恋人   連載第6回 




 かもめが一羽、伊豆半島の上空を飛んでいる。
遠くから響いて来るロードスターのエンジン音。
かもめは大した興味もなかったが、それでも、銀色に光る車体に目をやった。
エンジン音に少し驚いたもののすぐに興味を失い、餌である小魚を求めて海の上を滑空した。

一方、美しい銀色のロードスターは、滑り込むように別荘の前に止まる。
男は、シートベルトを外すとオープンカーから扉を乗り越え降り立った。
少女はシートベルトに手を焼いている。
男は速水真澄。この別荘の持ち主である。
車の反対側に回ると、愛する恋人の為にシートベルトをはずしてやった。
ついでにドアを開けてやる。
車の外に降り立ったのは北島マヤ。
崖の上に立つ古い別荘は、静かに二人を迎え入れた。



真澄は、別荘の中をマヤに見せてまわった。

「わあ、素敵! 素敵!」

マヤが歓声を上げる。

「一階は居間がメインだ。こっちが書斎。
 寝室は二階だ。
 君の部屋は二階の奥だ」

真澄はマヤを二階に案内した。

「俺の部屋は隣だ。これから着替えて浜まで降りよう。
 クローゼットは自由に使ってくれ」

真澄はマヤにそういうと、隣の部屋に消えた。
マヤは、荷物を置くと早速、短パンとTシャツに着替えた。パーカーを羽織る
部屋を出ると、真澄が階下で待っていた。
真澄は、短パンの裾からすんなりとのびたマヤの足を眩しそうに見上げる。

二人はランチボックスを持ち、浜への小径を歩く。
マヤは海を見ると嬉しさのあまり走り出していた。

「マヤ、走ると転ぶぞ!」

と真澄は笑いながら嗜めた。

浜辺に着いた二人はビーチサンダルを脱ぎ捨て裸足になった。
マヤは波に足をひたし、歓声をあげる。

「きゃあ、冷たい!」

「ははは、さ、こっちだ」

真澄は、浜辺の端にある岩場へマヤを案内した。
岩場は濡れていて滑りやすい。
マヤがバランスを崩した。

「おっと……」

マヤを受け止める真澄。
思いがけず、真澄の顔が間近にせまったマヤは、頬を染める。
一瞬、見つめ合う二人。
マヤは、大丈夫と口の中でもごもごいいながら、速水の腕から逃れた。
カニの巣を見つけると、マヤは照れくささをカバーするように大声をだした。

「あ! いた、カニさん!」

真澄もまた、照れを隠すように、マヤの隣にたって腰をかがめた。
数匹のカニがちょこまかと動いている。ぶくぶく、泡を吹いた。
二人目を見合わせた。どちらからともなく笑い出す。
気まずさが、カニのあぶくと共に消えていた。

お腹が空いた二人は、ランチを食べる事にした。
浜辺にはビーチパラソルが立てられている。ビーチチェアに低いテーブルも用意されていた。
あらかじめ別荘番が用意したものだろう。
二人はビーチチェアに腰掛けると、早速、ランチをぱくついた。

ランチを食べおわった二人は、ビーチチェアに寝っころがる。
浜風が気持ちいい。
潮の香り、ビーチパラソルを通して太陽の熱が感じられる。
二人は幸福だった。
夕べ嬉しくて嬉しくて眠れなかった二人は、ついうとうとと眠りについていた。



マヤは、真澄の声に眠りからさめた。

「……え、なにぃ……」

「マヤ、日が陰ってきた。別荘に戻ろう」

「う、うん……」

眠たげな目を真澄に向けたマヤが一言ささやいた。
真澄はその言葉に、喜びを隠しきれない。

「……真澄さん……」

恋人に名前を呼ばれる。
真澄の胸が熱くたぎる。
思わずマヤを抱きしめた。
マヤの頬に自らの頬を寄せる。
吐息が洩れた。

――マヤ……

言葉にならない言葉を二人は交わす。
真澄はマヤの唇にそっと口付ける。
マヤの柔らかな唇。
舌で優しくなめてみた。
汐の香りがする。

マヤもまた真澄の首にまわしていた腕に力をこめる。
真澄の髪に指を絡ませた。
真澄の唇からは汐と煙草の香りがする。
やがて、二人は互いに深く、口付けをしていた。
2度目のキス。
1度目のキス、アストリア号でのキスは魂のキス。
2度目は……、官能のキス。

真澄はマヤのぎこちない動きに気がつかない。
男の本能が目覚め、マヤの唇を本能のままにむさぼり始めた。

マヤの胸が熱くなる。
鼓動がはやくなり、全身にしびれが走る。
胸の先端にいままで感じた事のない感覚が訪れた。
背中にまわされた速水の手のひらの熱さ。
それに劣らない自身の熱が、自分自身だけでなく真澄をも熱く溶かしてしまいそうに思った。




真澄の唇がマヤから離れた。
マヤが怪訝そうに見上げると、真澄が掠れた声で言った。

「……マヤ、さ、もどろう」

マヤは素直にうなづいた。
が、体はすぐに動かない。
それでも、何かのスィッチをいれるように、マヤは気だるさを振り払った。



真澄は立ち上がり、マヤに手を差し出した。
マヤは真澄の手を取り立ち上がる。

「速水さん、パラソルはこのままでいいんですか?」

真澄は、マヤが再び、速水さんと自分を呼んだのを淋しく思ったが、ほっとしたのも事実だった。
つい、彼女の優しさに溺れて深いキスをしてしまったが、真澄にはまだ、11歳年下のマヤが、保護すべき子供ではないのかという危惧が消えない。
男として彼女を愛していいのか?
彼女は若く、これからの人生なのに、それを俺のような三十過ぎた男が摘み取っていいのだろうかと躊躇する。
彼女と人生を共にする。
真澄の見果てぬ夢である。
しかし、彼女はどうなのか?
彼女は俺が「紫のバラの人」だと知っていた。
だから、愛してくれたのか?
彼女の母を死に追いやった事実が時々真澄の頭を掠める。
マヤと深いキスを交わした後も、彼女が真澄の名前を呼び、真澄をうっとりと見上げても、それでも、まだ、真澄はマヤの気持ちを計りかねた。

「速水さん……?」

「あ、ああ、そうだな、パラソルはたたんでおこう。風で飛ばされるかもしれない」

二人はパラソルをたたみ、あたりを片付けると別荘に戻った。
別荘への上り道を二人で並んで歩く。
真澄の手とマヤの手はつながれている。
真澄は、さっきの疑問をもう一度、繰り返した。
もう一歩踏み込んでいいのだろうかと。
そう思いながら、マヤを振り返ると、無邪気な笑顔が待っていた。
ああ、そうだとも……。彼女なら大丈夫だ。
春の優しい太陽ではなく、真夏の太陽に身を焼かれても、この笑顔は変わるまい。


――マヤ、俺の恋人……。





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