星空に抱く    連載第6回 




 その後、豆ちほと杉浦課長はうまくいっているようだ。俺は時々、杉浦課長と飲みに行くようになった。年齢が近いのもあるが、関西に行っていた間に知り合った為か、どこか気楽だ。結婚の準備もそこそこ進み、新婚旅行は沖縄の離島、披露宴は旧華族の館を改築して結婚式場になった建物を借りる事にした。落ち着いた風情の建物が気に入った。式は教会式にした。義父は神式にこだわったが、俺の結婚だからと言って教会式にした。日取りは7月。暑い時期だが、仕方ない。マヤの舞台「風と共に去りぬ」が終わり、「紅天女」の稽古が始まる前となるとどうしてもこの時期になってしまった。これで、取り敢えず、籍だけの結婚は免れそうだ。


 ある日、マンションに帰った俺は、マヤの部屋に降りて行った。そろそろ帰って来る時間なので、夜食でも一緒に食べようと思ったのだ。この頃は、互いの部屋を行ったり来たりしている。ここの所、マヤがずっと俺の部屋に来ていたので、今日は俺がマヤの部屋に行こうと思った。マヤを待つ間、手持ち無沙汰なのでテレビのスィッチを入れた。ろくな番組をやってない。ビデオでも見るか。俺はデッキを見た。何か入っている。何気なく再生した。

「……ああ、はあ、……ううん、はあ、ああああ……」

なんだ、これは! ポルノじゃないか! 何故こんな物が! マ、マヤが見ていたのか? これを? 何故?
俺は慌ててテープを止めた。ウソだろう。まさか、まさか、マヤ……、君は、君は俺との関係に不満でもあるのか?それとも演技の勉強か? いや、きっと、何かの間違いだ。落ち着け、俺。……例えば、そう、友達から押し付けられたとか……。そうそう、学生時代には、俺も押し付けられた。社内でも、そういうテープが出回っていたっけ。恐らくそういう類の物なのだろう。決してマヤから求めた物だとは思えない。俺はもう一度テープを回した。やはりそうだ。ダビングにダビングを重ねたような粒子の荒さ。演出も低俗。ひどいもんだ。俺はもう一度テープを止めて、デッキからそのテープを出してみた。テープにメモが書いてあった。

   「マヤ、これ見て勉強してね!!」

やはりな。マヤの悪友達からだ。まあったく、こんな物は必要ないんだよ。俺が手取り足取り教えてるんだから!
俺はテープをどうしようかと思った。テープが出ていたらマヤもバツが悪いだろう。不満はあるが、俺はテープを元に戻した。


ダイニング脇のカウンターを見ると、雑誌が置いてあった。結婚情報誌だ。どうやらこちらはまともなようだ。付箋がついている。ふーん、花嫁衣装のカタログか。俺は付箋のついてある所を順番に見て言った。どれもマヤに似合いそうだ。これを選んだのは誰だろう。センスがいい。そうだな、俺としてはこのふわふわした感じのがいいな。ベールにティアラ。……ティアラか……。宝石より花冠がいいなあ。その方がマヤには似合うと思うが……。俺はさらに付箋の付いている所を見て言った。最後まで来た時、俺はくいいるようにそのページを見た。

   「初めての夜に……、ランジェリー特集」

う! こ、これは、なんだ! こんなものを着たマヤを見たら俺は……。
部屋に帰ろう。ここにいたら、マヤに悪い。マヤにだってプライバシーはあるんだ。俺は雑誌を元の位置に戻すと慌てて部屋に戻ろうとした。間の悪い事に、玄関ドアの開く音がする。

「速水さん、来てたんですか?」

マヤがダイニングに入って来た。マヤの部屋は1LDK。逃げ場がない。俺は急いで、ポーカーフェイスを取り繕った。

「おかえり、一緒に夜食でもと思って待ってたんだ」

マヤが笑いながら胸に飛び込んで来る。

「嬉しい! あたし、あたしね、本当は真っ暗な部屋に帰るの、好きじゃないの。今日は速水さんが居てくれて嬉しかったー」

「はは、さ、腹は減ってないか?」

「うん、少し!」

俺達は簡単な夜食を暖めた。マヤと一緒に食べると幸せが胸に満ちて来る。先程見た物は忘れよう。これで無かった事になる。食事が終わり、後片付けをすると、俺はお茶をすすりながらそろそろ部屋に戻ろうかと思った。

「ああ、そうだ、速水さん、ウェディングドレスのデザインなんだけど……」

「俺は、マヤが選んだ物ならなんでもいいぞ」

ここであの雑誌を見せられたら困る。

「えへへ、そう言ってくれると思った」

マヤは立ち上がると正にその雑誌を手に取った。何番目かの付箋がついている所を差し出してくる。俺は一瞬固まったが、素知らぬ顔をした。

「ね、このデザインがいいんじゃないかなって思うんです」

マヤがいいと言ったデザインは、俺がさっきいいなあと思っていたデザインだった。

「ああ、そうだな、俺はいいと思うよ。これ、花冠にしないか? ティアラの方がいいか?」

「花冠! ステキ! デザイナーさんと相談して見る」

マヤはそれ以上俺に雑誌を見せようとしなかった。俺はほっとした。

「じゃあ、今日はもう遅い……、俺は上の部屋に戻って寝るよ」

俺は立ち上がった弾みで雑誌を落としてしまった。慌てて拾おうとしたら、今度はテレビのリモコンを落とした。マヤも慌ててテーブルの下に潜り込む。お互いテーブルの下で頭をぶつけた。何かを触ったような気がした。頭を押さえながらテーブルの下から這い出すとテレビのスィッチが入り、そして何故か、ビデオが映し出され……。

 「ああん、ああん、あん、あん、あん……」

マヤが真っ赤になった。

「だ、だめ! 見ちゃだめえー」

焦れば焦る程ビデオは止らない。間違って音量を押してしまった。大きな声で「ああん、ああん」が響き渡る。俺は手を伸ばしてテレビの主電源を切った。瞬時に静寂が戻る。マヤは、真っ赤な顔を両手で押さえると寝室に飛び込んだ。ドアがバタンと閉まる。俺はまずビデオを止めてデッキから出した。そして、今、メモを読んだふりをした。

「マヤ、このテープ、誰かから押し付けられたんだろう」

ドア越しに話しかける。

「俺は……、何とも思ってないから……、出ておいで」

ドアが少しだけ開く。

「速水さんは、速水さんは、あたしの事、軽蔑しない?」

「ああ、しないさ。……見たのか?」

「ちょっとだけ……」

「どう思った?」

「なんか、凄く嫌だった。こう、なんていうか、汚れた感じがした、体に泥がついたみたいな……」

「そうだろう、何故かわかるか?」

「……」

「このテープには愛が描かれてないんだ。ただの快楽だけ。それも男の欲望を刺激する為のテープだ。君が汚れたように感じても不思議はない」

マヤが扉を開けて出て来た。

「このテープは返しなさい。俺達には必要ない」

マヤがこっくりと頷いた。俺の胸にそのまま体を寄せて来る。

「速水さん、抱いて……、速水さんに抱かれてきれいになりたい」

「ああ、いいぞ、上の部屋に行こう」


俺はその夜、マヤを優しく愛した。星空の天蓋の下で、マヤの記憶を丁寧に拭い取った。





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