狼の夏    連載第2回 




翌朝、速水真澄は、鷹宮紫織が目覚めるのを待っていた。

紫織が目覚めると速水は

「よくお休みでしたね。朝食を取られたら、ご自宅まで御送りしましょう。」

と言った。
紫織は、自分が別荘のソファに寝かされているのを知って驚いた。
あわてて、立ちあがろうとしたら、めまいがした。
口の中がざらざらして、ひどく気分が悪かった。

「私、どうしたのでしょう?」

速水は、何も言わず、紫織に近づき、腕を掴んで、無理矢理たたせると、朝食のテーブルに乱暴に座らせた。

「さあ、コーヒーを飲みなさい。少しは意識がはっきりする。」

いわれるまま、紫織は、コーヒーを飲んだ。
コーヒーを飲むと急に吐き気がしてきた。

「あ、あの、ちょっと、失礼」

そういって、バスルームに行こうとすると、

「君、」速水が、紫織の後ろにいた人物に声をかけた。

それは中年の女性看護師で、紫織を支えるとバスルームに付き添った。
バスルームで紫織は鏡を見た。

(まあ、ひどい顔。一体、私ったら。)紫織は解せなかった。
顔を洗って化粧を直したかったが、ハンドバックを居間においてきてしまった。
(昨日の話はどうなったのかしら?)
バスルームから戻ると、速水が待っていた。

そして、

「紫織さん、あなたの体調が悪いようなので、あなたにプレゼントがあります。」と切り出した。

「な、なんでしょう。」

紫織はびっくりした。昨日の今日である。速水から何か話があってもいいと思ったがプレゼントだという。

「こちらは、看護師の泉君と佐藤君、それと、ボディガードの田中君だ。」

紫織が、振り返ると、3人の人物がこちらを見ていた。
先ほどの看護師ともう少し若い看護師。それと、屈強な体をしたいかにもボディガードという感じの男がいた。

「あなたの体調管理の為の、看護師です。これから貴方に24時間付き添います。
 それと、昨日、大都の方に脅迫状が届きました。暴力団系の芸能社の嫌がらせなのですが、あなたに危害を及ぶといけません。それで、ボディガードをつけます。鷹宮翁にも、ご両親にも連絡しておきました。鷹宮の方でも用心してくれるという事でしたが、心配なので僕の方からボディガードをつけたいというと快く承知してくれましたよ。」

実際は脅迫状など無く、紫織を24時間、見張る為の口実に過ぎなかった。
紫織は、どういう事かわからなかったが、速水が大事にしてくれるというので素直に喜んだ。

「まあ、真澄様、そんなに紫織の事を心配してくれて。嬉しいですわ。
 きっと、あなたが私だけの物になると信じていました。」

速水は、(この女狐、だったら、何故、マヤにあんな事をした。許さん!)と思ったが、表面は穏やかな表情を浮かべ、3人の人間を別室に下がるように合図をし、3人がいなくなったのを確認してから話を始めた。

「昨日、話した事を覚えていますか?」

「ええ、あなたが北島マヤに援助してきたのは興行の為だと。」

「そうです。だけど、あなたは信じなかった。」

「だって、だって、あ、あなたは、紫のバラだけはだめだって言うし。
 私といても、時々、ぼんやり他の事を考えていらっしゃるし。
 普通、婚約者に夢中なら、そんな事しませんわ。
 結局、あなたは私より北島マヤの方が気になるんです。愛しているですわ。北島マヤを!」

「なるほど、俺があなたに夢中ではないから、他の女を愛していると思ったわけだ。
 仕方がないでしょう。俺は、女とつきあうより仕事の方が面白いと思う男だ。
 それをわかっていて、俺を好きだと言ったのはあなたの方でしょう。
 こんな俺を好きだと言ってくれるあなたに一生努力で報いようと思っていたのに。」

「努力で報いる!どういう事ですの。私を愛して結婚を申し込まれたのではありませんの。」

「あなたと見合いをしたのは、義父から、強く勧められたからですよ。
 見合いをしてもあなたに断られると思っていた。
 そしたら、意外にもあなたが俺を気に入ってくれた。
 育ちも全く違う、あなたと共通点のない俺を何故あなたが気に入ってくれたのか。
 俺には理解出来ない。
 あなたは鷹宮翁の孫娘だ。
 俺の方から断れると思うか!
 それにあなたはとてもいい人に見えた。
 実際、こんな事をするまでは、いい人だと思っていた。
 大都芸能にとって最高の花嫁だと。
 それを、まさか、こんな形で裏切られるとは。」

「き、北島マヤに対する援助をやめてください。お、お願いです。」

紫織は、速水から聞かされる真実に、驚き泣きながら懇願した。

「前にも言ったでしょう。義父は『紅天女』を上演する為に大都芸能を起こしたと。
 せめて、試演が終わるまで待てなかったのか」

「だって、北島マヤが試演に失敗したら、きっとあなたは北島マヤに愛想をつかして忘れると思って。」

「これからも、つまらん女の嫉妬で俺の仕事を邪魔するつもりか?」

「し、しません。北島マヤのことさえ忘れてくれたら。」

「まだ、言うか。北島の事は『紅天女』の興行の為だと言っているだろうが。
 仕方ない。こんな事はしたくなかったが。」

そう言って、速水はテーブルの上の封筒を取り上げ、中から写真を取り出した。

「もし、今後、あなたが、俺の仕事を邪魔したら、北島の演技を妨害したり、『紅天女』の公演を妨害するような事があったら、こちらの写真が出回ると思って下さい。」

そういって、取り出した写真を見せた。
それは、紫織が淫らな格好をした裸の写真だった。
しっかりと顔がうつっており泣き黒子の位置まではっきりとわかった。

「こ、これは!」

「昨夜、写真をとらせて貰いました。」

紫織は羞恥で真っ赤になった。好きな人に、最も見られたくない写真。

「あ、あなたは、こんなこんな、、。ひどい。」そういって、絶句した。

「もちろん、一般に出回る事はありません。もし、今後あなたが、俺の仕事を邪魔したら、あなたのお友達、お琴のお仲間、あなたを嫌っていたあの女性。そういう人に匿名でこの写真が郵送されるでしょう。」

