恋物語    連載第6回 




 速水は行きつけのバーでマヤと二人、ゆっくり酒と会話を楽しもうと思っていた……。
そもそも食事中からマヤはワインを数杯飲んでいた。マヤは速水の勧めるカクテルを最初は少し味見をしているだけだったのだが、いつのまにか空になっていた。バーテンダーが勧めるままにマヤは2杯、3杯と飲み……。気が付くと速水の肩に頭を乗せて眠っていた。
速水はマヤのそんな様子にくすくすと笑いながら車に乗せ満月荘まで送って行ったのである。マヤは車に乗ると、安心しきって速水に寄りかかって来た。そんなマヤを速水は少し体をずらせて横にしてやった。速水の膝の上にマヤの頭が乗る。速水はマヤの髪をそっと指で梳いていた。
速水の膝にかかるマヤの重み、温もり。白く浮かび上がる横顔。
速水はマヤの唇を知っていた。梅の谷の社務所で眠っているマヤの唇に口付けをしたあの時、時が永遠に止ればいいと、それでいて腕の中から飛び立つマヤを夢見たあの時。
ふっと、速水は微かなため息を漏らした。

「満月荘」に着くと速水はマヤを抱き上げて運んだ。迎えた青木麗は、「速水さん、すいません。マヤが迷惑をかけて……」と恐縮した。

「いや、いい、少し酒を飲ませ過ぎた」

速水はマヤを抱き上げたまま、マヤの部屋、2階の奥に運んだ。速水はベッドにマヤを降ろすと青木麗にマヤの世話を頼んだ。


頭角をめきめき表してきた北島マヤを満月荘で張っていた記者達は速水の出現に慌てた。
速水に睨まれたらこの業界で生きて行けない。それより速水が与えてくれる餌を食べながら生きて行く方が楽だ。
記者達は満月荘を見張るのをあきらめ、速水の目に触れないようこそこそといなくなった。
そして、北島マヤが大都芸能の速水真澄の「お気に入り」だという噂はあっというまに広まったのだった。


翌朝、速水が驚いた事にマヤからのメールが携帯に届いていた。

 「速水さん、夕べはご馳走様でした。酔いつぶれてごめんなさい」

速水は早速、返事をした。

 「気にしなくていい。風邪を引かなかったか?」

するとすぐに返事がきた。

 「ありがとうございます。引きませんでした」

更にメールを打つ。

 「そうか、それは良かった。また、一緒に食事をしよう」

打てば響くようにメールの返事が帰って来る。

「ホントですか! 次はいつですか?」

携帯画面をじっと見て速水はゆっくりとメールを打った。

「水城君にスケジュールを確認してから連絡する」

速水は不思議だった。

――これはどういう事だろう。マヤが喜々として俺とのデートを待っている? いや、これはただ食事をするだけでデートではない。マヤはおいしい物を食べたいだけなんだろう

速水はマヤの態度に、マヤは自分を男として意識していないと思った。男だと思ったらあんなに無防備にはなるまいと速水は思った。いや、しかしと速水は逡巡する。

――そもそも、俺はマヤを子供の頃から知っている。マヤも昔から俺を知っている。梅の谷の社務所では一晩抱き合って過した。手をつないで歩いた事もある。普通の男女だったら、すでになんとかなっている状況だ。それが進展しないのは、俺に紫織さんという婚約者がいたからだ。今、俺はフリーだ。このまま、付き合って行けばなんとかなるんだろうか?

更に速水の想いはめまぐるしく駆け巡る。

――それとも、マヤにとって俺はただの知り合いのおじさんなんだろうか?

速水はこの考えを追い出した。そして、紫のバラを思った。

――『紫のバラの人』は永遠に出ては来ない。それでいい。

速水はマヤへの想いを心の中、奥深くへ押し込めると目の前の仕事に集中した。


一方、北島マヤは昨夜の失態を深く後悔した。

(せっかく、速水さんとデートだったのに、酔いつぶれるなんて!)

