狼の夏    連載第4回 




 マヤは、大都芸能の向かいから、社屋を見上げるように立っていた。
速水は、マヤを見つけた嬉しさで、思わず顔がほころんだ。
が、何故彼女がここにいるのかその疑問が速水の顔を引き締めさせた。
そして、マヤの前で、車を止めた。

「やあ、ちびちゃん。」

「速水さん!」

「どうした、こんな所で? 俺に用か?」

「ええ、あの、、、。」

「それなら、乗りなさい。」

「はい。」

速水は、マヤを助手席に乗せると

「ちょうど、良かった。社に戻って仕事をしようか、夕食にしようか迷っていた所だ。食事につきあってくれ。」

「はい、速水さん。」マヤは沈んだ声で答えた。

「どうした? 今日は元気がないじゃないか。」

「あの、実は、速水さん。実は、私、紫のバラの人に見放されたかもしれないんです。」

そういって、マヤは涙ぐんだ。
速水は思った。
(その件か。それは、誤解だと言いたいが、言えるわけない。)
速水は、取り敢えず適当な所に車を止めると、マヤの話を聞く事にした。

「それで?」

「紫のバラの人に昔あげた舞台写真のアルバムと『あなたの演技に失望しました。』っていうメッセージが届いたんです。最初はびっくりして、すごく、落ち込んだんです。だけど、よくよくメッセージを見たら変なんです。いつもは、手書きなのに今回はワープロだったんです。」

「、、、。」

「黒沼先生からしばらく稽古を休めって言われたんですけど、メッセージが変だったので、今日、稽古場に行ったんです。黒沼先生にメッセージがワープロだった話をしたら、先生もおかしいって言ってくれて。
 それで、紫のバラの人に何かあって、それで、奥さんか誰かが私に腹を立てて送り返してきたんじゃないかって事になって。
 もし、奥さんか誰かが私に腹を立てて送り返してきたんだったら、ご本人に何かあったんじゃないかって。
 事故か何かにあったんじゃないかとか、病気になられたんじゃないかとかいろいろ心配で。
 速水さんはどう思われます?」

「どうって?
 何故、君からそんな相談を受けなきゃならない。
 まあ、いい。
 そうだな。俺はその人のメッセージカードを見ていないが、普段が手書きなら、確かに、本人からではないかもしれんな。」

「やっぱり。良かった。黒沼先生の言う通り、近親者か奥さんが誤解したんですね。
 写真がびりびりに引き裂かれていて、ものすごく、悲しかったんです。」

そう言って、マヤは涙ぐんだ。

「なんだって!写真が引き裂かれていたのか!
 なんて、ひどい事を!」

速水は(紫織め、許せん!)と心の中で思ったが、すぐに冷静になり、

 「ところで、一体、何故、君は俺にそんな話をしにきたんだ。」と疑問を口にした。

マヤは、速水と、もし話せたら、言おうと思っていた言い訳を口にした。
「あの、えっと、あの、私、父がいないんで、大人の男の人の気持ちってよくわからないんです。最近、知り合ったパフェおじさんに聞いた方がいいかもしれないって思ったんですけど、あまりよく知らない人に紫のバラの人の話をいきなりするのも変かなと思って。それで、速水さんなら、昔から、私の足長おじさんの事はよく知っているし。
 すいません。つまらない事を相談に来て。」

「まあ、いい。だが、その紫のバラの人というのは、君のアキレス腱だな。
 もし、紫のバラの人がどこそこに来いと言ったら、君は、ほいほいついて行くのだろう。
 紫のバラだけでなく、何か他に、その人からだとわかる印はないのか?」

「そうですね。花束だけなら、いつも同じ花屋さんなので、間違える事がないんですけど。
 時々、届く贈り物は、宅急便だったりするもんですから。」

「それじゃあ、その人にメッセージは頼めないのか?
 今回の事を話して、紫のバラ以外で何か印をつけてくださいって頼んでみたらどうだ。
 もし、俺が、仮にだ。仮に君が上演権を持っていたとして、君から上演権を取り上げようと思ったら、紫のバラを利用するね。」

「速水さん!」マヤは、驚いて、速水を見た。

「そう、怒るな! いいか、自分の身を守ろうと思ったら、相手の出方を想定しろ。
 そしてつけこまれないようにするんだ。
 俺は、いつでも、君や月影先生から上演権を奪いたいと思っている事を忘れるな。」

「ど、どうして、そんな事、私に教えてくれるんです? 隙だらけの方が扱いやすいのに、、、。」

「あんまり隙だらけだと、戦い甲斐がないからな。
 多少、抵抗して貰った方が、ゲームは面白い。」

「速水さん、ひどい!」マヤは思わず叫んだ!。

「ははは、少しは元気が出たようだな。さ、食事に行こう。」

マヤは思った。
(この人はいつもこうだ。人を怒らせて元気づける。
 もしかしたら、速水さんが事故か何かにあって、それで、誰かがアルバムを送り返したのかと思ったけど、
 心配するんじゃなかった。
 速水さん、相変わらずなんだもん。