紫織は、初めて真澄が業界で恐ろしい男と言われている理由を知った。

「ひ、ひどい、あなたは私の婚約者じゃありませんか?」

「そう、婚約者です。いずれ、あなたの夫になる男です。だからこそ、あなたに正しい躾をしませんとね。
 人の持ち物を勝手に盗み出すような女には罰が必要だ。」

速水は写真を見ながら、薄笑いを浮かべて

「あなたのきれいな体に傷をつけるわけにはいかない。跡が残ると鷹宮翁に俺が怒られます。
 だから、評判の方を落とさせてもらいますよ。」

紫織はかっとなって、写真を取り返そうとした。
素早く、写真を高く持ち上げた速水は、

「今後、俺を怒らせるような事はしない方がいい。よく覚えておくんだな。」

と低い声で言った。

「ひ、卑怯者!」

「なんとでも。俺は、こういう男ですから。こういう男を好きだと言ったのはあなたの方でしょう。
 あなたのご両親やお爺さまにこの事を話してもいいですよ。
 女優風情に婚約者の心を奪われたとプライドの高いあなたが言えるものならね。
 俺がマヤを援助していたのは興行の為だという話をあなたが信じてくれれば、ここまでする必要もなかったが。
 嫉妬に狂った女は信用できませんからね。」

そう言って速水は、くすりと笑った。
紫織は、そのぞっとするような笑顔に心底、恐怖を感じた。

「写真の事も、話したければどうぞ。俺は婚約者ですからね。
 俺が結婚まで待てないから写真を取ったといえばそれまでです。
 その時、ご両親にみせる写真はこの写真ではなくこちらです。」

そう言って、紫織が穏やかに眠っている写真を見せた。

「あなたは八方塞がりなんですよ。大人しくするんですね。
 俺と婚約を解消してもこの写真はあなたの手には戻りませんよ。
 さ、もっと楽しい事を考えなさい。新婚旅行の事や新居のカーテンや家具の事など。
 それと新居は、マンションを俺の方で購入しますから、そこに住んでいただきます。いいですね。」

「そんな、新居は鷹宮の別邸を改築して住むと言っていたではありませんか?」

「気が変わりました。鷹宮邸に住むと俺がまるで入り婿のようだ。
 それでは、周りに示しがつきません。
 いづれ速水の家に入って貰います。
 俺の妻となって、子供を産んで貰いましょう。2、3人。」

「こども!」

紫織は絶句した。この恐ろしい男に抱かれるのかと思うと鳥肌がたった。
 (私の愛した優しい真澄様はどこに行ったの)紫織は恐怖で愕然となった。

「そう、子供です。速水の家の為に。
 後は、何もしなくていいですよ。蘭でも育てていらっしゃい。
 わかりましたね。」

速水は、たばこを吸うと、煙をはきながら、猫撫で声で言った。

「俺はね、あなたをとても愛しているんだ。それが、わからないんですか?」

紫織は、恐怖に引きつった顔をゆがめながら

「だったら、だったらその写真を返してください。」と言って泣き出した。

「だが、あなたが俺を愛していない事がわかってしまった。とても残念です。」

紫織は、何か言おうとした。愛していないのはあなたの方だと言いたかった。
だが、口をぱくぱくとさせただけで何も言えなかった。
速水は、話し合いは終わったと解釈した。

手をパンとたたいて、隣室に控えていた3人を呼ぶと、
「この人を送っていってくれ。」と言った。

紫織は放心状態だった。頭の中では、
(真澄様が、真澄様が、あんな、、、。ひどい、、、、。ひどい、、、、、。)
と、同じフレーズばかりが繰り返されていた。
車の中で、揺られながら、紫織はいつのまにか、眠り込んだ。
眠りだけが救いだった。

紫織が鷹宮の家に戻ると、両親も祖父もばあやもいなかった。
変だと思って女中頭を呼ぶと、

「ばあやさんは、ご長男さんが郷里で倒れたという連絡があって、大急ぎで郷里に帰られました。
 お父様は、ゴルフです。お爺様も会合にご出席。お母様は、観劇にお出かけです。
 それと、速水様から、看護師さん達のお部屋を用意するように言われましたので、お嬢様のお隣の部屋に用意してあります。ボディガードの方のお部屋も隣室に用意しました。」

紫織は、自分が駕篭の鳥になった事を認めた。そして、諦めた。

(真澄様には逆らわない方がいい。あの写真を配られたら、、、。)

紫織はぞっとした。

(私、あの真澄様と結婚するんだわ。あの男に抱かれるんだわ。)

瞬間、恐怖が襲った。

(い、いやあ、、、。)

紫織は、自分を守るように自身の体を抱いて、その場にくずおれた。



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