恋物語    連載第7回 




 速水は水城にスケジュールを確認した。

「そうですね、夕方からのスケジュールは、十二日、二十日と空いていますが……。社長、十三日は紫織様の月命日ですので……」

「ああ、もう一ヶ月経つのか、早いな」

「はい、毎月ですので……、鷹宮グループとの提携は順調です。いきなり、切られるという事もなく取り敢えず現状維持が続いています」

「これからだな、徐々に減らされるだろう」

「社長、社長がそのような気の弱い事を言われては困ります!」

「水城君、現状を正しく認識し、その後で今後の戦略を練るべきだ。精神論でビジネスに勝てるわけがないからな。俺は現在の大都と鷹宮グループの関係を正しく認識しているだけだ」

「失礼致しました」

「十三日に鷹宮邸を訪問する。用意をしておいてくれ」

「はい」

速水はマヤに十二日の夜、会わないかとメールを打った。マヤはすぐに返信した。

「はい、楽しみにしています」

「十二日夜7時、夜桜を見ながら食事をしよう」


十二日、速水はマヤを銀座の料亭に連れて行った。
その料亭には素晴らしい日本庭園があり見事な桜が何本も植えてあった。
通された座敷でマヤと速水は座卓を挟んで対面に座った。
日本酒を出されたが、マヤはまた迷惑をかけたら申し訳ないからと酒を拒んだ。

「ちっとも迷惑じゃないさ。さ、飲んでくれ。君は飲むとますます面白くなるからな」

「もう、速水さん、からかわないで下さいよ」

「いいから、ほら」

マヤは速水が差し出す酒を杯で受けた。普通の日本酒よりとろりとしているように感じた。口に含むとぱあっと香りが鼻腔を満たした。

「これ、おいしい」

「気に入ったか、これは、生原酒。火を通してない日本酒でな。香りが強い。空豆の先付けとよく合う」

「ホントだ。おいしい」

マヤは嬉しそうに飲んだ。二人は杯を重ねた。


二人が通された座敷は、照明がおとしてあり、ライトアップされた桜がよく見えた。遠くで宴会をやっているのだろう、わずかに喧噪が聞こえる。
速水はマヤの明るい表情を見た。屈託がない。
速水はやはり不思議な気持ちになった。何故、こんなに屈託がないのか、速水は釈然としなかった。

「速水さん、桜がきれいですね。明日はお休みですか? お休みだったら、昼間の桜も見に行きませんか? ここの桜も素敵だけど」

マヤは酒が入ったからか、饒舌になっていた。

「すまないな、明日は用事があるんだ」

「お仕事ですか? 日曜日なのに?」

「……紫織さんの月命日でな、鷹宮家の墓にお参りに行くんだ。その後、鷹宮翁、紫織さんのおじいさんと話をするんだ。たった一人の孫娘を亡くしてすっかり落ち込んでいらしてな。かなり立ち直ってきたが、月命日にはいろいろと思い出すらしくてな、俺と話すと多少は気が晴れるようだ」

マヤは黙った。ふと、涙が浮かんだ。その涙は若くして亡くなった紫織に対する物なのか、孫娘を亡くした祖父に対する物なのか、定かではなかった。

「泣いてくれるのか、紫織さんの為に……」

「……、だって、まだ、あんなに若くて……」

「ああ、そうだな……」

「速水さん、あの、婚約者をなくされて……、なんて言ったらいいか……」

「……、俺は大丈夫だ」

「でも、まだ、紫織さんを忘れられないんでしょう、あ、愛しているんでしょう」

マヤは言いながら心がずきずきと痛むのがわかった。
速水は黙ったままだ。

「速水さん、喪に服してますよね。だから、あたし、紫織さんの事、忘れられないんだろうなって……」

マヤははらはらと涙を流した。速水は黙ってハンカチを差し出した。
マヤはハンカチを受け取ると目頭を押さえた。
速水は、立ち上がると縁側に立った。

「チビちゃん、来てごらん、月がきれいだ」

マヤは涙を拭うと速水の隣に立ち、速水と同じように空を眺めた。綺麗な三日月が空にかかっていた。
桜の花。満開の桜の花。その上にかかる霞のかかった三日月。

「マヤ、君の涙は綺麗だな。純粋で……。俺は紫織さんが死んだ時、泣けなかった。俺は……、紫織さんを嫌いではなかった。だが、愛していたかというと、正直わからない」

「え!」

「いや、今のは違うな。俺は愛していなかった。紫織さんを……」

「でも、でも、凄くお似合いで……、速水さん、すっごく優しそうな目で紫織さんを見てましたよ」

「こんな感じか……」

速水はマヤに笑いかけた。マヤはドキッとした。一歩後ろに下がる。月灯りの下、濃く蒼い空をバックに、わずかに影になった速水の笑顔は刀の刃のように怜悧だった。

「やだ、速水さん、また、からかって……」

マヤは耐えきれずに下を向いた。

「俺はいつでも、どんな時でもその場で最もするべき態度を取れるんだ。君に取っては舞台でかぶる仮面を俺は日常的に被っている。そうだな、君といる時は外せる。君は安心できるからな」

