紅燃ゆる    連載第3回 




 一組の男女が互いを求めている、月明かりの下で。
互いにもっと一つになりたいと、ただ、相手を求めた。
初めての床を共にする男女の間にはなかなか越えられない壁がある。或は、渡れない川が。
相手を求めていいのだろうか、という逡巡。
この行為は愛によるものなのだろうか、それとも、肉の喜びの為なのだろうか……。
或は、打算によるものなのだろうか……。
愛の行為が結婚という社会的行事によって成立する時、そこに純粋な愛があるのだろうかと。
或は、結婚という約束の無い愛の行為に真実の愛は存在するのだろうか……、と。



アストリア号の船の上で思わず真澄は言っていた。何気なく出た言葉。

「今度遊びにくるか?」

それは、たまたま、伊豆の別荘の話をしていた時だった。
真澄は伊豆の別荘にマヤがいる風景が浮かんだ。伊豆でマヤと会ったら楽しいだろうと思った。それ以外に他意はなかったのだ。マヤの阿古夜の台詞によって、真澄の心の鎧は焼き尽くされていた。常にどんな時でも心に鎧をしっかりと付けていた筈だった……。それが……。
素の心のままの何気ない一言だった。
しかし、言った途端にはっとした。思わず口を押さえた。顔が赤くなる。

――男と女が二人きり。これではあまりにストレートにマヤを求めているようではないか。幾ら夕べマヤと二人きりになれるチャンスに淫らな妄想が頭をよぎったにしても……。




真澄は夕べ、マヤと星を眺めている時、傍らに立ったマヤの一言にドキリとしていた。

「2度目ですね、満天の星……、梅の里とこの海の上と……、あの時も速水さんが隣にいました」

――マヤ……

真澄が見下ろすとマヤが濡れた瞳で見上げていた。唇もまた濡れているように光った。ドレスの胸元が白く輝いている。真澄は目をそらした。頭の中にホテルマネージャーの言葉がよみがえる。

――『本日はあいにく満室でございます』
  ゴージャスないかにも鷹宮紫織が好きそうな部屋。だが、そこでマヤと二人きりになれる。これは千載一遇のチャンスかもしれない。彼女をあの部屋に連れて行き力づくで押し倒せば想いが適うだろう。どうせ嫌われているのだ、憎まれているのだ。これ以上、憎まれる種が増えたとてなんという事もあるまい。彼女のドレスを選ぶ時、なんとなく脱がせ易いデザインを俺は選ばなかったか? いや、あれは彼女が選んだのだ……。いや……、本当はどっちだったのだろう……。

「今夜はもう遅い、部屋に行こう」

真澄はマヤから目をそらすと部屋に向って歩き出した。ロイヤルスィートへ続く廊下。
真澄は思わず手の中の鍵を握りしめる。強く握っても答えはない……。だがしかし……。

――あの部屋を使うのか? 鷹宮紫織が用意した、あの淫らな部屋を使って自らの欲望を遂げるのか? あの女と同じように?

真澄は自問する。鍵穴に鍵をさす手がわずかに震える。

「さあ、はいりたまえ」

「わ……あ、すごい……! あ……!」

――無邪気な君。君を抱き締め、唇を奪い、ベッドの上に押し倒しドレスに手をかけ引きはがし、たわわな二つの胸に口付けする……。

「速水さん……!」

速水真澄は北島マヤの怯えた顔に我にかえった。くすりと笑う。

「安心しろ。君を襲ったりはしない。そうおびえた顔をするな」




伊豆の別荘に誘った真澄の心に夕べの思いがフラッシュバックのようによみがえった。瞬間、自分自身を否定していた。

「いやなら、断っても……」

「いいんですか?」

――えっ……?

「速水さんのそんな大事なところへ あたしなんかが行ってもいいんですか!?」

マヤがさらに行きたいといいつのるが、真澄は確かめずにいられない。

「いいのか? 俺一人だぞ」

――意味がわかっているのか? 二人で星を見る意味が……。

ふと、マヤの表情に逡巡が浮かぶ。そして決心したように顔を上げた。頬を染めている。

「はい……、速水さん……、あたしもひとりで行きます」

――マヤ! 君は俺に総てを差し出してくれるのか? 君も俺を求めてくれるのか?

真澄はマヤの気持ちをもう一度確かめずにはいられない。

「いいのか……? 本当に……?」

マヤの心に一瞬、真澄の立場が思い浮かぶ。婚約者のいる人……。その人と別荘に二人。

「はい……! 迷惑でなければ……」



そう、二人は互いを求めたのだ。
口付けをかわし、肌を合わせる。唇でそっと互いの体に口付ける。熱い手を背に回し、固く抱き合う。
夢のような時間。白く弾けた時間。二人の間にたゆたう逡巡も憂いもこだわりも何もかも弾けとんでいた。魂が相手の魂を求めた。只一つになりたい……。恋の狂気と、愛の情熱とどんなレッテルを貼ってもいい。
互いにもっと一つになりたい!
もっと、一つに……!
ただそれだけ……!





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