紅の恋 紫の愛    連載第3回 




 鷹宮紫織は、レストランで速水真澄を待っていた。
真澄の為に精一杯、おしゃれをしている。

――真澄様、お慕い申し上げているのです。
  何故、わかっていただけませんの。

豪華な個室で、食事は沈黙の内に始まった。
速水は紫織の出方を伺っていた。
紫織に「紫のバラの人」の正体がバレている以上、下手に動けない速水だった。
それでも、紫織の方からどうやって、婚約を解消したいと言わせるか、必死に考えていた。
紫織の性格から言って、もし、速水の方から婚約の解消を言ったら、意地でも解消しようとはしないだろうと思った。

沈黙に耐えきれなくなった紫織は真澄におずおずと話しかける。

「あの、真澄様、私、どうかわかって頂きたいの?」

「何をです?」

「アストリア号の事ですわ、私、あなたと絆を深めたくて……」

「一言、言ってほしかったですね、ところで、今日、お体の調子は?」

「え? はい、おかげさまで……」

「そうですか、それは良かった。
 ……紫織さん、教えてほしい事があるのです」

「まあ、改まって、どんな事でしょう」

紫織は、アストリア号の話が、話題にならなくなったのでほっとした。

「……例えば、そうですね……。子供がいて、とても大切にしている物があった。
 そうだな、大好きな小学校の先生、結婚して辞めて行く先生が思い出にくれたリボンだった。
 それはその子にとって、とても大切な物だった。
 ところが、たまたま、遊びに来た友達にちょっと貸してと言って持って行かれてしまった。
 その上、その友達が無くしてしまった。
 そんな時、その子をどうやって、慰めたらいいと思いますか?」

紫織はそんな例え話を速水が何故するのかわからなかった。

「……同じ物を買ってあげてはどうでしょう」

紫織は無難に答えたつもりだった。

「物は同じように見えても、決して同じではない。そのリボンには小学校の先生の微かな香りがあった」

「確かにそうですけど、子供ですもの、そのうち忘れますわ。
 そうそう、もっといいもの、例えば、新しいおもちゃを買ってあげて気をそらせてあげますわ」

「子供は思い出の寄す処を無くしたのですよ。それは決して替わりのきくものではないのです」

「では、どうしたらいいと……」

「さあ、それは、ご自分で考えてみて下さい」

速水はそれ以上言わなかった。


真澄は、紫織の人としての資質に賭けたかった。婚約の解消を。
人の心の痛みのわかる人間なら、或は、誠意を持って話せば婚約の解消に応じてくれるかもしれないと思った。
が、紫織の返事を聞いてあきらめた。

――目の前に座るこの女、美しく聡明で優しい女だと思っていた。
  病弱ではあるが、けなげに生きているのだと。

真澄は失望と同時に、何かのタガがはずれた。
穏やかに婚約を解消しようと考えていた真澄だったが……。
真澄の何かが暴走を始めていた。

――たとえ、鷹宮翁のたった一人の孫娘でも、その本質は、嘘をつき盗みを働き嫉妬のあまり人に濡れ衣をきせる薄汚い女なのだ。

真澄は手加減するのをやめた。


紫織もまた、沈黙している。

――一体、今の話は何だったのかしら? 何を言おうとしてらっしゃるのかしら?

速水の声が聞こえた。


「……もう一つ、お聞きしたい事があります」

「はい、何でしょう」

「あなたは、一体、僕のどこを気に入ったんです?」

「え?」

紫織は話の展開についていけなかった。
真澄を何故、好きになったのか?
急に言われた紫織は自問自答して見た。

「それは……」

真澄は黙って待っている。

「あなたのお優しい所ですわ。
 ……それを言うなら、真澄様は私のどこを気に入られたのです?」

「あなたが鷹宮翁のたった一人の孫娘だから」

「ま、真澄様!」

紫織は真澄の答えに驚愕した。
こんなにあからさまに、紫織個人の魅力ではなく、家柄だとはっきり言われた事はなかった。

「ちなみに、僕があなたに親切にしたのは、あなたが、病弱な方で気の毒に思ったからです」

「そんな!」

「僕は、速水の義父に仕事一筋に生きろと鍛えられて育った。目標を達成するには手段を選ぶなと……。
 あなたと見合いをしたのは、仕事でした。
 あなたをその気にさせるのも、仕事の延長でした」

「では、では、私をまったく好きではないと言われるのですか?」

「いいえ、嫌いではありませんでしたよ」

真澄は煙草を取り出し、火をつけた。
食事はとうに終わっている。

「真澄様、今日は、一体どうされたんです?」

「何も……、ただ、僕の本当の姿をあなたに見せた方がいいと思ったんです」

「本当の姿?」

「先程も言いましたように、あなたと付き合うのは僕の仕事でした。
 だが、それでは、あまりにあなたが気の毒だ。
 結婚してからでは遅い。
 先に正体を見せた方があなたの為だと思ったんです」

真澄はたばこを灰皿でもみ消した。
紫織はやっと、理解した。これは別れ話なのだと……。

「僕は、義父から仕事を成功させる、ありとあらゆる汚い手を教えられた。
 時代が違うから義父と同じ手は使えない。
 にしても、僕は眉一つ動かさずに他人が端整こめて作り上げてきた事業を潰し、乗っ取って来た」

