恋物語 連載第11回
イケメン俳優谷崎透は犬かきで浅瀬を泳いでいる北島マヤに追いつくと話しかけた。
「ねえ、待って! 北島さん」
「もう、知らない、谷崎さん。社長の前であんな事言うなんて。速水さんが変に思うじゃない」
マヤは泳ぐのをやめて思わず立ち上がった。
海水はマヤの胸のあたりである。これ以上沖にでるのはまずいだろうとマヤは思った。岸辺に向って引き返す。
「変に思われると困るの?」
谷崎が追求する。マヤは声をひそめた。
「やめて! 社長に聞こえるじゃない」
谷崎はマヤの様子にくすくすと笑いながら続ける。
「ね、北島さん、速水社長が好きなんでしょう。打ち明けた?」
「な、何を言ってるの。社長は婚約者を亡くされてまだ1年も経ってないのよ。まだまだ忘れられないんだから」
「ふーん、じゃあ、いずれ打ち明けるんだ」
「いや、違うって、別にあたし、速水社長の事なんてなんとも思ってないんだから」
「そう……、だったら、僕、立候補しちゃおうかな、北島さんの彼氏」
谷崎の顔が真近にある。波の上に谷崎の上半身が晒されている。イケメンと呼ばれるだけあって、男の色気が匂い立つ。マヤはからかわれていると感じた。これほどハンサムな男が自分を好きな訳がない。
「谷崎さん、たくさん、女の人から申込まれているじゃない。あたしなんかよりずーっと美人の人達から」
「うん、彼女達、僕が好きなんじゃないの。僕のルックスや有名人って所が好きなの。北島さん、そんなのに興味ないでしょ。だから僕付き合いたいんだ。ね、ダメ?」
マヤは谷崎の真心に触れたような気がした。思わず谷崎の瞳を覗き込む。
――この人は真剣なんだ。ふざけた言葉にオブラートされているけれど……。
一瞬、言葉を失った。
「谷崎さん、あたし、まだまだ売り出し中の女優なの。今、男の人とスキャンダル起すわけにいかないの」
「じゃあ秘密だったらいいの、速水社長と、今みたいに」
マヤはかっとした。自分と速水の関係は普通の男女の関係ではない。もっと、神聖な物だ。魂のつながりなのだとマヤは言いたかった。
「もう、知らない! ほっといて!」
「人ってね、ホントの事言われると怒るの」
マヤははっとして谷崎を振り返った。
「あ、ごめん、ごめん、もう言わないから! それより、ビーチバレーやろうよ。はい、ボール」
谷崎は笑いながらマヤにボールを投げた。マヤは条件反射のようにボールを受けた。
マヤは仕方なく谷崎とボール遊びをする事にした。
しばらく遊んだが、マヤは体を動かしても面白くない。浜辺にいる速水が気になってしょうがない。
夏の暑い盛り。マヤは喉が渇いたのを機に速水の元に戻った。谷崎も付いて行く。速水はビーチチェアの背もたれを平にして横になっていた。気持ち良さそうに甲羅干しをしている。マヤはミネラルウォーターで喉を潤すと言った。
「速水さん、一緒にビーチバレーしません?」
「俺か……、俺はいい」
速水は横になったまま答える。その様子は素っ気なく、取りつく島もない。マヤは、速水の態度に一抹の淋しさを覚えた。そして何気なく言った。
「……速水さん、谷崎さんがあたしと付き合いたいって言ってるんです。社長として注意して下さい」
速水は起き上がると、落ち着き払って答えた。
「会社としては、二人のプライバシーにまで立ち入れないな」
その答えにマヤはずきりとした。
――速水さんはあたしが他の男の人と付き合っても構わないんだ。
マヤは血の気が引いて行くのがわかった。真っ青な海、空には陽気に太陽が輝いてる。それなのに、一瞬マヤは暗闇に包まれた。
「じゃあ、僕が北島さんと付き合ってもいいんですね」
谷崎が嬉しそうに言う。
「会社としては立ち入れないと言ったんだ」
「は、速水さんはあたしが、谷崎さんと付き合ってもいいと思ってるんですか?」
「君が言ったんだ。『社長として注意してくれ』と。だったら俺は社長として発言するしかあるまい」
マヤは泣き出したいのをじっと堪えた。
「……だったら、友人として意見を言って下さい」
――お願い速水さん、ダメだって言って。他の男の物になるなって!
「……谷崎君は俳優としても、人間的にもいい男だ。君の気持ち次第だろう」
この言葉にマヤは切れた。
「理屈ばっかり言って!」
マヤは泣き出した。堰を切ったように涙があふれた。速水が驚いてマヤを見上げた。
「何を泣いてる!」
「何だっていいでしょ。うっううう、ひっく、あたしが、他の男の人と付き合ってもいいって思ってる人になんかわかるもんですか! 速水さんなんて! 速水さんなんて大っきらい! 速水さんのばかあー!」
マヤは泣きながら荷物の入ったビーチバックを取り上げると、駆け出した。思わず立ち上がる速水。
「マヤ!」
速水はマヤの態度に唖然とした。谷崎が速水に言った。
「北島さん、恐らく、速水さんが好きなんですよ」
速水は谷崎を振り返った。まじまじと谷崎を見る。
「! いや、彼女はただ俺を親しい友人と思っているだけだ。好きとかそんな感情じゃない」
「あなたも好きなんでしょう、彼女を……」
「何を言ってる! 彼女は只の親しい友人だ」
「……、僕、よくわからないけど、僕が彼女と付き合うよりあなたと付き合った方が恐らく彼女は幸せなんだと思います。だから、泣いている彼女を追いかけて、慰めるのはあなたの役目だと思いますよ」
「!」
それでも速水は動かない。谷崎は思った。
――何故、こんなに好き合ってるのに恋人にならないんだろう。何がこの人を縛っているのだろう。
「どうして躊躇うんです! 僕は彼女が好きなんです。彼女に幸せになってほしいって思ってるんです。彼女の想いを受け止めてやってくれませんか?」
「俺は彼女に相応しくない」
「どこがです! 誰よりも北島さんを思っているあなたが! あなたのどこが相応しくないんです。北島さんのお母さんの事ですか? 昔の事じゃないですか! 北島さんはとっくに水に流してますよ! ……では、呼び方を変えましょう、速水社長。速水社長ではなく『紫のバラの人』、彼女の想いを受け止めてやって下さい」
速水の顔が強張った。次に笑い出した。
「なんだ、君は俺を『紫のバラの人』だと思っていたのか、それは誤解だ」
谷崎はあきらめた。マヤの幸せを思って速水を説得しようとしたが、無駄だった。
――この人は筋金入りの朴念仁なんだ!
「もういいです!」
谷崎は「北島さん!」と言いながらマヤを追いかけて駆け出した。
その時、「きゃっ」という声が聞こえた。マヤがこけた。
一瞬立ち止まった谷崎を追い抜き必死になってマヤに駆け寄る速水。
谷崎は速水の背中を目で追った。
こけたマヤの側に速水が跪いた。マヤを抱き上げようとする。マヤが速水の手を振り払う。それを強引に抱き上げる速水。速水が何か言った。マヤの手が速水の背中に回される。マヤが速水の肩に顔を埋めるのが見えた。
――俺って絶対ピエロ向きだよな。はあ〜、北島さん、お幸せに!
谷崎は二人の姿を見送るとビーチチェアに横になりぼんやりと空を見上げた。青い空にぽっかりと白い雲が浮かんでいる。あまりの白さに谷崎は目を閉じた。
閉じられた谷崎の目から一雫の涙。
続く
Back Index Next