迷犬マスミン    連載第6回 



「セツさん、他に方法はないのか?」

俺はセツさんに人に戻る方法が他にないか確認した。

「ああ、ないね、むろん、わしが死んだら別じゃがな。わしがかけた一切の魔法が解ける。ただ、どこにどんな魔法をかけたかこの頃思い出せなくなってな」

「それはそれで、何か起きそうで怖いな」

「セツさん、男女の愛でないとダメなんでしょうか?」

聖が必死に訊ねる。主人の窮地になんとか出来ないかと考えてくれる。ありがたい。

「いいや、親子でもいいよ。母親にキスして貰ってもいいよ。元に戻る筈だ」

「残念ながら、母は死んでいない」

そう、俺を愛してくれた人は皆いなくなった。俺は誰からも愛されない。誰も愛さない。

「あんた、そう落ち込まなくても……。誰かいないのかい」

俺は逡巡した。

「もしかしたら……、一人いる」

「そうかい、だったらいいじゃないか、その人にキスして貰いよ」

「真澄様、それはどなたです?」

「……マヤだ。マヤは『紫のバラの人』に恋をしている。速水真澄ではなく、『紫のバラの人』が犬になって困っていると言えばやってくれるだろう。彼女は俺の声も聞こえていたし……」

水城君が驚いた顔をして俺を見た。

「……、マヤちゃんが『紫のバラの人』に恋をしているというのは初耳ですが、もし、そうなら、彼女なら信頼出来ます。犬から人に戻っても見ないでくれといえば、約束を守るでしょう」

「ああ、そうだな。だが、俺は彼女の気持ちを利用するつもりはない」

「……真澄様、今はいなくても過去にはいたのではないですか?」

「どういう意味だ、聖」

「例えば、真澄様が幼稚園の時の保母さん、小学校の先生、中学や高校の先生。大学時代のガールフレンド。銀座のママ。その他、まあ、えー、その筋の女性達の中には真実、真澄様を愛した女性がいたかもしれません」

「しかし、それは……」

ここで水城君が聖に同調した。

「わからないではありませんか? この際です。たった一人の愛より複数の愛です。下手な鉄砲も数を撃てば当たります」

「水城君……、君、面白がってないか?」

「いえ、決してそのような事は……」

秘書殿は俺に女性関係を白状させて俺の弱みを握るつもりだな。
そうはさせるか、、、、、とは思ったものの、しかし……、やってみるか、他に選択肢はないし……。

「わかった。やってみよう。水城君、俺が思いつく限りの名前を言うからリストしてくれ。
 聖、明日、この劇場に女性達を出来るだけ集めてくれ。やり方は今日と一緒だ」

「わかりました。それでは、真澄様、お願いします」

俺は思い出せる限りの名前をあげた。さすがに幼稚園の先生はあだ名しか思い出せなかったが……。

一通り作業が終わって俺達は解散した。
翌日。
俺は自分のマンションで過そうと思っていた。聖が女性達に連絡するのをサポートするつもりでいた。
そこに、マヤから聖の携帯に連絡があった。

「はい、聖ですが」

――あの、実は、稽古場の天井が崩れたんです。老朽化してたらしくて、それで修理するのに1日かかるんだそうです。それで黒沼先生が今日は休みにしちゃったんです。それで、あのお家。空き家みたいだったから、あそこで練習出来ないかなって、それに、ほら、聖さん、あたしに鍵を貸してくれたじゃないですか? あたし、返すの忘れちゃって……

「マヤ様、ちょうど良かったです。ついでといっては何ですが、またマスミンを預かっていただけませんか? ちょっと事情が変わりまして……」

――ええ、いいですよ。じゃあ、あのお家、貸していただけるんですね。

「はい、今から迎えに参りましょう。稽古場ですか? それでしたら、××駅の前で」

聖と俺はマヤを迎えに行った。待ち合わせ場所の前にマヤがいる!
マヤが手を振っている。わお! 会えるとは思わなかった。
俺達はマヤと合流して例の白い家に向った。

白い家に着くと、聖は俺とマヤを残し「夕方、迎えに参ります」と言って戻って行った。
俺とマヤは門の前に立ち聖を見送った。
マヤと二人きりだ。だが、今日はマヤは芝居の練習に忙しくて俺を構ってくれない。つまらんな。また、フリスビーで遊びたいのに。俺は居間のマットの上でごろごろした。

やがて、昼になった。

ワン! ウーワンワンワン!

