恋物語 連載第10回
イケメン俳優谷崎透は、ホテルマリーンのフロントに向って歩いていた。
谷崎はホテルのフロントでチェックインの手続きをしているマヤを見つけると気軽に声をかけた。
「北島さん?」
マヤは驚いた。こんな所で谷崎に会うとは思ってもいなかった。マヤは少し困った。
「谷崎さん! どうしたんです? こんな所で?」
「僕? 僕は今日ここに泊り」
「お一人ですか?」
「いや、もうすぐマネージャーやスタッフが来ると思う。僕はスケジュールの関係で先に来たんだ。北島さんは?」
「あたしは……」
「遊びに来たの?」
「え、ええ……」
「ふーん、いいなあ、僕は仕事なんだ。明日からこの近くでCMの仕事があって……。夜はここのホテルで食事なの。予定がなかったら一緒にどう?」
「ごめんなさい、あたし、約束があるから」
「約束って、もしかして、彼氏?」
マヤが慌てて首を大きく振る。
「じょ、冗談! あたし、彼氏なんていません!」
谷崎がくすくすと笑う。
「だろうな、じゃ、またね」
谷崎透はマヤに手を振るとフロントへ向った。
マヤはホテルマンに案内されて今夜泊まる部屋に向った。
速水はいらいらしながら、マヤが戻って来るのを待っていた。煙草に手を伸ばす。
(俺とマヤはただの友人だ。いや、芸能社の社長と所属女優か……)
30分程経ってやっとマヤが戻って来た。
「速水さん、どうしよう、谷崎さんとロビーで会っちゃった」
「ああ、彼が車から降りるのが見えた。何か言われたか?」
「一人かとか、遊びに来たのって」
「……」
「今夜、食事にどうって……。約束があるっていったら、彼氏って聞かれました」
「それで……」
「彼氏なんていませんって言ったら、だろうなって……。なんだか、見透かされてるみたいでした」
ふっと、速水は笑うとエンジンを始動させた。ラジオをつける。二人の心地いい沈黙に軽快な音楽がかぶさる。
速水は運転しながら考えていた。
――彼氏か、俺達は友人だ、俺は彼氏ではない。では、いつかマヤは恋人を作って俺から飛び立って行くのだろうか。
俺に恋人の話をするのだろうか?
好きな人が出来たと……、俺に話すのだろうか?
ハンドルを握る速水の手が微かに震えていた。
二人は速水の伊豆の別荘で海水浴を楽しんだ。
浜辺にはビーチパラソルが立てられ、ビーチチェアが2脚おいてある。パラソルの下にクーラーが置いてあり、飲み物が入っていた。
マヤは速水の前で惜しげ無く若い体をさらした。
ショートパンツ型のタンキニ姿のマヤ。
速水の前にさらされるマヤの裸の肩。すんなりと伸びた足。
速水は一瞬どぎまぎとして、目のやり場に困った。
マヤもまた、水着姿の速水に思わず目をそらした。
速水は気分を打ち消すようにぶっきらぼうにマヤに日焼け止めを投げた。
「女優なんだ、しっかり塗っておけよ」
「わかってますよ」
マヤは口を尖らせながら日焼け止めを塗った。
「速水さん、背中、塗ったげます」
マヤ頬を染めながらは日焼け止めを速水の背中に塗った。速水はマヤに背中を撫でられるのはくすぐったいと思った。
「君の背中、塗ってもいいか?」
「え? あ、はい、お願いします」
マヤは速水に後ろを向いて髪を上げた。速水の大きな手がマヤの背中を撫でる。速水は内心の想いを誤摩化す為に多少乱暴だ。
二人は水辺を散歩した。速水はマヤをカニの巣に連れて行った。ぶくぶくと泡をふくカニにマヤが歓声をあげる。
それから、二人で水を掛け合い軽く泳いだ。水は透明で冷たく気持ちよかった。
遊び疲れた二人は浜辺で横になった。
速水の伊豆の別荘は国道から一本道の奥に入った突き当たりにある。
近くにはいくつか別荘が点在しているが、奥まった入江の側にある速水の別荘は影になっていてどこからも見えない。
わずかにホテルマリーンの最上階のバルコニーからは浜辺が見えた。
偶然その部屋に泊まった谷崎透は海を見ようとバルコニーに出た。きらめく波に爽快感を覚えた谷崎は陸の方へ目を転じた。
すると奥まった入江に女性の姿が見えた。どこか見覚えのあるその姿。谷崎はすぐにマヤだとわかった。
そこに男の姿が見え、谷崎ははっとした。業界では冷血漢と言われている大都芸能速水社長その人がマヤと楽しげに水遊びをしている。
谷崎は目を疑った。
「ふーん、鬼社長が水遊びか……。結局二人はつきあってるのか?」
谷崎透はなんでも持っている。頭が良く、背も高く、努力する強い精神、自分自身の成功で獲得した金。
マヤを好きになった谷崎は、マヤの態度に不満だった。
「速水社長と付き合ってるなら付き合ってるって、言ってくれればいいのになあ、北島さんも水臭いな」
谷崎はマヤに直接好きだと言ったわけではなかったが、何かとマヤに絡んだ。マヤの態度からマヤが自分を嫌っていないと思った。友人として接してもいいだろうと谷崎は思った。マヤにとっても谷崎はいい友人だろうと思っていた。それなのに速水社長と付き合ってると話して貰えなかった。谷崎は少し不満だった。
谷崎は二人の様子をしばらく見ていたが、携帯を取り上げるとマヤの携帯に電話を入れた。
マヤはビーチバックの中の携帯が鳴り出した時、何だろうと思った。
麗かなと思って携帯を取り上げると、谷崎からとわかって一瞬固まった。
速水がマヤの様子に「誰からだ?」という。速水にごまかしはきかない。マヤは正直に言った。
「谷崎さん」
マヤは携帯のボタンを押した。
「はい、北島です」
(北島さん? 谷崎です。ね、左の方見て。ホテルの最上階、僕が見えるでしょう)
谷崎が陽気に言う。マヤは左に首を回しホテルの方を見た。立ち上がり砂浜を海の方へ少し歩く。
すると、ホテルのバルコにーで手を振る谷崎の姿が見えた。
速水もマヤの視線を追って、谷崎を見つけた。
(ね、僕も泳ぎに行っていい?)
