紅燃ゆる 連載第4回
翌日、朝日の中で真澄は目を覚ました。
真澄はシーツにくるまり穏やかな寝顔を浮かべるマヤを眺めた。
マヤはスースーと寝息を立てている。真澄はふっと笑うとベッドを抜け出しシャワールームへ行った。
一方、マヤはまだまだ夢の中である。
だが、太陽の光がマヤに朝が来た事を告げる。目を覚ましたマヤは天井を見上げここがどこだったか思い出す。
「……速水さん……」
マヤは隣にいる筈の真澄に腕を延ばした。だが、いない。真澄がいない。マヤは喪失感に襲われた。あの暖かさ。すべらかな肌の感触。マヤはガウンを引っかけ階下へ降りた。コーヒーのいい香りがする。
「速水さん!」
マヤは走って行って真澄を背中から抱き締めた。思わず涙ぐむ。真澄は振り返ってマヤを見下ろした。
「うん? どうした?」
真澄の深く豊かな声がマヤを包む。
「だって、速水さんがいないんだもん……」
「くっくっく、俺はここにいる」
真澄はマヤの手をほどいた。マヤを抱き締める。
「さ、シャワーを浴びて着替えて来い。そんな格好でうろうろされると目の毒だ」
マヤはぽんと赤くなった。慌ててガウンの前を合わせる。マヤは大急ぎで2階の寝室へ走って行った。
朝食が終わると二人は海岸へ降りた。朝の海岸を散歩する。二人は手をつないでゆっくりと砂浜を歩いた。かにの巣を見て笑い、裸足になって砂の感触を楽しんだ。
二人でいられる時間は後少しだ。
二人共分かっていた。分かっていて話さなかった。
試演がどうなるか、その結果の上演権。
速水は別荘へ続く道を戻りながらとうとうマヤに言った。
「マヤ、明日の試演、がんばりたまえ。特等席で見ているからな」
「はい、速水さん、見てて下さい、あたしの紅天女」
「ああ、君が下手な演技をしたら俺はすぐに席を立つ!」
「え!」
「なんだ、俺の恋人になったら俺が甘やかすとでも思ったか?」
「う! お! あ! あわわわわ」
マヤは鬼と言いかけて大急ぎで口を押さえた。マヤのそんな様子に真澄が吹き出した。
二人が別荘に着くと、真澄の携帯がなった。
「はい、速水です」
「真澄様、水城です。至急、東京にお戻り下さい。紫織様がまた、自傷行為をされて……」
真澄は話の内容にマヤに背を向けた。マヤは真澄の様子に只立ちすくむだけである。
「何! まただと! 昨日の朝会った時は元気そうだったぞ!」
「はい、それが……、今日、真澄様がお見えにならないので発作的に……」
「……、そうか、わかった。それで、容態は……?」
「はい、傷も浅く命に別状はありません。やはり2度目ですので深く切れなかったようです……」
「……一体、どうやって……、水城君、鷹宮家では紫織さんから刃物を遠ざけていた筈だ! 一体、何を使ったんだ」
「さあ、わかりません。詳細はお伺いしていません……」
「わかった。すぐに戻る。3時間程で戻れるだろう。鷹宮家にそう伝えてくれ。いや、俺から直接連絡する」
「いえ、真澄様、私の方から連絡を入れておきます。秘書の役目ですので……」
「そうか、頼む……」
真澄は携帯を切った。真っ青な顔をしてマヤを振り返る。
「マヤ、すまない。至急、東京に戻らないといけない。紫織さんがまた自殺しようとした」
「……速水さん!」
――え! また? またって……? 以前もあったの?
「俺は、先に戻る。君の為に迎えの車を用意しているから」
「あたし、もっと、速水さんと一緒にいたい! 一緒に帰りたい!」
マヤは真澄の胸に飛び込んだ。真澄をぎゅっと抱き締める。真澄もまたマヤを抱きしめた。
「いや、ダメだ。君と一緒の所を見られるわけに行かない。明日、試演会場で会える。さ、俺はもう行かないと……」
真澄はマヤを別荘の管理人に預けると、マヤに未練を残しながら、伊豆の別荘を後にした。
マヤは別荘の入り口に立ち真澄の車が見えなくなるまで見送った。
別荘の管理人はいつまでも見送るマヤを気の毒に思った。
「お嬢さん、ここから、向うの道路を走る車が見えるんですよ。もうすぐ速水様の車が見える筈ですよ。迎えの車はすぐ来ますからね」
マヤは管理人に言われた通り見ていた。すると、一旦見えなくなった真澄の車が走って行くのが見えた。
マヤは随分スピードを出しているんだなあと漠然と思った。マヤは真澄に向って手を振った。向うからは見えてないだろうと思ったがそれでも真澄に手を振りたかった。
真澄の車はやがて岬の向うへと消えていった。そして……。
ドン!
