恋人   連載第5回 




 速水真澄は鷹宮紫織から婚約解消の使者が来るのを待つべきかと思ったが先手を打つ事にした。
朝倉に使者を立てるように言う。

「紫織さんから婚約解消をいわれたよ。
 先日、北斗プロに襲われただろう。
 ああいう暴力沙汰に巻き込まれるのは嫌だそうだ」

英介はカンカンに怒ったが、紫織の気持ちが真澄から離れた以上どうしようもなかった。
朝倉は、口の中でぶつぶつと苦情を言ったが、仕方なく言われた通りにした。
こうして、鷹宮紫織と速水真澄は婚約を解消した。
鷹通との業務提携の見直しが、鷹通側から起きるだろうと予測したが、これも起きなかった。
真澄は多少、不信感を持ったが、鷹通は一流企業なので経営者サイドのプライベートな事情でビジネスが左右される事はないのだろうと結論づけた。



次の休みの日、二人は速水の伊豆の別荘へ向けて車を走らせていた。
マヤは、はにかむような笑顔を浮かべ車を運転する速水の横顔を見つめる。

「速水さん、あの記事、一体誰が書いたんですか?
 あんな、インタビュー、あたし、受けたおぼえないのに!」

「松本君じゃないのか?」

速水はそう言って、マヤに微笑みかけた。

「あ!」

マヤは合点がいった。
そうだ、もちろんそうなのだ。
聖さんが書いた記事なのだ。
アストリア号での出来事。
真実をほんの少しまぜて、本当の出来事を隠したのだ。

「聖さんには、とってもお世話になって……」

「彼も喜んでいたさ!」

そんな会話をしている間にも、車は伊豆半島へ向う高速道路を南下していった。



その日の朝、マヤは支度をしてアパートの前で待っていた。
伊豆までのドライブ。
真澄は、渋滞に巻き込まれないよう朝早く出発しようとマヤに言っていた。

「じゃあ、明日の朝、7時に迎えに行く」

真澄の言葉がマヤの中で繰り返される。
マヤは眠れなかった。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しすぎて、眠れなかった。
伊豆の別荘に真澄と二人で行く。
マヤはわくわく、いそいそと支度をした。
同居人の麗に速水さんに誘われたと言ったら、目をむいて驚いた。

「あんた、正気かい! あの速水真澄だよ。あんたの母親の敵じゃないか!」

「麗、あのね、あの、速水さんが『紫のバラの人』だったの」

「『紫のバラの人』!!!、あの速水真澄が!!!」

「麗、あたし、あたし、速水さんが好き……」

「上演権の為じゃないのかい。あんたから取り上げる為にさ」

「ううん、速水さんはそんな人じゃない。あたしにはわかる」

麗はため息をついた。

「……マヤ、あんたが好きなら仕方ないね。明日は楽しんでおいで」

麗はそれきり何も言わなかった。


マヤがアパートの前で待っていると、遠くから聞き慣れないエンジンの音がした。
次第に近づいて来る。
それは朝靄の中から現れた。


Mercedes-Benz SLR McLaren Roadster
  メルセデス・ベンツ SLR マクラーレン ロードスター 



銀色に輝く二人乗りのスポーツカーである。

マヤも麗も唖然としてゆっくりと二人の前で止まる車を見ていた。
スウィングウィングのドアがしずしずと上に開く。
中から速水真澄が降りてきた。
マヤを迎えに来た速水に、麗は驚きを隠せなかった。
いつもはスーツをビシッと決めている速水だったが、今日は違う。
ベージュの綿パン。焦げ茶のコーデュロイのジャケット。白系ボタンダウンのコットンシャツ。
カナリアンゴールドのアスコットタイをしている。
普段より格段に若々しい!
その速水がロードスターの前に立った様は、メンズファッション誌のグラビアを思わせる。
最愛の彼女との別荘デート。速水の気合いが伺われた。

マヤは、お気に入りのワンピースにボレロを羽織っていたが、速水の迫力に思わず後ずさった。

「マヤ、迎えに来たぞ! うん? どうした? 何を驚いている?」

「速水さん、その車!」

「ああ、気に入ったか?」

「と、扉が!」

「ああ、変わった車だろう、上に開くんだ。オープンカーにもなるぞ!」

マヤとは逆に、速水は唖然とするマヤをしげしげと見つめた。

「……マヤ、……そのワンピース、よく似合ってる!」

横で聞いていた麗は、これがあの速水真澄かと思った。
頬を染めてマヤのワンピース姿を褒める速水社長。
褒められたマヤもまた頬をそめている。
一生懸命おしゃれをした姿を想い人に褒められてすごく嬉しそうだ。

「あの、あの、速水さんの方が素敵!」

「ははは、そうか」

麗は速水社長が照れる姿を初めて見た。
麗は夢かと思い、頬をつねった!
が、痛いだけだった!

――熱い! なに、この熱さ! それに、それに、空気がピーンク! ハートが飛んでる!!!

こっちがあてられると、麗はぱたぱたと手のひらで風を送った。

「じゃあ、青木君、マヤは明日の夕方送り届けるから」

「は、はい、マヤを宜しくお願いします」

「さ、乗ってマヤ、大丈夫だ。普通に乗っていいから……」

速水は運転席に座り、マヤの乗るのを待った。
マヤが恐る恐る乗る様子に真澄がくすくすと笑い出す。
マヤが乗り込みシートベルトを締めると扉が静かに降りて来た。
真澄が車のキーを回した。エンジンが始動する。ゆっくりと車が動き始めた。
マヤは車の中から麗に向って手を振った。
車は静かに走り出した。



そして、今、ロードスターは真澄の別荘に向って秋の陽光の中を走っている。
海が碧い。
真澄は電動ソフトトップのスイッチを入れた。
ルーフがあっという間に折り畳まれ、車はオープンカーに変身する。

「きゃあ!」

マヤが歓声を上げる。

「凄い凄い! 速水さん、これ、凄い!」

「もっと凄いぞ、つかまってろ!」

真澄はギアをトップに入れ、ロードスターを加速させた。
イグゾーストノートの音が辺りを満たす。

「きゃああ!」

マヤがもう一度、歓声を上げた。

銀色の車体は、恋人達を乗せて海への直線道路を疾走した。





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