迷犬マスミン 連載第3回
俺達は河原にやって来た。
午前中とはいえ、夏だ!暑い。犬っていうのはいつもこんなに暑いのか!
おい、河原には日陰がないんだぞ! いや、河原に併設した公園には木陰があるな。いいだろう!
マヤは数歩先で土手の上に立ちあたりを見回している。
よし、マヤと遊べるなら多少暑くてもいいぞ!
聖は俺の為に首輪を買ってきていた。皮製だ。ヌメ革と言うのだろうか、ベージュで白い縫い目が入っている。なかなかおしゃれだ。
首輪を俺の首に巻き付けながら聖が囁いた。
「さ、真澄様、思いっきりマヤ様と遊んで来て下さいませ」
「ああ、そうだな、行って来る」
聖はフリスビーを手に持ち、マヤに声をかける。
「マヤ様、このフリスビーを投げて下さい。喜んで取りに行きますよ!」
マヤは渡されたフリスビーを持って河原に走って行った。俺はマヤを追いかけて走った。
河原につくと、マヤがぽーんとフリスビーを投げ上げた。
ひゅっと飛んでいくフリスビーを俺は追いかけた。青い空に白いフリスビーが弧を描く。
子供の頃、野球をしていた時を思い出す。あの時も無心にボールを追いかけたっけ。
俺はジャンプしてフリスビーをキャッチするとマヤに持って行った。
「マスミン、うまいねー」
マヤは俺からフリスビーを受け取ると頭を撫でてくれた。
俺は尻尾を振って喜びを表す。素直に自分の感情を表せるのはなんて素敵なんだ!
俺達は何度もフリスビーを投げてはキャッチして遊んだ。マヤ、俺はこの瞬間を一生忘れない。
「マヤさまぁ〜」
聖が手を振っている。
「そろそろ、お昼です。ランチにしましょう」
「はーい」
俺はマヤと一緒に走って行った。
公園の木陰にレジャーシートを引き弁当を広げる。俺には水とドッグフードだ。
ああ、喉が乾いた。水がうまい!
ドッグフードは初めて食べたが(当たり前だが)なかなかいける。塩抜きだが、素材にこだわっているようだ。
ランチを食べる間、マヤは聖と楽しそうに話している。
「えっと、ひ……じゃない、松本さん、初めて会った時の事、覚えてます?」
「はい、マヤ様は高校生でいらっしゃいました」
「ふふふ、あたし、松本さんを紫のバラの人と間違えちゃって!」
聖、おまえ、意外にマヤと仲がいいじゃないか!
まさか、マヤに気があるんじゃないだろうな。
俺はドッグフードを食べ終わると、マヤと聖の間に割ってはいった。どしんと腰を据える。
「マスミン、お弁当の残り上げようか?」
マヤが弁当の残りの卵焼きを差し出してくれる。俺ははぐはぐとマヤの手から食べた。
ああ、おいしい!
「聖さん、マスミン、すっごく頭よくありません? さっきも食料の入った袋をさっとくわえて冷蔵庫の前に持って行ったんですよ」
「はは、主人がその……、特によく訓練しておりましたので……」
「そのうち、聖さんじゃなくてマスミンが紫のバラを持って来てくれるようになるかもしれませんね」
だあああああ、マヤ、なんて事をいうんだ。聖がしどろもどろじゃないか!
「あ!、いえ、その、それではあの、はは、私、失業してしまいますね」
「それは困りますね。やっぱり、聖さんがずっと持って来て下さい」
「……マヤ様は、主に会いたいですか?」
「……ええ、とても……、でも、いいんです。何か事情があるのでしょう?」
俺は思わずその場に伏せた。はあ、その通り。事情があるんだ、マヤ。
紫のバラの人は速水真澄。君の天敵だ。
俺が紫のバラの人だとわかったら、君はさぞかし、俺を憎むだろうな……。
そうだ! 後で聖にバラを届けさせよう。
この姿ならマヤにバラを渡してもばれまい。
ランチがすんで、俺達は借りた家に戻った。
「マヤ様、もし、お差し支えなかったらマスミンを洗ってあげてくれませんか?」
「ええ、いいですよ」
「こちらが犬用のシャンプーとタオルです。それとブラシです。ブラッシングしてあげて下さい。喜びますから。
……それでは、私はこれで……。何か緊急事態が起きた時は携帯に電話して下さい」
「あの、聖さん……」
「はい?」
マヤがもじもじしている。どうした? マヤ?
「夕飯を一緒に食べてもらえませんか? もし、お仕事が忙しくなかったら」
「……そうですね。知らない家にお一人ではお淋しいですよね。では5時にお伺いしましょう」
マヤの顔がぱあーっと明るくなった。
「ホントに! じゃあ、庭でバーベキューしませんか?」
「いいですね。食材とコンロなどを買って来ましょう」
なんだ、なんだ、これは一体どうしたっていうんだ。
マヤ、君はもしかして聖に気があるのか?
あああ、気になる!
マヤは好きな男がいるんだろうか?
そういえば、桜小路と遊園地に遊びに行っていたな!
……。
はあ……。
マヤは桜小路が好きなんだろうか……。
それを考えると、へこむなあ。
……。
いいさ、マヤが誰を好きでも……。
俺の恋は100年先まで忍ぶ恋さ!