「それはお仕事だからでしょう。私にはわかりますわ。あなたが本当はお優しい方だと」

「それはあなたの勝手な思い込みだ。
 ……僕は金の為ならなんだってやれる人間ですよ。事実、あなたを誘惑した。金の為に……」

「そんな! では、あなたは私を好きではないと……」

「そう、好きではない、嫌いでもなかったが……」

「真澄様!」

紫織は思った。

――違う、違っている。今までの真澄様じゃない。一体、何故……

「どうか、僕のような男ではなく、あなたに相応しい男性を見つけて下さい。
 そう、あの襲撃事件がいい。あんな危険な男とは結婚出来ないとあなたから断って下さい」

「イヤです、何故、何故、私ではいけませんの」

「僕は、あなたを嫌いではない……。
 僕は仕事柄、様々な人間とつきあう。大抵は腹に何か含んだ所をもって、僕に近づいて来る。
 ですから、家では信用の出来る人間と一緒に暮らしたいのです。
 妻になる人が信用出来ない人間では気の休まる時がない」

「信用出来ないって……」

「アストリア号、あれは、拉致監禁と同じではありませんか! 僕は、子供の頃、誘拐された。あの恐怖は決して忘れない」

が、紫織はいきり立った。

――アストリア号にかこつけて、真澄様は私と別れるつもりなのだわ。

話が見えて来たら、反撃にでるだけだ。

「嘘、嘘よ! あなたは、マヤさんを愛しているんですわ。
 アストリア号でマヤさんと何がありましたの?
 私、あなたの別荘で、マヤさんのアルバムと卒業証書を見つけましたの。
 あなたは、あなたは、マヤさんの『紫のバラの人』なんですわ!」

紫織は一気に本音を言っていた。

「マヤの元に『紫のバラの人』からびりびりに引き裂かれた舞台写真が送り返されたと聞いたが、あなただったんですね」

「ええ、そうですわ!」

「あなたがそんな人だとは思わなかった。他人の家に勝手に入り込み、人の大切な物を盗み出し、引き裂いて元の持ち主に送り返すとは!
 とんだお嬢様だ。
 では、マヤのバックに指輪を入れて泥棒の濡れ衣を着せたのもあなたですか?」

「ええ、そうですわ。
 あなたの心からマヤさんを追い出したかったのですわ。
 あなたが悪いのよ、私とのデートはいつもおざなり。一緒にいる時もぼんやり何かを考えている……。
 いつも、心ここにあらずという風情で……。
 私はあなたの側にいるのに……。
 マヤさんの事を考えていたのでしょう。私はあなたの婚約者なのに……。ひどい、ひどすぎる」

紫織は泣き出した。真澄はそんな紫織を黙って見ていた。

「何故……、何故、私にプロポーズされましたの?」

紫織は涙をふくと真澄にそう訪ねた。

「あなたが、そこまで言うなら僕も本音を話しましょう。
 僕はマヤの母親を死に追いやった。だから、あきらめたんですよ。マヤを……。
 マヤをあきらめて、あなたと見合いをした。
 以前と同じように仕事だけに生きていこうと思った。
 あなたと結婚すれば会社はさらに発展する。
 あなたに結婚の返事をせまられて、僕は自分の気持ちに蓋をする事にした。
 生涯、あなたに誠意をつくそうと思っていた。
 あなたがいい人だと思っていたから……」

「真澄様、ではでは、どうか、そのお気持ちを変えないで下さい。
 もう、二度と勝手な真似はしませんから」

「……それは出来ない。もう、あなたへの気持ちは壊れてしまったんです。
 二度と元へは戻れないでしょう」

「だったら、これを公表するまでですわ」

紫織の声が変わった。優しげな声から低く脅すような声に。
真澄を睨みつける。
紫織は、紙袋の中から北島マヤの卒業証書を取り出した。

「あなたを北島マヤの『紫のバラの人』だって公表しますわ。
 これが、私の手の内にある限り、あなたは私の物よ」

「そうやってつなぎ止めたからといって、僕はあなたを愛せないのに」

「いずれ私を愛するようになりますわ。私の気持ちがわかって貰えたら……」

「いいえ、僕は生涯、あなたを愛する事はないでしょう。つまり、あなたは愛のない結婚をお望みというわけだ」

「そんな! そんな事って……」

紫織は泣き出した。
真澄は席から立ち上がると、紫織の側にひざまづいた。紫織の視線より下に自分を置く。

「紫織さん、今は僕と別れて悲しいかもしれない。だが、いつかこの事を感謝する筈です。
 僕のような冷血漢と結婚しなかった事を……。
 どうか、僕との婚約を解消して下さい」

「真澄様……」

紫織は涙を止めたくても止められなかった。切れ切れにつぶやく。

「先程の……、先程の子供の答えを聞かせて下さい」

「大切な物をなくした子供の側にいて、相手と一緒に泣いて上げるが正解です。
 悲しんでいる子供と悲しみを共有する。相手が泣き止むまで。
 一緒に嘆いてくれる人がいたら、人間は立ち直れるものです。
 金で解決はしない。聡明なあなたにこんな簡単な事がわからないとは……」

「では、マヤさんだったらわかるというんですか!」

「ええ、マヤならわかりますよ。相手の心の痛みが。あなたには出来ない事だが」

紫織は負けたと思った。

――確かに私は人の心に寄り添おうとは思わなかった。
  そんな風には育てられなかったから……。

「わかりました……。婚約を、婚約を、う、ううう……」

紫織はさらに泣きじゃくった。
真澄は黙って待った。その時を、真澄と婚約を解消するという紫織の言葉を待っていた。

「解消します、あ、あああ、あ、あ、あ……、う、うううう」

紫織は泣きながら、気を失った。

「ありがとう、紫織さん、あなたも幸せになって下さい。では、この卒業証書、返して貰いますね」

真澄は、気を失った紫織から卒業証書を取り上げると、人を呼んだ。






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