「マスミン、どうしたの? あ! そっか! そろそろお昼なんだ」

マヤは俺の餌入れにドッグフードをいれてくれた。一昨日の残りだ。マヤは自前のサンドイッチを食べている。

「マスミン! はい、今日はサンドイッチのかけら、上げるね」

マヤの手から食べるとおいしいなあ。俺はマヤの手をペロペロと舐めた。汗の味がする。食事が終わるとマヤは稽古を再開した。
汗だくになりながら、阿古夜の練習をする。俺はタオルをくわえるとマヤに持って行った。

「マスミン、ありがとう! マスミン、ホントに頭いいんだね」

マヤは俺からタオルを受け取ると汗を拭いた。
俺がじっと見ていると、マヤはかがんで俺の額にキスをしてくれた。嬉しい!
衝撃が来た!
え? えええ?
何故だ? そんな馬鹿な! マヤは俺を、、、キラッテイルハズ! うわああああああ
骨格が伸び、顔が縮み、体毛が抜け落ちる。
俺は人間に戻っていた。
マヤの悲鳴が聞こえる。

「きゃあ〜〜〜〜! きゃあ〜〜〜〜〜! 嘘! 速水さん? ハ! ハダカ! ハダカ! いやああああ!」

マヤが2階に走っていく。

「マヤ、待ってくれ! これには訳があるんだ」

俺はマヤが落として行ったタオルを慌てて腰に巻き付けた。マヤの後を追って駆け上がる。もう一つの寝室。確か、聖の服があった筈だ。俺は聖の服を着た。ジーンズにTシャツ。俺はマヤの寝室の扉の前に立つとマヤを呼んだ。

「マヤ、頼む、話を聞いてくれ」

「いや、あっちへ行って。あなた誰? マスミンは? マスミンは一体どうなったの。今、聖さんに連絡してるんだから!」

マヤが聖に連絡する声が聞こえる。

「聖さん、聖さん、すぐ来て! 居間に、は、裸の男が! 速水さんにそっくりな裸の男が! マスミンがいない! いなくなったの……。あ、、はい、え?、、、、
ええええ!!!!!!!!!!
嘘、信じられない。そんなの、そんなの。マスミンが速水さんだったなんて。え? はい、あたし、マスミンがタオルを持って来てくれたので、マスミンにキスしました。は? え? はあ……、あ、はい、では、待ってます」

俺は静かになった部屋の中に向って話しかけた。

「マヤ……、落ち着いたか?」

「……、聖さんがマスミンが速水さんだって。速水さんが魔法をかけられて犬になってたって……」

「ああ、そうだ。疑うなら俺に魔法をかけた人を連れて来て貰う」

「……、可愛いマスミンが意地悪な速水さんと一緒だなんて信じられません」

俺だって信じられない。マヤ、君が俺を愛してくれていたなんて……。真実の愛だなんて……。

「マヤ、ドアを開けてくれ。証拠を見せるから」

マヤがそっとドアを薄く開ける。とまどった表情で俺を見上げるマヤ。

「マヤ、この首輪だ。マスミンと同じ物だろう」

マヤがこくんと首を立てにふる。
俺は話した。
公園でセツさんという老婆を助けた事、その礼にセツさんが最後の魔法の力を使って俺を犬にしてくれた事。

「速水さん」

マヤが部屋から出て来た。

「マヤ、俺を人間に戻せるのは、真実、俺を愛している人だけなんだ」

マヤが驚いて俺を見上げる。マヤの顔がトマトのように真っ赤になった。

「それ、、、なんかの間違い! 絶対、間違い! あたし、あなたなんて、、、」

マヤが顔をふせた。

「なぜ、否定する?」

「否定なんかしてない、あたし! あなたなんて、愛してない! 愛してないんだから!」

「嘘だ! 魔法がその証拠だ」

「魔法なんてないもの、そんなの何かのトリックなんだから」

「いいや、違う。マヤ、俺は紫織さんにも額にキスをして貰ったんだ、2度も。だけど彼女では俺を元に戻せなかった」

マヤが驚いた瞳を俺に向けた。俺はマヤの手を取った。そっと抱き寄せる。そして……、抱き締めた。
ああ、夢のようだ。

「マヤ……」

マヤが観念したように俺を抱きしめた。

「速水さん、あたし……」

「俺は君に嫌われていると思っていた」

マヤが俺を見上げた。そっと、俺の首輪に触れる。

「本当にマスミンだったんですね」

「ああ、君と河原でフリスビーをやって遊んだマスミンだ」

マヤがくすくすと笑い出した。

「あたし、ちっとも知らなかった」

「ああ、俺も知らなかった、君の気持ちを……」

「速水さん……」

マヤの黒目がちの瞳がうっとりと俺を見上げる。マヤ。マヤの唇。俺はそっとマヤの唇にキスを落とした。


どれくらい、そうしていただろう、玄関の開く音が聞こえた。






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