ああ、人間だったらなあ……。
チビちゃんと言ってからかえるのに。
しかし、人間だったらこんなふうにマヤと接近できないしな。
痛し痒しだ。
聖が出掛けると、マヤは俺を風呂場へ連れて行って洗ってくれた。俺もマヤもシャンプーで泡だらけだ。マヤも楽しそうだ。シャンプーが終り、水で洗い流す。俺は身震いをして水を飛ばした。マヤがきゃっきゃっと笑い声を上げる。マヤと海に言ったらこんな風に笑ってくれるのだろうか?
マヤがバスタオルで俺を拭いてくれる。最後はドライヤーで乾かしてくれた。マヤは居間のマットの上にバスタオルを広げると俺に言った。
「マスミン、ちゃんと乾くまではこのバスタオルの上にいるんだよ」
ワン
俺は一声吠えてマヤに返事をした。
マヤが急にTシャツを脱ぎ始めた。や、やめてくれ。目のやりばに困るじゃないか。
「おねえさんはシャワーを浴びて来るからね」
どこが、お姉さんだ、どこが! 俺の方が君より11も年上なんだぞ! と言った所でわからんか! はあ〜
俺はバスタオルの上に伏せて、マヤがシャワーから出て来るのを待った。
一人、いや、一匹か、になってみると、家の中が静かなのがわかる。マヤと二人きり。なんだかほっとする。
この家は風通しがいいようだ。いい風が吹いて来る。あんまり気持ちがいいので俺はうつらうつらした。
ふと気が付くと、寝息が聞こえる。
シャワーから出て来たマヤが居間のソファーで寝ているようだ。
俺はマヤの寝顔を見に行った。
マヤ……
「はやみ……さん……」
え! ええええ! 何故だ、何故、俺の名前を呼ぶ?起して聞きたい。
だが、よく寝てるしなあ……。俺はソファの横でうろうろした。
もう一度、マヤの寝顔を見る。マヤの目から一雫涙が流れた。
ええええ!マヤ、一体何故? 何故、俺の名前を呼んで泣く?
ああ、もういい、起そう。俺は鼻の先でマヤを突っついた。吠えてみる。
ワン
「うううん」
マヤがノビをする。
マヤ、何故、俺の名前を呼んだ?
何故、泣くんだ!
だが、彼女には伝わらない。
「マスミン……、今何時?」
マヤが目をこすりながら時計を見ている。夢で何を見ていたのかすっかり忘れている感じだ。
はあ、知りたいなあ……。
きっと、俺にイジワルされた事を思い出したんだろう……。
「そろそろ起きなきゃ! あ、そうだ、マスミン、ブラッシングして上げる、おいで」
マヤが立ち上がってテーブルの上のブラシを取り上げた。
俺がマヤの側に行くと、マヤがブラッシングを始めた。気持ちいいなあ。ブラシが背中を撫でて行く。
尻尾は微妙だな。くすぐったい。
「マスミン、はい、手を出して」
俺は前足を出した。
「マスミン、頭、いいねえ」
マヤが俺の前足にブラシをかける。右が済んだら次は左だ。
「はい、マスミン! おなかだして!」
――え! いや、そこはいいです!
俺は思わず伏せた。
「どうしたの。マスミン? 伏せたらお腹にブラシがかけられないよ」
マヤがブラシを置くと俺をひっくり返そうとした。俺は爪を立てて必死に居間のマットにしがみついた。
キャウーン
俺は鳴き声を上げ抗議をしてみる。マヤは仁王立ちになると俺を抱え上げようとした。
え! あれ、うわ!
「きゃっ!」
マヤがひっくり返った。
マヤ、大丈夫か?って、この体勢は……。マヤ、君のおなかの上に背中から乗っかる事になるとは思わなかったよ。
俺はもがいてマヤの上から降りた。
マヤはひっくり返ったまま笑い出した。床に寝っころがって俺を見上げころころと笑う君。俺は思わずマヤのほっぺを舐めた。
マヤがますます笑う。笑い転げた。
「ああ、おかしい!」
マヤがはあはあと笑い過ぎて苦しそうだ。俺もおかしくてマヤの周りを跳ね回った。
遠くで雷が鳴った。マヤが立ち上がった。
夕立が来そうだ。辺が暗くなって来た。マヤも窓の外を見ている。
「マスミン、夕立が来そうだね。窓、閉めておこうか。暑くなっちゃうけど」
マヤが2階の寝室に行った。窓をしめて回っている。さすがにこの体では窓を閉められないな。
1階の窓を閉め終わると同時に雷が鳴った。
ピカッ どどどーん!
「きゃあ」
マヤが俺に抱きついて来た。マ、マヤ、く、苦しい! そんなに抱き締めるな! 大丈夫だから。
「ふう、マスミン、すっごい雷だったね」
俺は、マヤ、君に抱きつかれてびっくりしたよ。
雨が降り出した。どしゃぶりの雨だ。たたきつけるように雨粒が落ちて来る。
マヤは俺の隣に座って俺の肩に手を回したままだ。ぼんやりと雨粒を見ている。
知らない場所で心細いのだろう。
じりりりん。
玄関の呼び鈴がなった。
続く
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