星空に酔う 連載第3回
別荘に戻ると、俺達はシャワーを浴びて砂を洗い流した。
マヤの洗い髪が色っぽい。俺とマヤは早めの夕食を取る事にした。浜辺の散歩がいい運動になったのだろう、お腹がぐうぐう言っている。
別荘番が夕食にと用意したシチューを俺は暖め始める。マヤは皿をテーブルに並べ、サラダや調味料を冷蔵庫から出し始めた。
「速水さん、関西に行っている間、自炊してたんですか?」
マヤがサラダをテーブルに置きながら聞いてきた。
「いや、知り合いに世話になっていた」
「知り合いって?」
「昔、映画関係の仕事をしていた人で、今は引退して京都でのんびり暮らしてる人なんだ。大きな家でね、離れに住まわせてもらっていた」
「ふーん、お食事とか洗濯とか?」
「ああ、お手伝いさんが身の回りの世話をしてくれた。不自由はなかったよ」
「……その方は、あの……、あの……、女の方ですか?」
「女? そんな事聞いてどうする?」
「べ、べつに!」
「くっくっくっく、マヤ、妬いてるのか?」
「べつに、そうじゃないけど……」
「……もう引退した映画監督さ、映画を見たら君も知ってる」
マヤ、君に焼き餅を妬かれるなんて信じられない! 俺はあんまり嬉しかったので、掻き回しているシチューをこぼしそうになった。
俺は暖めたシチューを皿に注ぐとテーブルに運んだ。ワイングラスに赤ワインをつぐ。二人で乾杯した。
「このワイン、おいしい! それに、シチューも! 別荘番さんは料理がお上手なんですね!」
「そうだな、このシチューは確か地元でとれた野菜を使ってると言っていたな……」
マヤがまたしても健啖家ぶりを発揮する。瞬く間に1皿目を食べ終えおかわりをした。おいしいと言いながら嬉しそうに食べるマヤ。おいしそうに食べるマヤの口元。シチューのソースがついている。俺は腕を延ばして指で拭い取るとそれを舐めた。
マヤが驚いた顔をして俺を見た。俺は、はっとして我にかえった。マヤの顔が赤くなる。いや、赤くなったのは俺の方か?鏡がないからわからないが、俺は思わず咳払いをして、ワインを飲んだ。
「あの、あの……、あたしも、もう少しワインを飲んでもいいですか?」
「ああ、すまない、グラスが空になっていたな」
俺はマヤのグラスにワインを注いでやった。俺は何か話さなければと思ったが、こういう時に限って何も出て来ない。クライアントを説得する時は立て板に水とばかりに話せる俺が! 別に、気まずいとかそういうのではないんだが……。するとマヤが口を開いた。
「……あの、速水さんはどんな食べ物が好きなんですか?」
「俺か? そうだな、大抵の物は食べるな。好き嫌いはない方だ。強いて言えば甘い物は苦手かな」
「でも、コーヒーはブルーマウンテンがお好きでしょう」
「ああ、よく知っているな」
「ふふ、水城さんに聞いたんです。あたし、速水さんがいない間、寂しくて……。
あんまり寂しかったから水城さんと会ったんです」
「水城君と?」
「ええ、それで、速水さんの思い出話をして貰ったんです、えへへへ」
マヤが照れくさそうに笑っている。水城君は一言も俺にそんな話はしてなかったぞ。
「で、何を聞いた?」
「別に、速水さんが会社で一番よく働く人だったとか、そんな話です。でも、結局、水城さんも速水さんの事、よく知らないって言ってました。仕事をする上で知って置かなかればならない以上は知らないそうです。いつか、会えたらその時は自分で聞きなさいって言われました」
水城君、君は一流の秘書だと俺は胸の内でつぶやいた。上司のプライベートを他言するようでは一流とは言えない。
「……他に何が聞きたい?」
その後、俺はマヤから質問攻めにあった。中にはそんな事を聞いてどうすると言う質問があった。
「犬と猫とどっちが好きですか?」
「う〜ん、考えた事がないな」
「もう、速水さんってそればっかり!」
「それより、そんな事を聞いてどうする?」
「だって、好きな人の事はなんでも知っていたいじゃないですか……」
「好きな人?」
マヤが顔を赤らめた。
「あ、いや、あの、えっと、ええっと……、速水さんは、あたしに聞きたい事ってないんですか?」
「ああ、君の事はなんだって知っているからな」
「嘘!」
「ああ、知っているさ、なんたって俺は君の……」
しまった。俺とした事が、うっかり秘密を漏らす所だった。今度は俺が狼狽える番だ。
「?」
マヤが怪訝そうな顔をしてる。
「君の、一番の恋人だからな」
「……、一番って、あたし、速水さん以外に恋人はいません……、二番目や三番目の恋人がいると思ってたんですか?ひどい!」
マヤの目から見る見る涙が溢れて来る。
「いや、違う、違う、そんな意味で言ったんじゃない。一番っていうのは、その、一番大切なって言うか、一番好きなっていうか、とにかく、君に二番目や三番目がいるなんて思ってないから」
俺は慌てふためいて誤解を解こうとした。マヤの側に駆け寄り跪く。手を握ってマヤの目を見る。
「マヤ、君が俺一人を想ってくれていると、よくわかっているから……」
「……速水さん、あたし、この1年半の間、お、男の人から言い寄られて、凄く困って……。共演した人は、何故か、みんなあたしを恋人だって勘違いするんです。お芝居だからって言っても……。だから、脚本は出来るだけ、恋の話の無い物にしたかったけどそういうわけにも行かなくて……」
俺はマヤを抱きしめた。マヤの背中を撫でる。
「ああ、知ってた。君が一人で頑張っていたと……。すまなかったな。君を守ってやれなくて」
「……速水さん、速水さん、会いたかった……」
俺達はしばらく抱き合っていた。俺はマヤが一人でいた間の辛さを思いやった。女の身で、しかも、旬の女優であれば、回りが放っておかない。言い寄る男は多かっただろう。いつ会えるかわからない俺を想って一人戦っていたのだ。辛かっただろう。
「速水さん、二度とどこかに行かないで、一人にしないで……」
「マヤ、これからは俺がいる。俺が必ず守るから」
腕の中でマヤがこくりと頷いた。
俺はマヤの目の上にキスをした。涙を唇で拭い取る。マヤが俺の唇に軽いキスをしてくれた。俺が笑顔になるとマヤもつられるように笑顔になった。
「さ、食事が済んだらデザートにしよう。君の好きなケーキがたくさんあるぞ」
俺はマヤにコーヒーとデザートのケーキを出してやった。皿に並んだ色とりどりのケーキ。マヤが嬉しそうに歓声を上げる。全部一人で食べていいぞと言うと、このうえない程、幸せそうな顔をした。明日の朝もマヤは今のように幸せな顔をしてくれるだろうか? 俺は彼女にとってケーキ以上の存在になれるだろうか? マヤの様子に俺は少し不安になった。
食事が終わって、俺は用意していたプレゼントをマヤに渡した。
続く
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