「……、じゃあ、紫織さんの前でも被っていたんですか?」

「ああ、婚約者の仮面をな。くくく、みな、すっかり騙されていた。今でもだ。皆、俺が喪に服していると思っている。それでも……、俺は紫織さんを愛する努力をした。婚約者だからな、愛さなければと思った」

「……!」

「驚いているのか」

速水はマヤを見下ろした。ビックリした顔をするマヤがいる。月の光に真っ黒な瞳が濡れたように光っている。

「速水さん、鬼みたい」

速水は苦笑した。

「鬼か、まったく、俺の悪口はすらすら出てくるんだな」

「ううん、悪口じゃない。桜の森に住む鬼みたいだなって……」

「怖いか?」

「今日の速水さん、変! どうしたんです? どうして、紫織さんを愛してないなんてあたしに言うんですか?」

「俺のどこが鬼なんだ?」

「聞いているのはあたしです」

「答えてくれたら、教えてもいい」

「う、もう、……あんまり冷たくて孤独で……、えっと、凄まじいから……」

「凄まじい?」

「桜の満開の時ってキレイ過ぎてなんだか魂を持って行かれそうじゃないですか。速水さんの今の笑顔ってそんな感じ、うまく言えないけど……」

「そうか……」

桜の鬼かと速水は口に出さずに思った。

「そうだな、桜が満開だからな。君の言う通り、夜桜は危険だな。危険だから人は集まってかがり火を焚き大勢で騒ぐのだろう。鬼に魂を持って行かれないように……」

速水は混ぜっ返した。マヤの魂を持って行けるなら持って行きたいと……、速水はその思いをマヤに悟られたくなかった。
そんな速水をマヤは見つめている。

「……」

マヤが速水の顔に手を延ばした。速水は一瞬、マヤの手が頬にあてられるのではと思った。速水もまたマヤの手を包もうとした瞬間、マヤは速水の鼻をつまんだ。

「痛! 何をする!」

速水は鼻を押さえた。速水の端整な冷たい笑顔が消えた。鼻を押さえ痛そうにしている速水に霊力はない。痛み歪んだ顔は人の顔だ。

「へへへ、これで大丈夫! 鬼はいなくなりましたよ!」

マヤが得意そうに言う。鬼の首を取ったとはこの事だと速水は思った。笑いが込み上げる。

「くくく、はーっはっはっはっはっは」

速水は笑い転げた。苦しい息の下から言う。

「君には適わんな、そうだな、これから俺に鬼が取り憑いたら君に退治して貰おう、さ、飲み直そう」

二人は座卓に戻り、もう一度、杯に酒を注いだ。二人で一気にあおる。二人は目を合わせると笑い出していた。

マヤは飲みながら思った。明日が紫織の月命日で鷹宮家に行かなければならないのが速水には辛いのかもしれないと……。
冷血漢と言われながら、本質に優しさを備えている速水が紫織の死に対して何も思わない訳がない。マヤは速水の心中を思った。


マヤは酒がすすむと今までやった役が降りて来た。

「私はアルディス、春の女神の娘、桜の美しさに乾杯しましょう」

「おまえさま、もう一杯ついでたも」

速水は目の前にくるくると演じられるマヤの芝居に拍手喝采した。
そして極めつけは!
満開の桜。美しい月。マヤにジェーンが降りて来た。
四つん這いになり、ふんふんと辺の匂いを嗅ぐ。座卓を回って速水の側へ。ふんふんと速水の匂いを嗅ぐ。速水は面白がってからすみを一枚マヤに差し出した。速水の手からはぐはぐと食べるマヤ。さらに速水の手をペロペロと舐める。マヤ=ジェーンはやおら速水の太ももに手を置くと首をのばし速水の唇をぺろっと舐めた。マヤに尻尾があれば思いっきり振っていただろう! 速水は慌てた。

「マヤ!」

「わおん」

咄嗟にマヤをつかまえようとする速水。マヤはさっと速水の腕をかいくぐって縁側に出た。月に向って吠える。喜びの遠吠え!

「うぉおおおおおーん」

周りの座敷から聞こえて来ていた喧噪が一瞬止む。人々がなんだなんだと騒ぎ始めた。
速水はさーっと酔いが醒めるのがわかった。

「チビちゃん、やめ!」

速水はマヤの口を塞ぐと大急ぎで料亭から逃げ出した。





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