ロマンチックは似合わない    連載第2回 




 落ち着いた顔をした水城が立っていた。

「社長、災難でしたが、こちらの復旧は我々におまかせ下さい。レストランには事故で遅れると伝えています。マヤちゃんもお腹空いたでしょう。社長は車に予備のスーツが積んであります。雨に降られた場合などの緊急用ですが、今はそちらに着替えられたら宜しいでしょう。マヤちゃん、マヤちゃんは私と来て頂戴。ちょうど、この階に大都の衣装室があるから」

真澄は水城の言葉に冷静さを取り戻した。

「わかった。では、後は宜しく頼む、水城君」

言い捨てると真澄は階段に向った。


真澄は婚約を解消した。鷹通関連の会社と熾烈な競争を繰り広げ、勝利した。しかし、今日勝ったからと言って、明日も勝てるとは限らない。恐らく、真澄には安心して休める場所が必要なのだろう。だが、真澄は決して自ら安寧を求めない。働き過ぎでおかしくなる前に、水城は真澄がマヤに安らぎを求めてくれたらと思った。マヤという恋人を得られれば、もっと自然体で仕事に打ち込めるだろう。生活のリズムがオンとオフにはっきり分けられるだろうと水城は思った。

「さ、マヤちゃん来て」

水城はマヤを連れて、衣装室に行った。

水城は真澄とマヤ、両方の気持ちを知っていた。しかし、真澄がマヤの母親を死に至らしめた罪悪感から解放されていない事、マヤがその母親に寄って植え付けられた強烈な劣等感に囚われている事を水城はよくよく承知していた。水城はマヤをちらりと見ると、山ほどある衣装の中から1枚のドレスを取り出した。

「え? このドレス?」

水城が持って来たドレスはチューブドレスだった。セクシーなドレスである。全体にドレープが入っているとはいえ、体の線がきれいに出る。生地に織り込まれたラメがきらきらと輝く。肩がむき出しで、胸元は大きくあいている。全体に伸縮性のある生地なので、ドレスが落ちる心配はない。ないが……。

「ええ、この黒のドレスを着て! 今日、予約したレストランは大人っぽい雰囲気があうの」

マヤは言われた通りに顔を洗って埃を落し、着ていたピンクのAラインのワンピースを脱ぎ、黒のチューブドレスに着替えた。水城は手慣れた様子でマヤに化粧を施して行く。髪をきれいに小さくまとめた。がらりと大人っぽくなったマヤがいた。

「さ、これで、うちの社長を悩殺して来て頂戴!」

「悩殺って……、あ、あたしがどうして速水さんを悩殺しなきゃならないんです!」

「あのね、マヤちゃん、あたしがあなたと何年付き合ってると思ってるの。マヤちゃん、社長の事、好きでしょう。以前は憎んでいたけど、今は違うでしょう」

「水城さん……。どうして?」

「あなたを見ていたらわかるわ。どうして大都の所属になったの? まだ、存命だった月影先生の反対を押し切ってまで、どうして大都の所属になったの?」

「それは……。月影先生と速水会長に和解してほしかったから……。会長が一連先生にした事は許せないけど、月影先生にはいつまでも憎しみに囚われていてほしくなかった。それに『紅天女』の収益はほとんど福祉団体に寄付されるでしょう。大都が『紅天女』でお金もうけをすればするほど、寄付金は増えるわけだし……」

「ふふ、それは建前ね。素直になりなさい。それにね、社長は働き過ぎなの。おかげで大都の社員は大変なのよ。マヤちゃんが恋人になってくれて社長が少しは遊ぶようになったら我々社員がゆっくり出来るの」

