恋物語    連載第4回 




「今の言葉、演技のヒントになったのか?」

「ええ、その……、今、取り組んでいるドラマのヒロイン。もうすぐクランクアップなんですが、結局ヒロインは主人公の元を去るんです。そして、別の人と見合いをするんです。そして、いろいろあって結局、主人公が迎えに来てハッピーエンドなんですけど、そう、ヒロインは相手、つまり見合いをして別の男の人と話して、……その、別の男の人との結婚やら人生を考えて、やっぱり主人公以外との人生なんて考えられないって思うんです。その、なんて言ったらいいかわからないんですけど……」

「相手が変わったら、違った側面が見えて来た……か?」

「ええ、そうです……、あ、携帯ですね。ごめんなさい、速水さん、あたし、演技の事になると夢中になっちゃって……」

マヤは携帯を出した。速水はマヤと携帯の番号とメールアドレスを交換した。共に相手の連絡先、個人的な連絡先がわかり死ぬ程嬉しかったのだ。

「速水さん、あの、本当にいつでもいいんですか? 電話して?」

「ああ、いいぞ、電話に出られるかどうかわからんがな、さてと、話は戻るがこの書類のこことここにサインをしてくれ」

「あ! はい、わかりました」

マヤは速水から万年筆を借りるとサインをした。マヤが万年筆を借りる時かすかに速水の手に触れた。マヤの脈拍が跳ね上がる。マヤは書類の上に顔を伏せ上気した頬を速水から見えないようにした。
速水は速水で書類の上に零れ落ちるマヤの艶やかな黒髪を見ていた。あの髪に指を絡めてみたいと……。


速水はマヤがサインし終わると、書類を眺めた。

「いいだろう、手間を取らせたな」

「いいえ、手間だなんて……、上演権を持っている以上、必要な事ですから……」

「……劇団のみんなとはどうだ?」

「はい、おかげさまで楽しく暮らしています。ありがとうございます……、ただその……」

「なんだ……」

その時、ドアをノックする音が聞こえた。ドアが開いて水城が顔を出した。

「社長、まもなく定例会が始まりますが……」

「……そんな時間か、水城君、今日の定例会は俺が出なければ進まんか?」

「はい、あの……、いいえ、会議は進められますが、皆、社長に聞いてほしい議題が満載のようです」

「そうか……、よし、5分だ。5分、待たせていてくれ。チビちゃん、時間がない。手短かに言ってくれ」

「あ、すいません、記者の人達が家のまわりをうろつくようになって、それで……」

「わかった。防犯カメラを設置して、記者を特定しよう。記者が特定出来たら出版社を通じて注意出来るだろう」

速水は時計を見た。その時、マヤの目に速水の時計のバンドが目に入った。昔は、時計のバンドは金属製だった。銀色の。今は黒いバンドをしている。そういえば、速水の服装も春らしい服ではない。ダークグレーの地味なスーツだ。ネクタイもスーツと同色のダークグレー。ワイシャツだけが薄いグレーではあったが、全体に沈んだトーンでまとめてある。

――速水さん、もしかしたら喪に服しているのかしら? 紫織さんの……。

「すまない、時間切れだ。困った事があればいつでも、電話なりメールをしてこい」

「あ、はい、すいません、あたし、これで……」

マヤは携帯をハンドバックに入れると立ち上がった。

「こちらこそ、大女優に大したおもてなしも出来ませんで」

速水はマヤに大仰な挨拶をした。

「もう、速水さん、また、からかう」

速水はくすくす笑いながら、マヤの頭をくしゃくしゃとした。
速水とマヤは、社長室を出ると一緒にエレベータに乗った。速水はマヤを食事に誘おうと口を開いた時、エレベーターが止った。開いたドアの向うに数人の男が立っている。

「北島さん! 良かった、会いたかったんだ」

なんと、ドラマの共演者、イケメン俳優谷崎透である。今日も革ジャンにTシャツ、ジーンズにスニーカーとラフなスタイルで決めている。他のスタッフは速水の顔を見ると、全員、引いた。スタッフの一人が谷崎の袖を引っ張る。しかし、谷崎はそんなスタッフの様子がわからない。マヤがびっくりした声を出した。

「谷崎さん! どうしてここへ?」

「次のドラマの打ち合わせ!」

谷崎はここで初めて速水の険しい表情に気が付いた。

「あ、すいません。僕も次のエレベーターにします。北島さん、降りない?」

「ごめんなさい、あたし、もう帰るの。またね」

マヤはエレベーターの閉ボタンを押した。扉が閉まるやいなや速水が聞いた。

「……、彼は?」

「は?」

「谷崎君だ。好きな人はいないといいながら、彼と付き合ってるんじゃないのか?」

速水の声の端々に苛立ちが滲む。

「だ〜か〜ら〜、あたしは誰も好きじゃないし、誰とも付き合ってません! 谷崎さんはあたしの只の共演者ですってば!」

マヤは信じて貰えないのが悲しかった。速水は速水でマヤを食事に誘いそびれて苛立っていた。
エレベータは会議室のある階についた。速水は降りなければならない。速水はふっとため息をついた。

「そうか……、気をつけて帰りたまえ」

別れの言葉を言うと、速水はエレベーターを降りた。
マヤは速水と別れるのが淋しかった。なんだか、気まずいまま別れるようで……。
マヤは速水の背中を見送った。食い入るように見つめる。エレベーターのドアが閉じるまで……。
ピタリと閉じたドア。
が、もう一度、ドアが開いた。速水が立っている。マヤは戸惑った目で見上げた。

「あの、速水さん?」

「今夜……、食事をしよう。後でスタジオに迎えに行く」

マヤは目をみはった。こくこくとうなづく。
速水の顔が珍しく緩んだ。マヤもまた、ぱあっと明るい表情で答えていた。

「はい、待ってます!」

速水はふっと笑うと踵を返して立ち去った。





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