紅の恋 紫の愛    連載第5回 




 ――桜小路君……

マヤは病室のドアをそっとノックする。

「はい……」

「桜小路君、マヤです……」

「やあ、マヤちゃん……」

「あの、あたし、ごめんなさい、この間、せっかく迎えに来てくれたのに……。
 一人で帰ってなんて言って……、一緒に帰っていたら、一緒に……」

マヤは涙ぐんだ。それ以上胸が詰まって言えなかった。

――マヤちゃん……。

「ううん、いいんだ……。
 それより、試演が延びてよかったよ。まさか、亜弓さんが目を怪我してたなんて……」

マヤは涙を拭きながら答えた。

「うん、あたしもそれを聞いてびっくりした。さすが、亜弓さんって思った」

「僕は、事故のせいでみんなに迷惑かけるんじゃないかって心配だったんだ。だけど、事故のおかげで亜弓さんが失明せずに済んだかと思うと僕の事故にも何か、意味があったんだって思えるよ……」

「へえー、凄い、桜小路君、まるで、お坊さんみたい!」

「からかうなよ、マヤちゃん!」

マヤは、はっとした。雷が落ちるように閃いた。

「桜小路君! それ、『紅天女』に通じない?」

「えっ?」

「この世に起きる森羅万象は総て繋がっているって、不幸な出来事も見方を変えれば何か意味があるんじゃないかって……」

だが、マヤが興奮したように言っても桜小路の反応は鈍い。マヤは少し拍子抜けしたように思った。
桜小路は苦笑しながら言った。

「……ていうか、そうでも思わないと、落ち込んじゃうよ!」

「?……、あ、そうか! あははは」

桜小路の強さにマヤは救われる思いだった。

「マヤちゃん、僕、病室で動けないだろ、そしたら、いろんな事、考えちゃってさ……。
 ……マヤちゃん、『紫のバラの人』が好きなんだろ」

「え! ……どうして……それを?」

「一緒に芝居してたらわかるよ。
 ……僕、見たんだ……、港で……。
 君と速水さんが抱き合っているのを……」

「桜小路君!」

「速水さんが『紫のバラの人』だったんだね。そうでなかったら、辻褄があわないよ」

「……そうなの、速水さんが『紫のバラの人』だったの。
 でも、聞いて、桜小路君。
 あたし、速水さんが、『紫のバラの人』だから好きになったんじゃないの。
 あたし、ずっと前から魅かれてた。速水さんが時折見せる優しさに……。
 でも、速水さんって、見かけは冷たい人でしょ。
 冷血漢で悪い人だって、母さんの敵だって、好きになったりしない、憎まなきゃって思ってた。
 速水さんが『紫のバラの人』ってわかったら、そしたら、素直になれたの。
 嫌わなくていいんだって……、好きになっていいんだって」

「……魂の片割れなんだね。二人は」

マヤは怪訝そうに桜小路を見た。

「魂の片割れに出会った後、どう感じるか……、速水さんに聞いた事があるんだ。
 『人はそれまで自分がどんなに孤独だったか気付くに違いない』って速水さんが言ったんだ。
 そしたら、マヤちゃんも同じ事言ってて……。
 速水さんとマヤちゃんは、魂の片割れ同士なんだって、僕、わかったんだよ」

「桜小路君……、ごめんね、ごめんね、桜小路君」

マヤは涙ぐんだ。そして、ポケットからイルカのペンダントを取り出した。

「桜小路君、これ……」

マヤの目から、涙が落ちる。

「ごめんね、桜小路君、あたし、速水さんが好きなの、どうしようもなく……。
 一時はあきらめようと思ったの。でも、でも……」

桜小路はだまって、イルカのペンダントを受け取った。悲しみが胸に広がる。
が、桜小路はその悲しみをそっと飲み込んだ。

「……マヤちゃん……。
 それで、どうするの? 速水さんには婚約者がいるよ」

「うん、わかってる、紫織さんに申し訳なくて……、
 紫織さん、速水さんの事、ものすごく好きなの」

「……。
 マヤちゃん、マヤちゃんは魂の片割れに出会ったんだろ。
 きっと、速水さんも同じじゃないかな。誰も傷つかないなんて、そんな事ないんだよ……」

「桜小路君」

「僕は、舞台の上では君の一真になるよ。もう一度。
 君と速水さんが魂の片割れ同士だってわかった時、もう、演れないんじゃないかって思った。
 でも、舞台の上だけでも、君の魂の片割れになれるなら、それでもいいって思ったんだ……。
 マヤちゃん、僕ともう一度、舞台で阿古夜と一真になろう……」

「うん……、桜小路君、あたし……、一生懸命、阿古夜になる……」

マヤは涙を滲ませた。

マヤを見ながら、桜小路は思った。

――マヤちゃん、君がすきだよ。だけど、僕の愛なんて、速水さんの愛に比べたらちっぽけなもんなんだ。
  速水さんが『紫のバラの人』だってわかって、それがわかったよ。
  僕には、君の成長を助けるために、憎まれ役になるなんて……。
  そんなこと、出来ない!
  『エースをねらえ!』で宗方コーチが言っていた。
  『女の成長を妨げるような愛し方はするな』って。
  カッコいい事言うなって思ったけど、速水さんはもっと凄い!
  愛する女を成長させる為に、憎まれ役に撤するなんて……。
  僕には……、出来ない……。