 それに、速水さん本人から見放されていたらどうしようかとも思ったけど、、、。
 それも違うみたいだし。
 写真が引き裂かれていた事、速水さん知らなかったんだわ。
 でも、一体、誰がこんなひどい事をしたのかしら。
 速水さんの所から私のアルバムを持ち出せる人ってきっと限られていると思うのに。
 紫織さんかしら? ううん、あんなに優しそうな人がするわけない。
 それに、速水さん本人が送り返したんじゃなければ、それでいいわ。)

速水は、マヤを老舗の名店に連れていった。
どの料理も素晴らしくおいしい筈だったが、2人共ほとんど味がわからなかった。
速水は胸のうちを語りたかった。だが、紫織との結婚を控え言えるわけがなかった。
(言えるわけない。マヤを好きな事も、自分が紫のバラの人だという事も。言ったら唯一の絆も切れる。)
ただ、今回の事件で、紫織との結婚に別の意味が出来た。
マヤを守る為に紫織と結婚するのだ。紫織を見張る為に。
マヤを守る為なら女狐と結婚する事などなんでもないと速水は思った。

マヤはマヤで、
(速水さん、紫のバラの人、愛しています。
 婚約者のいる人を好きになってはいけないって、そう思ったけど。
 やっぱり、だめ。せめて、私の気持ちを速水さんに知って貰いたい。)

マヤは酔っぱらう事にした。お酒の力を借りたら或は言えるかもしれない。
そう思って、とにかく飲んだのだが、緊張のせいか、少々飲んでも、ちっとも酔わなかった。
その為、つい深酒してしまい、とうとう酔いつぶれてしまった。

速水は速水で車なので、酒が飲めない。
マヤが、酒をどんどん飲んでいる事はわかっていたが、止めようと思っているうちに、マヤの話に出て来た「パフェおじさん」という人物がどうやら英介らしいとわかり、ついマヤが酒を飲むのを止め損なってしまった。
結局、酔いつぶれたマヤを速水は送る事になった。

アパートの前で車を止め、速水はマヤを抱き上げ、部屋まで運んだ。
青木麗にマヤを預けようとしたが、麗は留守だった。
マヤをおろして、マヤのバックから鍵を取り出そうとした。
その時、突然、マヤは速水の首に腕を回ししっかり抱きしめ、耳元で囁いた。

「速水さん、お願い、何も言わずに私の話を最後まで聞いてください。
 あなたが紫のバラの人だという事はわかってます。
 長い間、支えてくれてありがとうございました。
 試演、きっとがんばります。
 あなたに喜んで貰えるような演技をしたいと思っています。
 私、私、あの、あなたが好きです、誰よりも愛しています。
 あなたが、紫のバラの人でなくても、きっと好きになったと思います。
 あなたに婚約者がいるのは、わかっています。
 それでも、私の気持ちを伝えずにはいられなかった。
 迷惑なのはわかっています。
 でも、私がずっと思っている事だけは、知っててほしい。」

それだけ言うと、マヤは、速水を離した。マヤの目からは涙があふれていた。
マヤは、速水の手からバックをとりあげると、鍵を取り出しドアを開け中に入って閉めようとした。
その間中、マヤは速水の顔を見ようとはしなかった。
速水はあまりの話の展開についていけず、唖然としたが、マヤがドアの向こうに消えそうになって始めて我に帰った。

「マヤ、俺も話がある。
 聞いてくれ。」

そう言って、強引にマヤの部屋に入った。

「は、速水さん。」

速水は、マヤをぎゅうっと抱きしめると、

「俺もだ。俺も、マヤ、君を愛している。
 君に紫のバラを送りながら、何故、名乗れなかったか。
 わかるだろう、俺だとわかったら、君が拒否すると思ったからだ。
 紫織さんと婚約したのも君を忘れる為だったんだ。
 アルバムの件は、本当にすまなかった。俺のミスだ。
 君を見捨てたりするもんか。」

そう言って、速水はマヤに口付けをした。

長い、長い間、二つに別れていた魂が今、邂逅した。
二人の周りで数億の星々が祝祭の輝きを放った。
銀河が回転し、彗星ははじけ飛んだ。
あの日、梅の谷で渡れなかった川を今、二人は渡ったのである。



その時、階下で、人の気配がした。
声からして青木麗が帰って来たようだった。
速水は仕方なく、マヤを離すと、

「マヤ、待っていてくれ。紫織さんとの婚約は必ず解消する。また、連絡するから。」

そう言いながら、速水はあわてて電気をつけた。

青木麗が、

「マヤ、ただいま。」

そう言って、部屋に入って来た。
麗は、速水がいるのに気がつくと驚いた様子で、

「速水社長、来てらしたんですか?」と言った。

「ああ、今、帰る所だ。この子が、酔っぱらってね。送ってきたんだ。
 じゃあな、ちびちゃん。あんまり、深酒すると稽古にひびくぞ。」

そう言って、速水は帰って行った。
麗がマヤの方を振り返ると、マヤは、すでにちゃぶ台に突っ伏して眠っていた。



翌朝、いつものように目覚めたマヤは、二日酔いで頭が痛かった。
そして、前夜の事は、全く覚えていなかった。



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