マヤは速水にメールで詫びた。そして、驚いた事に速水から次のデートに誘われるという快挙に天にも登る気持ちで喜んだ。
速水はただの食事と思い、マヤはデートと思う。このギャップが二人の関係を表していた。
マヤは速水が社務所で、マヤを「嫌った事はない」と明言した事、昨日、エレベーターを止めてまでマヤを食事に誘った事、そして、紫のバラ。
今は、紫織を忘れられないでいるかもしれない。でも、もしかしたら……。
しかし、そこで、マヤの気持ちはストップする。
速水と自分は住む世界が違う。

(あたしが単純で裏表がないから、昔から知っているから、だからきっと速水さんはあたしといると楽なんだ。
 ただ、それだけ。
 あたしが速水さんの気晴らしになるなら、それでいい)

マヤはただ、速水に会える楽しさだけを考えようと思った。

それから数日、マヤは時々、速水にメールした。内容は他愛のない話だった。
速水はそんなマヤのメールに短く返信した。大抵、からかいの言葉が含まれており、マヤは速水が自分を決して女性と見ていないと思いつつ、速水からのメールを無意識に待っている自分を意識した。


一方、谷崎透は、或るパーティの席で桜小路優に会っていた。
谷崎はマヤに本気だった。ドラマの収録中の相手役としてではない。むろん、最初は違った。ヒロインとしてのマヤに魅かれた。ドラマの中で魅かれて行く気持ちがそのまま現実の想いとなった。そして、ドラマを離れ素のマヤを見ても、想いが変わらないと気づいた。
マヤが柱の影から速水を見ていた時、何か心に打つものがあった。
谷崎はマヤが速水を好きなのだと瞬間思った。そして、マヤの内気な性格が美しい女達への気後れとなっているのを見て取った。
守ってやりたい。
マヤが誰を好きでもいい。いや、むしろ、マヤが幸せになるなら応援してやりたい。
若い谷崎は行動が早かった。
谷崎は「紅天女」第1回公演を見ていた。
素晴らしかった。直感的に桜小路とマヤの二人は出来ていると思った。そうでなければあんな恋は演じられない。しかし、マヤと共演してマヤの演技力に触れると桜小路とは何もないのだと、あれは、まさに凄まじい演技だったのがわかった。次回公演では桜小路が一真役をしないという。二人がコンビを解消する。あんなに息が合っていたのに。谷崎には理解出来なかった。谷崎は二人に何があったか知りたくなった。


谷崎は桜小路優があるパーティに出席するとわかると自分もそのパーティに紛れ込んだ。
それとなく桜小路に近づき、話しかけた。

「ねえ、君、桜小路君、『紅天女』の一真役さあ、難しかった?」

「えっと?」

「俺、谷崎透、今、北島さんと共演してるの。彼女凄いよね。次の紅天女、また共演するんでしょ。羨ましいな。彼女みたいな芸達者と共演出来て」

「いえ、次回はというか、もう、僕は出ないんです」

「どうして、演劇界の名作と言われた劇にどうして出ないの? あれに出られるだけでステータスなのに! 北島さんと何かあったの?」

桜小路は太い眉を寄せ、谷崎から視線をそらせた。

「いえ、何も……、ただ……。あなたも共演したならわかるでしょう。彼女の演技は共演者を引きずり込むんです。演技が、芝居が、本物になるんです。僕は魂の片割れと出会って恋に落ちたと思うのに、彼女にとってはただのいい芝居仲間でしかないんです。そのギャップに耐えられなくなって……」

「芝居と現実とが混じっちゃったんだね」

「ええ、そういうわけで彼女との共演はもっともっと時間が立たないと無理だと思います」

「でも、あの演技、北島さん、君に恋をしているように見えたけどなあ」

「彼女、好きな人がいるんです。『紫のバラの人』と言って昔からマヤちゃんを援助しているファンの人で、マヤちゃん、その人が好きなんです。僕らも世話になってるんです、劇場を修理してくれて……」

桜小路は谷崎に「紫のバラの人」がどんな風にマヤを影からささえて来たか話した。

「ああ、そう言えば、ドラマの収録中にも来てたなあ、紫のバラ」

「でしょ。でも、『紫のバラの人』は決してマヤちゃんと会おうとしないんです。どうして、一度も会った事のない人に恋が出来るのか、僕には理解出来ない」

谷崎はそれを聞くと、適当に言い訳を言ってその場を離れた。
谷崎はマヤの性格から言って、二股や三股をかけられる女ではないと分かっていた。では、マヤが「紫のバラの人」に恋をしている以上、「紫のバラの人」は速水以外には考えられなかった……。そして、長年に渡りマヤを支えて来た以上、速水もマヤを好きなのではないかと思った。只のファンがマヤを高校に進学させたりするだろうか? ここで、谷崎はマヤの母親の暗い話を思い出した。

「ふーん、俺にもチャンスがあるかな……?」

谷崎は一人言を言った。





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