恋人   連載第2回 




 鷹宮紫織は客船アストリア号から速水真澄が下船してくるのを待っていた。
乗客達がほとんど下船したというのに速水はまだ姿を現さない。

(真澄様、どうかわかって下さい。
 紫織はあなたと絆を深めたかったのですわ。
 はしたないなんて思わないで!)

そんな想いで待つ紫織の眼にやっと速水真澄が映った。

(真澄様!)

思わず、紫織は一歩前に出た。
速水もまた、紫織に気がついたようだ。
が、その瞳は無表情で何も映してはいない。
そして、紫織が驚いた事に速水の後ろに北島マヤがいるのが見えた。
二人は手をつないでいる。
紫織は自身の顔色が青ざめるのがわかった。
二人は紫織にゆっくりと近づいて来た。

「真澄様……、マヤさん、何故あなたが!?」

マヤが答える前に速水が答えていた。

「彼女はあなたに会いに来て、船から降りれなくなったんです。紫織さん、これを」

速水は紫織に二つに破いた小切手を差し出した。
紫織はぎょっとなった。

「あなたが、滝川を使って黒沼さんに届けさせた小切手ですよ。
 僕が破いて置きました。
 黒沼さんに金を渡して北島が僕やあなたに近づかないよう見張るように言ったそうですね。
 北島に会えなくなると僕が困るんですよ」

紫織は震える指で速水から小切手を受け取った。指先が冷たくなっているのがわかる。

「北島があなたに話があるそうです。さあ、マヤ」

「は、はい、あの、紫織さん、あたし、あなたの指輪を盗んだりしてません。
 どうしてあたしのバックに入っていたか、わからないんです。
 バックを落とした時、中身を拾ってくれたでしょう、紫織さん。
 指輪のサイズが緩いって言ってたから、その時、抜け落ちたんだと思います。
 あの……
 それにブルーベリージュース。どうしてドレスにかかったのか本当にわからないんです。
 わざとかけたりしてません!
 それに、それに、あたし速水さんの事、もう、恨んでなんかいません!
 だから、速水さんの婚約者の方に、嫌がらせしたりしません。
 本当です。信じて下さい!
 小切手は受け取れません。
 あたし、そんな人間じゃありません!」

マヤは必死になって、紫織に訴えた。紫織が黙っているのを見て速水が口を開いた。

「紫織さん、僕からもお願いします。
 彼女はそんな子じゃありません。
 小切手等を渡す必要はありませんよ」

紫織は焦った。

(真澄様が、真澄様がこの子をかばうなんて……)

紫織の顔はさらに青ざめ唇が震えだした。それでもようやく声を出していた。

「ま、真澄様がそうおっしゃるなら……」

紫織は思った。

――この間は、真澄様は私の思惑通りマヤさんを非難したのに。
  くやしい! 真澄様がこの女の味方をするなんて!

それでも真澄の手前、紫織は自身の気持ちを押さえ込み震える声で言った。

「マヤさん、私、誤解してしまって……。
 悪かったわ……、ごめんなさいね」

そんな紫織に対してマヤは明るく答える。

「わかってくれたらいいんです!」

マヤは晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。

その時、バイクの音がした。桜小路である。
すでに船が着いているのを見た桜小路は、行き違いになったのではと危惧していたが、マヤ達を見つけてほっとしたようである。
喜々として近づいてきた。

「マヤちゃん!」

マヤに声をかけた桜小路に、速水が話しかけた。

「桜小路君、ちょうどいい、マヤを送ってやってくれ」

「え! 速水さんは?」とマヤが驚いて振り返った。

「マヤ、桜小路君と一緒に帰りなさい。僕は紫織さんと話がある」

桜小路に連れられて帰るマヤ。速水が愛おしそうに見送る。



残された速水と紫織はその場に立ち尽くす。
紫織は、とにかく話さなければと思った。

「あの、真澄様、私…」

「紫織さん、あなたに話があります。
 ここでは人目があります。
 さ、車に乗って」

紫織を車に乗せ自身も車に乗り込むと速水は、運転手に降りるように言った。
紫織と二人になる。

「紫織さん、一体何故こんな事をしたんです?」

「こんな事って?」

「ワンナイト・クルーズですよ」

速水の冷たい瞳。
紫織は初めて真澄を怒らせた事を知った。
紫織は俯き逡巡した。それでも、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「あなたが、マヤさんを命がけで守ったからですわ……」

速水は驚いた顔をして紫織を見た。
紫織は涙を浮かべて速水を見上げる。

「だって、あなたは仕事ばかり。
 私とのデートはいつもおざなり。
 それなのに、マヤさんは自分の命までかけて守ろうとする。
 わかって下さい! 真澄様!
 私は、あなたを私一人の物にしたかったのです!
 一晩一緒に過したら、あなたの心を私だけの物に出来ると……
 マヤさんを忘れさせられるって思ったんです」

「紫織さん……。
 あなたにそんな思いをさせていたとは……。
 申し訳ない。
 本当に心からお詫びする」

速水は頭を下げた。
紫織は急いで言葉を継いだ。

「いいえ、いいえ、私、謝ってほしくて、言ったわけじゃないんです。ただ、わかってほしいんです。私の気持ちを……」
 
速水は逡巡した。婚約解消を言うべきか……。

「紫織さん、すまない。
 あなたの気持ちを僕はわかって上げられない。
 紫織さん、本当にすまない。
 ……婚約を……、解消しましょう」

「真澄様! 今、今なんて?」

「婚約を解消させて下さい。紫織さん」

「何故です? 教えて下さい。理由を!」

紫織ははっとした。

「マヤさんね。マヤさんと夕べ何があったんです!」

「マヤは関係ない。
 僕は今回の件で悟ったのですよ、あなたと結婚は出来ないと……。
 あなたは素晴らしい人です。優しく聡明で美しい。
 婚約者として申し分のない人だ。
 あなたの気持ちに早く応えようと思っていた。
 だが、あなたの用意したスィートルームを見て……。
 あなたをこの腕に抱く事は出来ないと……。
 すまない、紫織さん。
 婚約の解消を……」

「ひどい!
 でも、だめですわ。私、一晩中、ここでお待ちしてましたの。
 だって、そうでしょう。
 家の者には、今夜は真澄様と一晩過すって言って出たんですもの。
 どうして、家に帰れます?
 私とあなたは一晩一緒に過した事になっていますわ。
 お父様にも、おじい様にも……。
 まさか、一晩一緒に過した私と婚約を解消するなんて、言いませんわよね!」

「!」

「あなたは私のものですわ」

紫織は、涙声で真澄にそう告げた。声が震えている。

「あなたは、僕を罠にはめたのか!」

「だって、そうしなければ、あなたは、あなたは……」

紫織は感極まって泣き出した。

「……紫織さん、僕はもうこれ以上、自分の心を騙せない。
 あなたを愛せないんだ、紫織さん、頼む。わかってくれ」

紫織は、首をふりいやいやをしながら大声で泣きじゃくる。

「あなたが、婚約の解消を言わないのなら、仕方がない。
 僕の方から婚約の解消をご両親と鷹宮翁に話しましょう」

真澄は、泣きじゃくる紫織をおいて、車の外に出た。
滝川と運転手が、控えている。
真澄は二人に話が終わった事を告げ、深くため息をつくとタクシー乗り場へと向った。





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