「でも、水城さん、無理! だって、速水さんはあたしを子供の頃から知っているのよ。いつまでたってもあたしは子供扱いなんだもん」

「大丈夫、マヤちゃん、必殺テクニックを教えるわ。相手の目をじっと見つめて何も言わない。今の真澄様ならこの手で落ちるわ。エレベーターで二人っきりだったんでしょう」

「そうだけど……」

マヤは真澄に肩車された時を思い出して俯いた。水城はマヤの様子に思わず聞いていた。

「何かあったの?」

「……、脱出口」

「え?」

「脱出口に手が届かなかったの。それで……、肩車して……」

水城は、あっけに取られた顔をした。

「もしかして、真澄様があなたを肩車したの? さっきのワンピースのままで!」

マヤは真っ赤になりながら頷いた。

「だったら、よけいOKよ。マヤちゃん。攻めるのよ、真澄様を。今日こそ、あの朴念仁をゲットするの。大丈夫、今なら押せば落ちるわ」

「水城さん!」

マヤはあたかも炎をしょったように燃える水城に圧倒された。
出来上がったマヤを見て水城は満足そうにした。黒のドレス、黒のハイヒール、クロコのセカンドバック。

「素敵よ、マヤちゃん、セクシーだわ」

マヤは赤い顔をさらに赤くして俯いた。

「ほらほら、背筋を伸ばしてしゃんとして。世界で一番きれいだって思いなさい」

その水城にエールを送られたマヤは、地下駐車場へ向った。マヤは水城に言われたもののまったく自信がなかった。地下へ降りると真澄が社用車にいるのが見えた。マヤは「よし!」と心の中で思うと、深呼吸をし背筋を伸ばした。マヤは堂々と歩いて行き、ドアを開けた。車を覗き込む。なんとなく、マヤは自身の胸の谷間を意識した。
しかし、真澄はマヤを見るなり目を点にした。マヤが車に乗ると、真澄はさっと上着を脱ぎマヤに着せかけた。

「一体、水城君は何を考えている! その上着を着てろ! 風邪をひくぞ! 子供になんて格好をさせるんだ!」

「あたし、子供じゃありません。もう大人です!」

かちんときたマヤは真澄の上着を払いのけようとした。その手を真澄が掴む。

「脱ぐな! 俺がいいと言うまで脱ぐなよ。脱いだら、承知せんぞ!」

マヤは真澄の剣幕に黙ってぷいと横を向いた。
マヤはがっかりした。水城の言う色気なぞ、真澄には通用しないのだ。マヤは真澄の上着を握りしめた。シートに座り直し、小さくなる。水城からセクシーだと言われても、マヤにはセクシーな女性を演じるのは無理だった。舞台の上なら演じられる。しかし、ここは現実。虹の世界ではない。真澄を色気で落とすなど、水城の必殺テクニックなどとても無理だと思った。水城の言葉に乗せられた自分が恥ずかしかった。

真澄はレストランに向う途中、ブティックの前で車を止めさせた。マヤの胸元に手を伸ばす真澄。

「な、なにするんですか!」

「勘違いするな! 上着の内ポケットに財布が入ってるんだ。じっとしてろ!」

マヤは自分の勘違いに赤くなった。真澄は上着から財布を取り出すと言った。

「チビちゃん、ここで待ってろ」

マヤを車に残すと真澄はブティックに入って行った。やがて戻って来た真澄は包みを抱えている。

「さ、これを身につけろ。まったく、水城君らしくもない」

マヤは真澄が買って来た包みを開いた。ジャケットとコスチュームジュエリーが入っていた。ゴールドが練り込まれたベネチアングラスで出来た大きめのネックレス。それをつけると胸の開きが気にならなくなった。ネックレスの先端はクリップになっていて、ドレスを止められる。これなら、ドレスがずり落ちる心配もない。ジャケットのおかげで肩も隠れた。マヤは真澄の配慮が嬉しかった。

レストランに入ると、客達が一斉に二人を見た。普段は人に注目されないマヤだが、今日は違った。大人っぽい雰囲気をまとったマヤは、十分女らしかった。羽織ったジャケットが、上品な色気をみせた。

ディナーの席につき、軽くワインを飲み、おいしい食事が始まると、二人はさっきまでケンカしていたのが嘘のように和やかになった。二人は長い付き合いである。二人とも演劇に並々ならぬ興味を持っている。はっきり言って二人共演劇オタクだ。真澄が年上の分、また、仕事上、マヤより多くの芝居を見ている。マヤは、演じる側から芝居を論じられる。二人の話はつきなかった。

「お客様、そろそろ閉店でございます」

レストランの支配人が真澄にそう言った。
いつのまにか、時刻は11時を回っていた。

「すまない、こんなに引き留めて……」

「いいえ、楽しかったです。速水さんとこんなに楽しい時間が過せるなんて……」

「俺もだ。……、チビちゃん、来週の金曜日、空いているか?」

マヤははっとして目を上げた。

「はい! はい、空いてます!」

「そうか、また、食事に行かないか? いや、さっき言っていた遠藤茜と芹沢光一の二人芝居を見て、それから食事をしよう。どうだ?」

「はい! 行きます!」

レストランを出ると、真澄はマヤを送って行った。別れ際、真澄はマヤに言った。

「チビちゃん、そのドレス、似合っていた。大人になったな」

真澄はマヤの頭をぽんぽんとした。
マヤは恥ずかしそうに、ぽっと顔を赤らめた。

翌日、マヤの元に2通のメールが届いた。





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