紅の恋 紫の愛    連載第13回 




 一方、黒沼組の稽古は佳境を迎えていた。
桜小路の左足の怪我は治っていた。
しかし、黒沼はむしろ怪我をした一真を演じさせよりリアルな演技にしようとした。
桜小路は黒沼の期待によく応えた。
二度と一真役を演じられないのではという絶望感が桜小路を役者として成長させていた。

マヤもまた、桜小路と二度と紅天女を演じられないのではないかという思いが阿古夜の演技に深みを与えた。
いつも、いつでも、只一度だけ。
どの練習も、どの舞台も一期一会。
マヤはするりと悟っていた。

そして、速水との恋がマヤの演技を更にリアルにした。

一真に向って「おまえさま」という一言に。
「おまえさまを好きじゃ」という一言に。

バラ色に輝く頬と潤んだ瞳。
恋する乙女の華やかな輝き。

桜小路はマヤの変化を悲しみと苦みと共に受け止めた。
マヤを女らしく変化させた速水に対する焼け付くような嫉妬。
速水の愛を受け急速に女らしさを開花させていったマヤに対する悲しみ。
嫉妬と悲しみ、それを凌駕する舞台への執着。
何もかもを乗り越え、それでもマヤを愛さずにいられない自分自身を持て余す。
そして、その総てが一真の演技となった。

黒沼は、そんな二人の変化を芝居に反映させた。
二人の中にある一真と阿古夜を見事に引き出していた。


そして、迎えた「紅天女」試演の日。
東京都庁に作られた仮設ステージ。
真ん中に世界を現した円形のオブジェがある。
目を転じて客席を見れば、すべて満席である。
幕が上がった。

「紅天女」の物語は静々と進み、今や、クライマックスである。


舞台上、阿古夜の前に一真がやってくる。斧を持って。

「おまえさま!」

愛しい男の出現に阿古夜のやせ衰えた顔に生気が戻る。

「許せ、阿古夜、梅の樹を切らねばならぬ。切って天女像を彫らねばならぬ。
 そうしなければ、戦が終わらぬ」

「おまえさま……」

阿古夜は語る、一緒に暮らした楽しい日々の思い出を。
共に食べた粥、共につんだ薬草の思い出。
阿古夜を抱き寄せ、うなだれる一真。

「ああ、そうだの、このまま、切らずに逃げてしまおうか」

「逃げましょう、『あなた』」

一真ははっとした。

「なに!」

この声、違う、阿古夜と違う!
思わず突き放す。

「おまえは誰だ!」

「何をいいやる、おまえ様! 阿古夜でございます」

「違う! おまえは違う! 出て行け! 阿古夜の体からでていけ!」

一瞬にして、阿古夜の人格が入れ替わる。

「ほほ、おまえのような腑抜けにもわかったか。くくく、梅の樹は切らせぬ。妾は千年の梅の樹の精。
 阿古夜に免じて、逃がしてやろうと思うたに、気がつくとはな」

「きさまあー、阿古夜を返せ!」

「返さぬ。阿古夜の魂はこの身の内に閉じ込めた。二度と、この世に出てこぬわ。
 そなたを始末すれば、天女像は彫られず、戦はやまぬ。
 人が気を乱すのじゃ! 
 妾が人々を滅ぼしてやる。
 さすれば、この世に平和が戻る」

「させぬ! させぬぞ!」

一真は、夢中で斧をふるっていた。
千年の梅の樹に斧が振り下ろされる。
倒れる阿古夜。
我にかえる一真。
斧を放り出し、駆け寄る。

「阿古夜! あこやー!」

うっすらと目を開く阿古夜。阿古夜の手が一真にのびる。

「おまえさま、これで良いのです。どうか、天女像を彫って! ……戦をとめて!」

ぱたりと阿古夜の手が落ちる。

「あこやーーーーーーーーー!」

暗転。


戦が終わり、7度目の平安祈願祭の日。
帝が照房と梅の樹を見上げながら話している。
旅の僧の話を。

そして、笛の音と共に幕が降りた。

仮設ステージを揺るがす喝采!
そして、カーテンコール。


鷹宮紫織もまた、客席の隅で「紅天女」を見ていた。
まさに、自分の運命を変えた芝居である。
行く末を見届けたかった。
鷹宮紫織は、自殺事件の後、パリに渡った。
総てを忘れ、自身の傷を癒す為に。
しかし、どうしても「紅天女」を見たかった。
紫織は、年末に帰国した。

紫織は速水とマヤの事を思った。
速水真澄が最初に紫のバラを北島マヤに贈ったのは、「若草物語」のベス役だったと聞いている。

――どんなベスだったのだろう。真澄様を一度で虜にしたベス役とは……

「忘れられた荒野」でも、彼女の才能は飛び抜けていた。
が、或る意味、際物の狼少女の役だった。難しい役だという事はわかるが、もっと普通の、すでに評価が固まった役で彼女の才能を評価したかった。
そして、「紅天女」。
月影千草の「紅天女」を梅の谷で見た感動は忘れられない。
だが、今回の北島マヤの演技は、なんと身近に感じられるのだろう。
なんというリアリティなのだろう。
紫織はマヤに心から拍手を送った。

そして、小野寺組の「紅天女」を見て、ため息をついた。
確かに姫川亜弓の「紅天女」は美しい。
だが、心に深く残らないのだ。
舞台を見ている間は美しさに酔いしれるのだが、それだけなのだ。
演出の失敗。
鷹宮紫織は、そう評価した。


「紅天女」審査の発表。総てにおいて黒沼組の勝ちとなった。
小野寺は歯がみして悔しがったが仕方なかった。
そして、主演女優の発表が月影千草から行われた。
北島マヤを選ぶ千草。
姫川亜弓は青ざめた顔をして佇んでいた。
月影千草は姫川亜弓に声をかけた。

「亜弓さん、気を落とす必要はありません。
 マヤ、あなたの上演権の権利は3年です。
 これから、3年毎に試演が開かれるでしょう。
 その度に競い合いなさい。
 これからは大衆が主演女優を選ぶでしょう。
 あなた方の挑戦はまだまだ、これからです」

そして、演劇協会から重大発表があった。
「紅天女」管理委員会の設置。委員長に速水真澄の就任。

紫織は客席から拍手を送っていた。

(真澄様、とうとう、「紅天女」をご自分の物になさったのね。「紅天女」を演じる女優も……)

そして、さらに、委員長速水真澄からの驚愕の事実の発表。

「尚、『紅天女』は月影先生の意向を受けまして、現『雨月会館』を『シアター月光座』に名前を改めまして、『紅天女』専用劇場と致します。
 他の劇場では決して演じられません。
 また、興行は私が新規に立ち上げました藤村プロダクションにて行う運びとなりました。謹んでご報告致します」

紫織は速水の言葉を聞いて思わず、速水英介の顔を振り返った。
憤怒の表情を浮かべた速水英介。
紫織は不吉な物を感じた。


そして、その夜、紫織の予感は的中した。
速水邸から火の手が上がったのである。



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