恋物語    連載第3回 




 半年前、月影千草の死は、多くの人にショックを与えた。死期が近いとわかっていたが、それでも、実際に死んでしまうと皆、言葉を失った。多数の芸能社は、試演が終わり結局マヤが「紅天女」の上演権を獲得したとわかると一斉にマヤと契約を結ぼうとした。だが、月影千草の死にマヤが落ち込んでいるとわかるとさすがに気がひけたのか、落ち着いてからでいいですからと言って皆引き下がった。
百戦錬磨の速水と水城のコンビは、月影千草の死を最大限利用しようとした。二人は人としてマヤがどんなに落ち込んでいるか同情したが、だからと言ってビジネスのチャンスを逃すほど甘くはなかった。月影千草の死によるマヤの心の隙にするりと入り込んで上演権を持ったマヤを大都所属の女優とするのが彼らの目的だった。速水と水城は月影千草の死を念頭において行動していた。
もちろん、マヤは千草の死にショックを受けていたが、ある程度予想していた死であった。月影千草の葬儀が終わりしばらくして、突然、鷹宮紫織が死んだ。鷹宮紫織の死は突発的だった。
愛する者の死がどれほど辛いか、マヤは実の母の死で嫌というほど経験していた。
マヤは速水を思いやった。どれほど落ち込んでいるだろうと……。マヤは速水を支えたいと思った。水城に言われたようにマヤの大都芸能への所属が速水を仕事に駆り立てるなら、そしてそれが、速水の心から悲しみを忘れさせるならとマヤは喜んで大都に所属したのである。
直接交渉した水城だけがマヤの気持ちを憶測したが、単に、長い付き合いの速水を思いやっての事だとマヤの気持ちをその程度に考えていた。

「紅天女」第1回公演が終わってから、この2ヶ月マヤが取り組んでいたドラマは、イケメン俳優谷崎透を主役にしたラブコメだった。マヤは谷崎の恋人役である。恋人、というより、マヤが演じるヒロイン貝塚恵子は押し掛け女房という役所である。ドラマの撮影は佳境に入りまもなくクランクアップする。放送はすでに始まっている。そして、今までどんな女優とも個人的に付き合った事のない谷崎がマヤにゾッコンになってしまったのである。
谷崎はドラマの中で、ただひたむきに主人公を想うマヤの演技の虜になってしまった。

『お願い、私、あなたに迷惑をかけない。だから、お願い、ここに置いて』

そう言って、必死に恋心を打ち明けるヒロイン。ひたむきな瞳。熱い情熱。主人公がいくら追い払ってもあっけらかんとして戻って来るヒロイン。いつのまにか、情にほだされて二人で暮らし始めるが、主人公の両親や妹が出て来たりとコメディシーン満載のドラマだった。

速水はマヤもまた、谷崎透に魅かれているのではと思っていた。
今をときめくイケメンである。性格もいい。どことなく里美茂に似ている。その男がマヤにぞっこんである。マヤが心を動かされない理由がないと思っていた。
だが、マヤは「好きな人はいません」と言う。
速水はマヤの言葉を信じたかった。

鷹宮紫織の死によって、速水の鷹宮グループ内での立場は微妙な物になった。鷹宮の人々は速水に好感をもっていたし、速水の実力も知っていた。しかし、速水の立場を確固たる物にする紫織が死んでしまった以上、所詮、よそ者である。次第に鷹宮の人々は速水を遠ざけ始めていた……。当たり前ではあったが……。
速水は提携業務に支障が出ない程度には鷹宮とつながりをもって置かなければならず、紫織が死んだからと言って、そして、マヤがもう自分を嫌っていない、憎んでいないと水城に言ったからと言って、マヤに個人的に近づきマヤの心を掴む努力をする、そんな余裕はまったくない速水だった。
余裕のない速水に対して、若い谷崎は奔放にマヤに恋を仕掛けた。
マヤの演技の相手をしデートに誘った。マヤは谷崎が自分を好きだとは微塵も思っていなかった。マヤの心に巣食っている強烈な劣等感は今をときめくイケメン俳優の求愛を非現実的なものにしており谷崎が自分を好きだとは露ほども思っていなかった。共演者だから親切にしてくれるだけだと思っていたのである。
一方、速水は谷崎の行動がマヤへの求愛であると早くから見抜いていた。しかし、速水はそれを指をくわえてみていなければならず、速水は嫉妬にさいなまれた。
マヤを演劇界だけでなく芸能界でも成功させてやりたいと思う気持ちとその為に自身の恋心押さえつけなければならない場面に直面すると、普段は行動に迷いのない決断力のある速水が、珍しく逡巡するという場面がしばしば見られた。そんな時、秘書の水城は常にビジネスを優先させるべく上司をプッシュした。

速水はマヤが桜小路と電話で話している間、ぼんやりとこの半年を振り返っていた。
ふと、電話をするマヤを眺めた。速水に幻影が訪れる。マヤがこちらを振り向き、にっこりと速水に笑いかける。「真澄さん」と名前を呼びながら……。マヤの艶やかな唇が速水の名前を呼ぶ幻想。

――俺を憎んでいないなら、他に好きな男がいないなら……、もし、俺がマヤに気持ちを打ち明けたら、マヤはどうするだろう。

と考えた。瞬間、幻想が途切れた。

――『ひどい! 速水さん、あたしをからかって!』と言うだろうなあ。彼女の母親を死に追いやった俺を憎まなくなったからと言って、俺を好きになるだろうか? マヤがフレンドリーなのは単に昔からの知り合いだからではないだろうか? 俺を男として意識していないのは明らかだ。気持ちを打ち明けずに彼女と食事に行ったり、街を散歩したり、芝居を見に行ってはいけないだろうか? マヤの気持ち次第だが……。

速水は付き合っている内にマヤの気持ちが自分に向くかもしれないという甘い考えが浮かんだが、それをさっさと打ち消した。あまりにも希望的観測すぎると思った。

「……桜小路君、どうしてもダメなの……、そう……、ううん、いいの、じゃあ……」

マヤは桜小路と話した後も電話の子機をしばらく見ていた。この時、秘書の水城に別件の電話が入り、水城は席を外した。社長室で二人きりの速水とマヤ。

「……どうだ、ダメだったろう」

「……はい……」

「あきらめろ……、それに、相手が変われば、阿古夜の違った側面が見えて来るかもしれん。いい方に考えるんだな」

マヤは黙った。速水の言葉を考えた。

「相手が変わったら、違った側面が見える……」

「うん? なんだ? 何かいいたい事があるのか?」

「……いいえ、その、うまく言えないんですが、その言葉、なんか引っ掛かるんです」

速水は咄嗟に言葉がついて出ていた。

「チビちゃん、俺の携帯の番号を教えよう。俺に何か言いたい事が出来たらいつでも言ってこい」

速水はマヤと細い絆を持ちたかった。




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