狼の夏 第3部  連載第6回 




 速水が目を覚ますと、近衛雪子が目の前にいた。
その日の雪子は、レースがごてごてとついた昔風の白のワンピースを来ていた。
速水は、頭がひどく痛かった。

「ここは、、、? 俺は一体?」

「どうぞ、これをお飲みになって。」

雪子は、水の入ったコップを渡した。
速水は、コップを受け取ったが、用心して飲まずにいた。

「大丈夫ですわ。それは、本当に只の水ですから」

と雪子が言った。
仕方が無いので、速水は一口飲んでみた。
大丈夫そうだったので、もう一口飲んでやめた。
多少、意識がはっきりして来たので、部屋全体を見渡してみた。
速水は、ソファに寝かされていたらしい。
部屋は、どこかの応接室らしく、開け放たれた窓の向うにテラスが見える。
波の音が聞こえる。恐らく海岸沿いだろう。
腕時計を見ると、7時を指していた。
ドアの前には、2M近くある大男が立っている。
雪子のお付きの者だろう。筋肉の塊のような体躯をしている。
あれを正面から素手で倒すのは無理だと速水は思った。

「あなたが、私と付き合うと言ってくれたらこんな乱暴な事をせずに済みましたのに。」

「どういう事です。」

「あなたは、私と結婚するのです。明日。」

「はあ? 何かの冗談か? さあ、俺は忙しいんだ。さっさと帰らせてくれ。
 あんたのママゴトに付き合っている暇はない。」

そう言って速水は立ち上がろうとした。だが、まだ、ふらついてしまい、ソファに座り込んだ。

「ほほほ、まだ、薬が抜けてないようね。
 あなたは私の伴侶なのですよ。
 それが、わからないの?」

「俺の伴侶はマヤだけだ。何わけのわからん事を!」

「あの人は女優じゃありませんか?
 そんなのは愛人になさい。どうしてもと言うなら。
 私を妻にしたら、そんな事、言わなくなるに決まっているけれど。」

「俺は、あんたの事はまるで知らん。一体、何故そんな事を?」

「初めて会った時、天啓が閃いたのですわ。
 あなたこそ、私の伴侶だと。
 あなたが私のパンフレットを拾って渡してくれた時、パンフレットの裏に書いてあった文字が私にそう告げたのですわ。」

そう言って雪子は、その時のパンフレットを出してみせた。裏には、清涼飲料水の宣伝が印刷されていた。

「あなたの親指が、ここをこう抑えて私に渡してくれたのです。ほら、ここを抑えて斜めに読むと
 『わがつまへ』って!
 それで、私わかりましたのよ。あなたこそ、伴侶だと。」

それを聞いて、速水は爆笑した。

「はははははは、それは偶然だ。パンフレットの印刷がたまたまそうなっていただけだ。
 そんなくだらん事で、俺を誘拐したのか?
 近衛家には損害賠償を払って貰うからな。」

「な、何がおかしいのです! その証拠に、結局、紫織様とは、別れたではありませんか?
 お相手が紫織様ならと思って、あの時は身を引きましたけど。
 紫織様と別れたのも運命なのですわ。」

「何故、紫織なら身を引いて、マヤだと身をひかないんだ。」

「紫織様は、当家より格上ですから。」

「それなら、俺だって、あんたの家の格には合うまい。
 どこの馬の骨ともわからん養子の身だぞ。」

「まあ、ほほほほ。やはりご存知なかったのですね。
 当家では、日本の華族の親戚関係を詳細に調査した極秘情報がありますのよ。
 あなたのひいお爺様は、藤堂家の方なのですよ。
 藤堂家のご三男が、赤坂の芸者に生ませた子があなたのお爺様なのですわ。
 藤堂家の末裔なら、当家に相応しいお方ですわ。
 きっと、ご存知ないと思っておりましたわ。
 ご存知だったら、女優風情と婚約などする筈がございませんもの。
 それに、あなたの個人資産。数十億からの個人資産をお持ちの上、一体、いくつの会社に関わっていらっしゃる事か。
 血筋といい、お持ちの資産といい、これほど私の伴侶に相応しい方はいませんわ。」

「それで、俺と結婚すると言うわけか?」

「ええ!」

「鷹宮紫織の方が、まだましだったな。あの女は、こんな俺を好きだと言ってくれたからな。
 だが、あんたの狙いは、俺の財産らしい。血筋は適当にでっち上げたでたらめだろう。
 そんな女は願い下げだ。」

「あら、もちろん、あなたが好きだからですわ。一目惚れですのよ。」

「俺を好きなら、好きな人の幸福を願おうとは思わんのか?」

「もちろん、願ってますわ。だから、私と結婚しましょうと言っているのです。
 それが、あなたの幸福だからですわ。
 私がどんなに素晴らしい女性か、これから朝食を食べながら教えて差し上げますわ。」

そう言って、雪子は執事に朝食の用意をさせた。




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速水が、近衛雪子と対峙している頃、速水の家では、大騒ぎになっていた。
大都芸能から、速水の家に戻る途中、忽然と姿を消した速水の車は、とある地下駐車場に停められていた。
車の中には、速水の運転手兼ボディガードが、やはり薬によって眠らされていたが、薬が切れるとすぐに速水の家に電話を入れた。
運転手兼ボディガードの話によると、

「大都芸能からお屋敷に向かっていましたが、お屋敷の近くまで来た時、道路に車が止めてありまして、、、。
 邪魔になって通れないので、クラクションを鳴らしたら、男が降りて来まして、
 腰の低い老人で、詫びを言いながら車に近寄って来たんです。
 それで、窓を開けたらいきなり薬を吹きかけられて、、、。」

後は覚えていないというのだ。

英介は、まず、犯人の出方を見る事にした。
真澄は以前にも誘拐された事がある。犯人の出方を見てから、動いても遅くはないと思ったのだ。
だが、犯人から連絡はなかった。
英介は、誰が真澄を誘拐したか考えてみた。
商売敵、或は、真澄や英介を恨んでいる者達は、手の込んだ誘拐などしないだろう。
生きている真澄がほしいというのは、どんな人間か?
皆目検討が付かなかった。
取り敢えず、大都芸能には、急病という事にしておいた。
速水の携帯は、車の中に打ち捨てられていた。携帯のGPS機能を使って真澄の行方を探すのは不可能だった。
英介から連絡を受けた聖は、速水がつけている発信器(時計に発信器が埋め込まれている)の電波をたどろうとしたが、速水が電源を切っているらしくたどれなかった。
犯人からの連絡を待つしかなかった。



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