迷犬マスミン    連載第2回 



 翌朝、俺は聖に話した。

「聖、俺をマヤの所に連れて行ってくれ」

「マヤ様の所にですか?」

「ああ、一日でいい。マヤと一緒に過したい。人に戻ったら俺は……、紫織さんと結婚しなければならない」

「……わかりました、真澄様」


聖は俺をマヤのアパートに連れて行ってくれた。その日、マヤは休みだった。聖に呼び出されアパートから出て来たマヤはTシャツにブルージーンズのサブリナパンツを履いている。

「マヤ様、実は折り入ってお願いがあるのですが、、、。あの、こちらの犬を一日預かっていただけないでしょうか? お願いします」

「え、でも、あの……、うちはアパートなので、犬は飼えないんです」

「……では、私の方で部屋を用意しますので……、お願いです、マヤ様、一日だけ、一日だけ預かって下さい」

聖が必死に頼んでいる。

「何か事情があるんですか?」

「はい、詳しくは言えないのですが……」

「……わかりました。今日、明日と休みだから、部屋を用意していただけるなら預かります」

「ありがとうございます」

「あの、この犬は『紫のバラの人』の飼い犬か何かですか?」

「ええ、そうです。主人が大切にしている犬なのです。とても大人しい犬です。マヤ様に決して悪さはしませんから」

マヤがくすくすと笑う! 聖、悪さはないだろう、悪さは。もう少し言いようがあるだろうが!
マヤがしげしげと俺を見た。

「聖さん、この犬、顔が人間っぽくありませんか?」

え! バレた? いや、まさか……。

「そ、そうですか?」

聖が狼狽えている。俺は精一杯犬らしく思いっきり尻尾を振った。

「すごく、かわいい!」

マヤが、マヤが、俺を抱きしめてほおずりしてくれた!!! ああ、なんて幸せなんだ!

「では、マヤ様、部屋を用意しますが、その、泊まりがけになりますので、あの、ですから……」

マヤがニコッと笑った。

「聖さん、お泊りの用意ですね! ちょっと待ってて下さい」

マヤは俺達を玄関に残すと自分の部屋に戻って行った。やがて、ボストンバックを持って戻って来た。

「それでは、参りましょう」

聖はマヤと俺を郊外のある一軒家に連れて行った。この家はなんだと思ったが、聞かない事にした。聖が活動をする為の拠点の一つなのだろう。

「では、マヤ様、私は食料を調達して参りますので、どうかくつろいでお過し下さい」

「聖さん、ここは……? 聖さんのお宅なんですか?」

「え! その……、私が借りている家の一つです。仕事柄、いろいろな場所を飛び回るものですから……」

「素敵なお家ですね」

「どうぞ、ゆっくり中を見て回っていて下さい。すぐに戻ります」

聖は再び車に乗って出掛けて行った。


俺はこうしてマヤと二人きりになった。マヤが俺を見下ろす。

「わんちゃん、あ、聖さんに名前聞くの忘れた! 後で聞こうっと!」

マヤは俺の頭を撫でた。それから、しゃがむと俺の両足を持った。

――な、なんだ、何をするんだ、マヤ!

両足を持ち上げて俺の、、、 や、やめてくれ!

「ふーん、君、男の子なんだね」

ああ、パンツがほしい!
俺はもがいてマヤの手を振り払った。俺は犬らしく身震いして毛並みを整える。俺はマヤの手を舐めてみた。マヤがにこっとする。マヤがもう一度俺の頭を撫でた。普段は俺がマヤの頭を撫でているのに……。なんだか妙な気分だ。

「さ、わんちゃん。家の中、見て回ろうか?」

俺はマヤの後をついて行った。
その家は小さな2階建て、洋風の一軒家だった。外壁は下見板張りで白くペイントされているが手入れが行き届いていないらしく、所々ペンキが剥げ落ちている。屋根は濃いブルーの瓦で葺かれている。玄関を入って扉をあけてホール。ホールの右手に階段。ホールの正面奥に居間、食堂、キッチン。階段の奥にトイレと風呂。階段を上がって寝室が2つとトイレ。マヤは持って来た荷物を寝室の隅に置いた。寝室にはベッドがおいてあるが、マットレスだけだ。他にも家具は置いてあるが、使っている気配はない。もう一つの寝室も同じような物だが、こちらは聖が使っていたらしい。タンスに洋服が掛けてあった。