マヤははっとした。
たった今、真澄の車が曲がった岬の方から大きな音が聞こえた。何かがぶつかる音。そして黒煙が上がった。
マヤは真っ青になった。
――まさか!
マヤは急いで真澄の携帯に電話をした。しかし、繋がらない。マヤは半狂乱で別荘番を呼んだ。
「来てーーーー、誰か来てーー!」
「お嬢さん! どうしました?」
マヤの声に別荘の後始末をしていた管理人が慌てて飛び出して来た。
「あそこ、速水さんの車が曲がった後にドンっていう音がして黒い煙が! 速水さんに電話しても繋がらないの! もしかしたら、もしかしたら! おじさん、お願い、自転車を貸して」
「お嬢さん、私が車を運転しましょう。速水様に何かあったら一大事です」
別荘番の家は歩いて5分程の所である。別荘番は自転車で戻ろうとした。そこにマヤを迎えにハイヤーが来た。
マヤは迎えに来たハイヤーに急いで乗り込む。別荘番が慌ててマヤの荷物を乗せる。マヤは運転手に事情を説明した。
「そういえば、猛スピードで走って行く車を見かけたけど、あれがそうだったのかな」
マヤは別荘番を振り返った。
「もし、速水さんの車が事故にあってたらあたし電話しますから! 運転手さん急いで!」
真澄は岬のカーブを曲がった所で向うからやってきたトラックと正面衝突しそうになった。慌てて避けた。が、次の瞬間、崖にぶつかっていた。車は大破。トラックの運転手は車を停めて急いで真澄の車に駆け寄った。運転席の真澄を車の外に助け出す。同時にガソリンに火がついた。飛び散る破片。燃えさかる車。やがて、遠くに救急車のサイレンの音。
そして……、マヤだ。マヤが事故現場に到着した。マヤは事故現場に着くなり泣きながら真澄を探した。
「速水さん! 速水さん! どこ!」
トラックの運転手が声を上げる。
「あんた、この人の知り合い? 今、救急車呼んだから……」
地面に寝かされた真澄の側に跪くマヤ。半狂乱である。真澄の手を握りしめる。
「速水さん! 速水さん! しっかりして! お願い!」
マヤの声に真澄がふっと目を開いた。
「……マヤ……」
マヤは真澄の声にほっとする。だが、真澄の瞳はすぐに閉じられる。もう一度真澄の名前を声を限りに叫ぶマヤ。真澄の血が流れマヤのスカートを濡らして行く。もう一度真澄が目を開けた。マヤを見つめる。
「マヤ……、泣くな。
『死ねば……恋が終わるとは……思わぬ』
これは……一真の台詞だったな……」
「いや、速水さん、お願い! しゃべらないでぇ……」
マヤの目から涙が次々と流れ落ちて行く。
「マヤ……、時間が……、時間が無い。
君に言って……置く事が……。
上演権は……、俺が持っている」
真澄の胸が大きく上下する。苦しそうだ。
「!」
「月影さんから……、俺が汚い手を使って取り上げた……。
本人は……まだ知らない……。
俺の義父は恐ろしい男だ……。
君が……勝ったら……、必ず君を潰そうとするだろう……。
君を守る為に……俺は……。
俺が死んだら……、上演権は演劇協会の預かりになる。
決して主演女優に手出しはさせない……」
マヤは速水の手を頬に押しあてた。
「速水さん……、あたしが勝つとは決まってない」
「何を弱気な……、そうだ……、俺は試演が終わるまで必ず持ちこたえる……。
試演が……終わるまでは……決して死なない!
だが、君が負けたら俺は失意に死んでしまうだろう……」
「そんな! ひどい!」
「俺の命は君の演技にかかっている……う……」
速水が痛みに顔をしかめる。
「速水さん!!」
マヤを見上げる真澄の瞳に優しさがあふれた。かすかに真澄の手に力が入る。
「マヤ、俺はいつも君の側にいる。
いつも君を見ている。
……
まだ言っていなかったな……
『いつも……あなたを、見ています……』
紫のバラを贈っていたのは……、俺だ。
君をずっと見て来た……。
これからも君を……
マヤ……」
「速水さん……」
「マヤ……、愛している……」
真澄の瞳が閉じられ、頭ががくりと落ちた。
「速水さん! いやぁーーー!」
続く
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