二人の会話を病室のドアの影で聞いている人物がいた。黒沼龍三である。
黒沼は、手に週刊誌を持っていた。

「豪華客船でのハプニング! 華麗にダンスを踊る二人」

週刊誌には、速水とマヤがダンスを踊る写真がでかでかと掲載されていた。

「大都芸能、速水社長と『紅天女』主演女優候補北島マヤが、豪華客船でのダンスタイムに華麗なステップを披露した。
 ワンナイト・クルーズで何があったのか?
 大都芸能、速水社長と『紅天女』主演女優候補北島マヤは業界では犬猿の中で通っている。
 その二人が、仲良さそうにダンスをする。
 この話を業界関係者に確認したら、ありえないと皆一蹴した。
 この日、速水社長は婚約者と二人でワンナイト・クルーズの予定だったが、婚約者が渋滞で乗れなかったらしい。
 何故、北島マヤがこの船に乗っていたか?
 目撃した人間に言わせると、ショーの最中はドレスアップしていた北島マヤだったが、食事中は、Tシャツにミニスカートとというラフな服装で、一人浮きまくっていたらしい。
 どうやら、速水社長の婚約者に会いに来て、そのまま、船が出港となったのだという。(ホテルアシスタントの話)
 しかも翌朝、なんと二人が船のスポーツデッキで抱き合っている所を何人もの人が見ているのだ。
 二人の様子を見た人達は一応に二人は恋人同士に見えたと言っている。
 これは、何を意味するのか?
 一夜のランデブーが憎み合う二人を恋人にしたのか?
 速水社長は『紅天女』の上演権を喉から手が出る程ほしがっていると言われている。
 ここからは推論だが、アストリア号でのハプニングは、或は、最初から仕組まれた物だったのかもしれない。
 わざと、北島マヤを船にのせ、速水社長自ら「夜の」接待をし、北島マヤに上演権を譲らせる。
 もちろん、姫川亜弓が主演女優に選ばれれば問題はないが、リスクを小さくしたかったのかもしれない。
 こうなってくると、婚約者が乗り遅れたのもうなずける。
 わざと乗り遅れて北島を船から降ろさせないようにしたのかもしれない。
 それとも、たまたま、降りれなくなった北島マヤが、主演女優獲得の為に速水社長を誘惑したのだろうか?
 いずれにしろ、まもなく行われる試演の結果が真実を明らかにするだろう」

週刊誌はスキャンダルの匂いを巻き散らした文章になっていた。

黒沼は二人の話を聞き終わると黙ってその場を離れた。

その夜、黒沼は屋台で速水と話していた。

「速水の若旦那、週刊誌の記事を読んだよ。北島が大層世話になったみたいだな」

「大した事はしていませんよ」

「……あんた、北島の『紫のバラの人』なんだろう……。劇場、修理してくれてありがとうよ」

「黒沼さん、いいえ、僕は北島の『紫のバラの人』ではありませんよ」

「何を言う。桜小路が見ているんだよ。あんたと北島が抱き合う所を。
 前にもあんたに言ったが、北島は『紫のバラの人』に恋をしている。
 北島の恋の相手が二人いるわけがないじゃないか?」

「……。
 黒沼さん、慈善家が名前を出さないのは理由があるんですよ。そういう時は聞かぬが花というものです」

「聞かぬが花か? あんた、結構、奥ゆかしいんだな! はっはっはっは、ますます、気に入ったぜ!」

黒沼は速水の背中をバンバンバンとどついた。
速水が思わず、むせかえる。

「で、どうするつもりなんだ?」

「何をです?」

「決まってるだろ。この記事だよ」

「まもなく、火消しの記事がのる予定になっています。
 ……多少、騒がれるかもしれませんが、所詮、芸能社の社長と新人女優の噂ですよ。大した話じゃありません」

「ふむ、さすがだな、情報操作はお手の物か。
 ……ところであんたの麗しの婚約者殿はどうしている?」

「……今、婚約解消の交渉中です。
 本人からは解消するという返事を貰ったんですが……
 結局、式は延期になりました」

「あんたにはあんたの都合があるんだろうが、北島から演劇を取り上げるような結果にならないようにしてくれよ。
 鷹通グループが総力をあげて、北島を排除するといいだしたら、いくらあんたでも、守りきれまい」

「黒沼さん、北島はそんなヤワじゃありませんよ。
 たとえ、鷹通が使わなくても、彼女に芝居がある限り、人々は彼女を求めるでしょう。
 それは、一企業グループにどうこう出来る問題ではないんです。
 彼女が、仮に、『紅天女』に選ばれなくても、人々が北島を忘れる事はありませんよ」

「ほう、あんたをして、そこまで言わしめるか! 北島の才能を!
 確かに凄い!
 だが、芝居ってのは観客があって初めて成り立つんだ。
 客がいなければ成立せん」

「だが、たった一人の観客がいれば、成立する。違いますか?」

「ふむ、あんた、意外に楽天家だな、さ、飲もう」

男達は深夜まで酒を酌み交わした。




一方、鷹宮紫織もまた、週刊誌の記事を読んでいた。





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