紅の恋 紫の愛    連載第7回 




 ドアを開けると速水真澄が立っていた。

「マヤ、入ってもいいか?」

「え、あ、はい、どうぞ!」

マヤは速水をアパートの部屋に招きいれた。卓袱台の前の座布団を速水に勧める。
青木麗は、まだ帰っていない。
速水は持っていたトレンチコートを傍らに置くと座布団の上に座った。
マヤもまた卓袱台をはさんで速水の向かいに座る。
速水の顔をまともに見られないマヤは俯いて、もじもじとしている。

「マヤ、紫織さんから何を言われても気にするな。
 今は、『紅天女』の事だけを考えて、君は君の演技をしっかりやりなさい」

「速水さん……」

マヤは涙ぐんだ。

「速水さんは……、あの、鷹通の総裁になりたいとは思わないんですか?」

「紫織さんにそんな話をされたのか?」

「ええ、紫織さんと結婚したら、鷹通の総裁になれるって……」

「マヤ、俺を甘くみるな。鷹通の総裁の椅子などほしいとは思わん。
 楽をして手にいれた物は、必ず足下をすくわれる。
 俺は、自分の欲しい物は自分で手に入れるさ。
 ……
 マヤ……、君は……、主演女優に選ばれなかったら身を引くつもりか?」

「……」

マヤは答えられなかった。自分の手元をみて、涙ぐんでしまう。

――だって、だって、あたしなんかが……、

「……それとも、俺が主演女優のおまけになった方が頑張れるというなら、なってもいいが?」

マヤは、はっとして速水を見あげた。
速水の笑いを含んだ優しい瞳にぶつかる。
マヤは、ほっと息を吐き出して笑い出した。

「速水さんがおまけ? 『紅天女』の?」

「ああ、そうだ」

マヤは吹き出していた。

――速水さん、スゴイ! そんなこと、あたし、考えもしなかった……

「あたし、がんばれると思います」

「そうか! だったらおまけになるしかないな」

「主演女優になって、そして、速水さんの、速水さんの……」(……はやみさんの……、彼女に、な る の )

マヤの言葉の後半は口の中で小さく消えた。マヤの顔が真っ赤だ。

「最後が聞こえなかったな、俺のなんだ?」

「あの、あの、あの、もう……、いいでしょ!」

「くっくっくっくっく」

「もう、いじわるなんだから」

二人の間に優しい沈黙が流れた。アパートの中は静かだ。どこか遠くでテレビの音がするが、それ以外の音がしない。
マヤは自分の心臓の音が速水に聞こえるのではないかと思った。
また、恥ずかしくなって俯く。

「稽古の方はどうだ? 桜小路の怪我は順調に回復していると聞いているが……」

「ええ、あの、取り敢えず、今は、桜小路君の台詞は、他の人が読んで芝居をやっています。
 桜小路君のお見舞いにいった時、阿古夜と一真の台詞について話すんです。
 二人は、どんな気持ちだったんだろうって……
 一真が阿古夜を切りに来た時、二人はどんな気持ちだったんだろうって……」

速水は煙草を取り出した。
マヤに吸ってもいいかと目線で問う。

「あ、どうぞ!」

マヤは、灰皿がないので、あきかんを持って来た。

「で、君はどう思うんだ? 最愛の男、魂の片割れに命を断たれる。悲しくはないのか?」

「あたしは……、あたしは、まだ、よくわかりません。あたし……。
 阿古夜は、身の内に梅の木の精がいるんです。
 梅の木を伐るっていうのは、阿古夜を伐るんだけど、梅の樹の精も伐るんです。
 ……
 ……あたし、本当に阿古夜はいなくなるのかなって……。
 阿古夜の肉体はなくなるけど、阿古夜の魂はなくならない。
 そうでしょ。
 お芝居の最後に、一真のようなお坊様が諸国を歩いてまわったって書いてありました。
 阿古夜の魂と共に。
 だから、切られても阿古夜は死なないんだと思います」

速水は何事か考えていた。
そして、立ち上がると卓袱台を回ってマヤの側に腰を降ろした。
マヤに手を伸ばし、抱き寄せる。
マヤの脈拍が一遍にあがった。
どくどくと耳の奥で心臓がやかましい。

「死んでしまったら、こうして、暖め合う事も出来ない。
 人は心と心を通わせる手段として互いに抱き合うんだ。
 互いの温もりが愛だと言ってもいい」

「……」

「俺が一真だったら、この温もりを手離せないだろう。何があっても……」

「速水さん……」

マヤは、速水の胸に手を置いた。速水のワイシャツを通して、温もりが伝わってくる。

――一真はこの温もりを断ち切ろうとするんだ。戦争を終わらせる為に……。
  でも一真には断ち切れない、では、どうしたら、戦争を終わらせられるだろう。
  どうしたら、一真に樹を切らせられるだろう。

「速水さん、もし、あたしが、今、ここで、『あなたなんて大っ嫌い!』って言ったら、あたしを突き放せます?」

「いいや、君が口先で言っているのがわかるから、出来ないな」

「それでも、あたしは、一真を突き離さないといけないんです。一真に使命を全うさせないと。
 そうしないと、戦争が終わらない。
 戦争が終わらないと、姫神様がこの世を滅ぼしてしまう」

「君が憎い相手なら簡単に殺せるだろう。例えば、愛しい人を殺した相手だったら……」

「速水さん……」

マヤは、速水の言葉がヒントだとわかった。

――一真に斧を振り下ろさせる方法。ありがとう、『紫のバラの人』……

「マヤ、君が愛おしい」

速水はマヤをぎゅうっと抱きしめた。耳元でそっと、囁く。

「君の唇にキスしたい。……してもいいか?」

マヤは小さく頷いた。



続く      web拍手 by FC2     感想・メッセージを管理人に送る


Buck  Index  Next


inserted by FC2 system