マヤは困った。速水との大切な時間を邪魔されたくなかった。
「ちょっと待ってね。速水さんに聞いて見る」
マヤは携帯の口元を押さえた。困った顔で速水を見上げる。
「速水さん、谷崎さんが泳ぎに来たいって……」
速水は急いで計算した。ここで断れば、マヤと二人なのを見られている以上、いろいろ憶測されるだろう。それなら、オープンにした方がいい。
「……、来て貰いなさい」
「……、はい」
マヤは谷崎をうらんだ。せっかくの速水とのデートを、お邪魔虫と思った。
「どうぞ! 場所、わかります?」
「ナビで探しながら行ってみるよ。大体わかると思う。わからなかったらまた、電話するから」
言って谷崎は携帯を切った。
谷崎はネットで地図を確認。車より自転車がいいだろうと、水着に着替えるとホテルで自転車を借り海岸沿いの道を走った。
谷崎が着いてみると、速水とマヤがにこやかに迎えてくれた。
「すいません、速水社長、急におじゃまして……」
「いや、いい。君も泳いで行くといい」
速水は如才なく、谷崎にノンアルコールビールを勧めた。自分もまたノンアルコールビールのカンを開ける。マヤもクーラーボックスからジュースを取り出した。
「乾杯しよう、谷崎君。そうだな、二人が主演したドラマの成功を祝して」
「ありがとうございます」
乾杯と3人が口々に言って、それぞれの飲み物を飲んだ。谷崎がさらに言う。
「じゃあ、次は、大都芸能の発展を祝して」
速水が黙って応じる。谷崎はよくわかっていた。この業界で速水に睨まれたら生きて行けない。
谷崎はさりげなく言った。
「北島さん、彼氏とデートならそう言ってよ」
「え! 違う違う、彼氏じゃないの」
速水は落ち着いた様子で貼り付いた笑顔を浮かべている。マヤは知っていた。速水がそういう笑顔を浮かべる時は要注意なのだと。
「谷崎君、君は何か誤解している」
「そうですか? 普通、男と女がこんなプライベートビーチで海水浴を楽しんでいたら恋人同士と思いますよ」
マヤが真っ赤になった。慌てたマヤに対して速水は態度を変えない。
「君こそ今日は一人なのか? いつも君のまわりにいる美人女優達はどうした?」
「やだなあ、美人女優なんて! 本人達がきいたら喜ぶと思うけど! 彼女達は友人ですよ。今日はたまたまスケジュールが空いたんです。夕方には合流する筈です」
マヤは谷崎に一言いいたかった。
「谷崎さん、誤解してる。社長はあたしを泳ぎに連れて来てくれたの。あたし、ファンの人のおかげで普通の海水浴場じゃあ、楽しめなくなったから……。それで、連れて来て下さったの。それだけなの!」
マヤは大声をあげて主張するやいなや、駆け出していた。海に飛び込む。
「あ、怒らせちゃった」
谷崎が悪びれずに言った。
「くくく、さ、君も泳いで来るといい。北島君には深みには行かないように言ってあるが、心配だからな。ついていてやってくれ」
谷崎は速水に促されて、マヤの後を追って行った。
速水は谷崎の登場を皮肉っぽい感情で面白がった。谷崎がマヤを好きなのはわかっている。マヤは嫌っていない。共演者として谷崎の役者としての技量を評価している。
速水はアロハシャツのポケットからサングラスを取り出すとかけた。ビーチチェアにゆったりと寄り掛かる。速水は谷崎と遊ぶマヤを見ていた。
――マヤは真っ赤になっていたな。俺を彼氏と間違われて……。
速水はマヤの気持ちを推し量った。
――俺を……、いや、まさかな、俺を好きな筈はない。俺のような、彼女より11も年上の俺を……。そうだな、彼女には谷崎のような男が相応しいのかもしれない。
速水はマヤが自分の唇を舐めたのを思い出していた。キスとはとてもいえない。今でも思い出す彼女の舌の感触。酔って正体を無くしているにもかかわらず、しっかりジェーンになっていたマヤ。あの舌で他の男を舐めるのか!他の男の唇を!
速水は知らずに手にもっていたカンを握り潰していた。
続く
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