紅の恋 紫の愛    連載第9回 




 土曜日、マヤは大都芸能に向った。掃除婦の仕事は昨日までで終わっている。
今日は、企画書の作り方を速水に指導して貰う日だった。
速水もまた、休日出勤をしていた。
速水はマヤに会議室の一室を与え、マヤのアイデアから初心者のマヤが企画書を作りやすそうな物を選んだ。
観客動員数をどうやったら予測出来るか、幾つかの数字の見方を教えたのだが……。
速水は経営者として敏腕である。
だが、教師として一流かというと、はなはだ疑問が残った。
マヤもまた、演技の天才だが、それ以外はまったくだめだった。
それでも、速水はマヤを長年想い続けた忍耐力でマヤに教えた。
マヤもまた、速水の為ならと頑張ったのだが……。
二人を良く知っている水城は、社長からマヤに企画書の作り方を教えるという話を聞いた時、1時間が限度だと思った。
が、二人は水城の予想を裏切って2時間、がんばった。
しかし、水城がコーヒーを持って会議室に入った時、二人は限界すれすれだった。
速水は大きくため息を吐くと、言った。

「マヤ、休憩にしよう」

「はい……」

マヤも、苦手な数字の羅列と報告用文章の山にすっかり参っていた。
水城がくすくすと笑いながらコーヒーを二人に差し出した。
速水がコーヒーを飲むのを待って水城は次の予定を速水に告げた。

「社長、お楽しみの所申し訳ありませんが、まもなく時間です。演劇協会の皆さんと昼食会の予定です」

「わかった、水城君。マヤ、もう一度、数字の読み方をさらってご覧。俺は……、水城君?」

「昼食会は2時に終了の予定です。社には2時半までに戻ってこれると思います」

「そうか……、マヤ、俺が戻って来るまでにもう少し自分ですすめておくように、アイデアは面白いから」

速水はマヤの頭をぐしゃぐしゃと撫でると水城と共に会議室を出て行った。
一人残されたマヤは、もう一度、資料を繰り始めたが、すぐにあきらめた。
時間もまもなくお昼なので、持参の弁当を取り出す。
給湯室でお茶を煎れようと思い、廊下にでた所で、鷹宮紫織とばったり出くわした。
が、鷹宮紫織はマヤが変装をしているのでマヤだとは気付かない。
鷹宮紫織はそのまま、秘書室に向った。
マヤは何食わぬ顔でトイレに向かい、そのまま隠れた。
遠くで、鷹宮紫織が秘書達に声を掛けるのが聞こえる。

「真澄様は? 今日はこちらだと伺ったのだけれど……」

「速水社長は昼食会に行かれました」

「そう、何時頃お帰りになるの?」

「えー、2時半の予定です。こちらでお待ちになりますか?」

「いいえ、いいわ、2時半にもう一度こちらにお寄りするわ」

鷹宮紫織が、エレベータホールに向うハイヒールの音がした。やがて、エレベータの扉がしまる気配と共に鷹宮紫織はいなくなった。
秘書達もお昼を食べようと給湯室にお茶をいれにやってきた。
マヤがトイレから出ようとすると秘書達のおしゃべりが聞こえてきた。思わず、足を止める。

「そういえば、社長と紫織様のご結婚、延びたんですってね。なんでも、紫織様から婚約解消の話があったそうよ」

「えー、そうなの」

「ほら、北斗プロの襲撃事件、あの時、紫織様、会社に来てたんですって」

「ああ、それなら仕方ないわね」

「社長はどうするつもりなのかしら。私だったら、社長から迫られたら、すぐに落ちちゃうけどなあ」

「私、紫織様の方が社長を好きなんだって思ってた」

「私も私も」

「それが、婚約解消ですものねえ、女心と秋の空よね」

「ところがね、この話、裏がありそうなのよね。聞いた話なんだけどね、紫織様がワンナイト・クルーズに誘ったそうよ、社長を」

「あちゃあ〜、それ、まずい」

「そうそう、うちの社長に色仕掛けはまずいわ」

「まさか、それで、うちの社長の方から振ったの? こんないい縁談を?」

「こういう縁談ってさ、男の方から断れないのよね。つまり、見合いした時点で男はイエスなの。
 表向きは紫織様の方から断った形にしたんじゃないかって」

「社長、よっぽど頭に来たのね」

「だって、うちの社長、潔癖だもの。いままで何人の女優やモデルが社長にせまって自滅して行ったか。
 体を使って取り入ろうとする女達を見てるからよけい、紫織様の清純さを気に入ってたんでしょうにね。
 それが見事に裏切られて」

「お嬢様だと思っていたからよけいショックだったんじゃない。自分からベッドに誘うなんてね。男心が傷ついたのね」

「でも、よく紫織様を説得出来たわね」

「社長ってこういう時、すっごく冷たいもの。あのきれいな顔でぴしゃりと言われたら迫力で負けるわよね」

「でも、婚約してるんだったら普通だと思うけどなあ。ベッドを共にするのって! へへへ、実は私、彼とね、、、」

秘書達は、お茶を持って秘書室へ戻って行った。

マヤは秘書達の口さがないおしゃべりを聞き、紫織を気の毒に思った。
そして、このおしゃべりを真澄に伝言を頼もうと思って戻ってきた鷹宮紫織もまた聞いていた。
マヤが廊下に出て来ると、紫織が真っ青な顔をして目に涙を滲ませながら、エレベーターに乗り込もうとしているのが見えた。


鷹宮紫織は、自宅に戻ると自室に引き蘢った。遺書を書き、死に装束を身につけ懐剣を取り出す。

ーー死のう……。
  真澄様、あなたに軽蔑されていたなんて……。
  あなたは、そんな気振りを少しも見せなかった。
  あなたを体で引き留めようとした私をあなたは軽蔑されたのですね。
  だから、別れようと。
  知らなかった、知らなかった……。
  北島マヤのせいだとばかり思っていた……。

紫織は泣き出した。泣きながら、懐剣をすらりと抜いた。
涙で滲んだ向うに懐剣の美しい刃紋が見える。
紫織は両手でしっかりと懐剣を持ち、首筋にあてた。



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