恋物語    連載第8回 




 翌日、速水は鷹宮邸を訪れた。鷹宮翁と共に紫織の生前の思い出を話し合う。
鷹宮翁は年を取ったとはいえ、まだまだかくしゃくとしており権力の座に堂々と君臨していた。
翁の機嫌を取るのは速水にとって仕事の一部だったが、今日は違った。
昨日、マヤの純粋な涙を見た速水は、鷹宮紫織を義父に押し付けられた婚約者ではなく、一人の若い女性と考えた。
若く美しい盛りに死んで行った気の毒な女性。そう考えると自然に沈痛な想いが込み上げて来た。

「鷹宮翁、紫織さんは優しい方でした。僕が手に怪我をした時、ハンカチを巻いてくれました。優しい……」

速水はふと、涙ぐんだ。

「真澄君……」

鷹宮翁が驚いたように速水を見た。

「儂は君が冷たい男だと思っていた。紫織が一方的に好きになったのではないかとな。だが、君は半年経ってもこうして月命日には必ず来てくれる。今また、紫織の為に涙してくれる。儂は君を誤解しとったよ。真澄君、ありがとう……」

鷹宮邸を辞したのは遅くなってからだった。
速水はマヤの顔が見たくなった。鷹宮紫織の死という深淵に向かい合った後は、マヤの太陽のような明るさに魅かれた。
速水は運転手に満月荘へ行くように指示した。


速水が満月荘に着くと、マヤの部屋に灯りが見えた。携帯で呼び出す。
マヤが嬉しそうに満月荘から出て来た。
速水はマヤを散歩に誘った。
満月荘は以前のアパート白百合荘から1キロ程川上にある。二人は河原の土手に座った。河の流れる音、遠くを行き交う車の音が静寂に吸い込まれて行く。
速水は月を見上げた。昨日より少し太った三日月。日々変化する月。いや、変化する月の影。
人もまた変わって行く。しかし、変わらない魂もある。

「マヤ、鷹宮邸に行って来たよ。鷹宮翁も随分元気になられていた。一時は憔悴していたんだが……。
 今日はなんだか、素直になれてな。君に鬼を退治して貰ったからかもしれんな」

「いいえ、そんな……。もともと、速水さんは鬼じゃないし……」

マヤは速水になんと言ったらいいかわからなかった。

「マヤ、昨日、何故俺が紫織さんを愛していないと君に言ったか、まだ話してなかったな」

「……」

「君が誤解しているようだから、誤解を解きたかった。それだけだ」

マヤは速水を見あげた。昨日と違って、速水は憑物が落ちたような顔をしている。

「そんなの、おかしい……」

「なにが」

「だって、速水さんにとって、あたしなんて……」

「なにが、『あたしなんて』なんだ」

マヤは躊躇った。俯き手元を見る。

「あたしなんて……、ただの駆け出しの女優ですよ。演技以外なんにも出来ない……、あたしが誤解してたってどうでもいいんじゃないんですか?」

「くくく、いや、君は面白いよ。君といると退屈しない。これからも付き合って行くのに誤解されたままだとな」

マヤはどきーんとした。顔が熱くなる。

――これからも付き合って行く? これからも?

マヤがどきどきしているとも思わず、速水はマヤをからかいたくなった。

「君は昨日の事を覚えているか?」

「あ! すいません、また、酔っぱらっちゃって!」

「君は……、ジェーンになったんだ。俺の手からからすみをおいしそうに食べたんだ。それから、俺の手をぺろぺろと舐めてな」

速水はくすくすと笑った。

「な、なにが、おかしいんです」

「いや、君は酔うと、いままでやった役を演じるのか?」

「あの、あたし、速水さんは信じないでしょうけど、他の人と飲みに行った時は、正体がなくなるまで飲んだ事、ないんです。どうしてかな、速水さんと飲むと、飲み過ぎちゃって!」

「そうか……、一つ注意しておく、俺以外とは飲み過ぎるな。君は……、ジェーンになって俺の口元を舐めたんだ。嬉しそうに!」

「嘘!」

マヤはパニックになった! いや、大パニックだ!

「キ、キ、キ、キスしたんですか? あたしが? 速水さんに?」

速水は予想通りのマヤの反応に笑い出していた。

「はっはっは……! ああいうのは、キスとは言わない。犬が飼い主の口元をぺろぺろと舐めるだろう。あんな感じだった。スチュワートの唇を舐めてる感じだったんじゃないか?」

「ああ、もういや、なんてことしちゃったんだろう、あたし!」

マヤは顔を真っ赤にして両手で頬を押さえた。思いっきり自己嫌悪に陥る。

「俺は君がジェーンになっているのがわかったからいいが、他の男にすると完全に誤解されるぞ。決して酔いつぶれる程、飲むんじゃないぞ! わかったな」

「はい、ホンットにすいませんでした。以後、気をつけます!」

マヤは速水に深々と頭を下げた。速水はくすくすと笑いながら言った。

「しかし、役得だったな。君にキスされるとは! さ、送ろう。付き合わせて悪かったな」

速水は立ち上がった。
速水はマヤに手を差し出した。速水はマヤが自分の手を取るだろうかと思った。マヤは素直に速水の手を取った。速水はほっと、心が暖かくなった。
一方、マヤはまだまだパニックに陥っていた。頭の中でキスという言葉がリフレインする。頬は真っ赤になったままだ。パニック状態で速水の手を取り立ち上がる。速水の顔が真近にあった。

「速水さん、あんなのはキスじゃないって言ったじゃないですか。あたし、キスしてませんから! あ、あなたの口元を舐めただけです!」

「そうだな、あんなのはキスじゃない。だったら、俺も君の唇を舐めていいか?」

速水が身をかがめた。速水の目がマヤの唇を彷徨う。
マヤは目を丸くした。顔だけでなく、全身真っ赤になる。何も言えない。動けない。マヤは固まった。

「くくくく、いや、すまない、チビちゃん、からかい過ぎた。さ、行こう」

速水はマヤの手を引いて歩き出した。マヤは速水の背中を見つめて歩いた。

――速水さん、紫のバラの人、お願い、あたしを子供扱いしないで……!

マヤは歩きながら聞いた。

「速水さん、次はいつ会えますか?」

速水は不思議だった。マヤが次はいつ?と聞いて来る。理由を考えて、速水はあまりに身勝手な想いに自分の憶測を打ち消した。

「水城君にスケジュールを確認するよ……、チビちゃん、電話してもいいか、メールじゃなくて……」

マヤの顔がぱっと輝いた。

「……、いいですよ、いつでも!」

二人は河原の土手を手をつないで歩いた。少し太った三日月と一緒に。





続く     web拍手 by FC2       感想・メッセージを管理人に送る


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