「ふーん、聖さん、ここに一人で住んでたのかな? おしゃれな家だね。わんちゃん」

マヤと俺は、一通り家の中を見て回ると、キッチンに戻った。
冷蔵庫の中を覗いてみたが、何もない。流しの下にやかんや鍋が、食器棚にコップと数枚の皿があった。しばらく使われてないようだ。マヤが水道の蛇口をひねった。水が勢いよく流れ出す。水道や電気、ガスは生きているようだ。
俺達は外へ、庭へ出た。ダイニングキッチンからテラス、庭へと続いている。小さな庭には柵がある。柵の向うは崖になっているようだ。市街が見渡せる。振り返って見上げると2階に窓がある。なるほど。聖がこの家を借りたわけがわかった。標的はこの市街のどこかか。
庭には数本の樹があった。1本は桜か? 春にはきれいに咲きそうだ。もみじが数本。
そこに聖が戻ってきた。

「マヤ様、お待たせしました」

聖がダイニングキッチンから俺達に声をかける。俺達はダイニングに戻った。
聖はダイニングのテーブルに買って来た袋を置いた。

「マヤ様、食料の方をお願い出来ますか? 私、寝室を整えて参りますので……」

「はい、聖さん」

聖は、別の袋を抱えて2階に上がって行った。
俺は食料を冷蔵庫にいれようと袋をくわえて冷蔵庫に運んだ。ふと見ると、マヤが目を丸くして俺を見ている。

「へえー、わんちゃん、頭いいのね」

マヤがまた、俺の頭を撫でる。耳の後ろをかいてくれた。ああ、いい気持ちだ。
マヤは俺から袋を受け取ると中身を冷蔵庫に入れ始めた。生肉を見て俺に向って言った。

「ふーん、君、いい物食べてるんだね。これ、牛肉だよ」

生肉のパックには聖の字で、犬用と書いてあった。袋にはさらに俺の為の皿やドッグフードが入っていた。フリスピーやボールといった遊び道具まで入っている。マヤの食料だろう、ビーフシチューのパック、フランスパン、それにおにぎりがあった。聖はよっぽど慌てていたんだな。普段ならこういう取り合わせはしない。
冷蔵庫に一通り食料を入れ終わるとマヤは立ち上がって、スカートをぽんぽんと叩いた。
聖が2階から降りてきた。

「マヤ様、寝室のベッドを整えて参りました」

「すいません、聖さん、あの、一休みしてお茶にしませんか?」

「ありがとうございます」

マヤはダイニングテーブルにすわるとペットボトルの麦茶を二つのコップに注いだ。一つを聖に差し出す。俺には犬用の水入れに水を入れてくれた。

「聖さん、この犬、名前はなんていうんですか?」

聖が固まった。しきりに瞬きをしている。しっかりしろ、聖!

「えー、あの、名前は、あの、ます……」

俺は思わず、聖の足を踏んだ。マヤが怪訝そうな顔をして聖を見る。

「ます?」

「あ、いえ、あの、マスミンです。マスミンといいます」

「マスミン? ふーん、犬にしては変わった名前」

「ええ、まあ、ははは」

聖、何、笑って誤摩化してるんだ。もう少しましな名前を考えろ! マスミンか……、そういえば子供の頃そんな風に呼ばれた事があったな。

「ところで、マヤ様、この犬とどこか広い所で遊んでみたいと思いませんか?」

ひじり〜、何をたくらんでいる?

「え! うーん、そうですね」

「近くの河原に行ってフリスビーで遊びましょう。ついでに、お昼は河原で食べましょう」

「素敵! ピクニックみたい」

俺達はこうして、3人で、もとい、二人と一匹は車で近くの河原へ行く事になった。





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