るだけでなく、俺は自分の腕で事業を拡張するつもりだ。それより気になるのは、あの夜の関係者が二人も現れた事だ。これは偶然か?





続く      web拍手 by FC2     感想・メッセージを管理人に送る


Back    Index    Next


inserted by FC2 system