ロマンチックは似合わない 連載第3回
一通は水城からだった。
マヤちゃん
どうだった? 真澄様とのデート?
マヤは簡単に返信した。
水城様
来週の金曜日、会う約束をしました。
水城から返事が来た。
マヤちゃん
よくやったわ!!!
もう一通は真澄からだった。長い、長いメールだった。
一方、こちらは大都芸能社長室。
秘書の水城とスケジュールの打ち合わせをした真澄は、最後に付け加えた。
「水城君、昨日のマヤのドレスはなんだ? あんな胸の開いたドレスを着せて!」
「ちょうどいいドレスがあれしかなかったんです」
水城はシレッとして言った。
「……彼女にジャケットを買って着せた。……、有能な君にしてはと思ったが、あれしかなかったのなら仕方がないな。以後、マヤにあんなドレスを着せるのはやめてくれ」
「はい、承知しました。……社長、マヤちゃんは、もう22です。大人ですわ」
「だからだ。だから、あんな胸の開いたドレスは着せないでくれ! 他の男達が見るじゃないか! それでなくても彼女は女優で人から見られるのが商売なのに!」
秘書の水城は、まじまじと真澄を見た。
「……理由はわかりました。以後、気をつけます」
「ああ、それと、水城君、来週の金曜の夕方、マヤと会う約束をした。確か、空いていたな。スケジュールを入れないでくれたまえ」
「はい、承知しました」
水城は真面目くさった顔をして、社長室を後にした。化粧室に行き、周りに誰もいないのを確かめると、思いっきり吹き出した。
「ほっほっほっほっほっ!」
――そう、社長は独占欲が強いのね。
水城は深呼吸して、笑いを沈めると仕事に戻った。
水城は、社長は昨日マヤとデートをしたのだから、社長の機嫌は今日は一日いいだろうと思っていた。
しかし、午後になって、社長がいらいらしているように思えてきた。企画書を読んでいる時もどこか上の空だ。時々、ぼんやりと窓の外を見ている。さすがに、来客に対しては如才なく対応しているが、何か気になる事がある様子だ。
昼過ぎ、水城はコーヒーを持って行きさりげなく聞いた。
「社長、何か気になる事でも?」
「……、いや、なんでもない」
水城はそれ以上追求しなかった。
夕方になって、水城は次の予定を告げに社長室に向った。次の予定は演劇協会会長との会食だった。会食場所へ向う時間が近づいていた。社長室のドアを開け、社長の顔を見た水城は驚いた。
晴れやかな顔をした社長がいた。すこぶる機嫌が良さそうだ。一体、何があったのだろうと水城は思った。
その日、マヤは初めて真澄から貰ったメールに丁寧に返信を書いた。まず、ノートを取り出し、真澄のメールを携帯から写し取る。返事を書きたい所にチェックをいれ、文章を考える。下書きが出来たら携帯に打ち込んだ。
真澄からのメールは、昨日の話題の延長だった。いつ、誰が演じたリア王はこういう所が秀逸だった、或いは、ドラマ○○の演出はひどい、あれでは役者を生かせていない等々。
マヤは返事を書きながら、真澄のメールの送信時間が気になった。夜中の2時である。マヤは最後に書いた。
――
メールを書いていて睡眠時間をけずるのは良くないと思います。
心配なので、さっさと寝て下さい。
メールは長いメールより、短いメールを何度も貰った方が嬉しいです。
速水さんへの返事を書いていて、今日は日が暮れました!
マヤは送信ボタンを押した。しばらく携帯の画面を見る。初めて真澄にメールした。どんな事を書いていいかわからず、取り敢えず、真澄の話に合わせた。それで良かったのかどうか、気になった。
10分程して真澄から返信があった。
チビちゃんへ
長過ぎたメール、すまなかった。
君は携帯だったな。
ついパソコンから長文のメールを送ってしまった。
これからは、短いメールにしよう。
マヤはそのメールを読んで、残念なようなほっとするような複雑な思いだった。
真澄からは日に何度もメールが来た。その度にマヤは返信した。しかし、こうしょっちゅうだとマヤはまたまた心配になった。
速水さんへ
ちゃんとお仕事してるんですか?
こんなにメールを打つヒマがよくありますね。
チビちゃんへ
ああ、俺は有能な人間だからな。
速水さんへ
そういうのを自画自賛っていうんです。
チビちゃんへ
何を言う。俺が有能なのは事実だ。
俺が社長に就任してから、会社の業績がどれだけアップしたと思う。
大都のホームページに行ってみろ。グラフがある。
速水さんへ
あたしは携帯しか持っていません。
グラフを見れません。
チビちゃんへ
携帯でも見られるようになっている。
行ってみろ。
速水さんへ
いいえ、結構です!
メールは日に5通までにして下さい。
お稽古の邪魔です。
さすがに、この後しばらくは真澄からマヤへのメールは途絶えた。しかし、翌日になるとまたメールが来始めた。朝、昼、3時、夕方、深夜とメールが来た。それは、毎日、律儀に続いた。内容は最初の長い長いメールのように、芝居や演技の話題ではなく、日常的な他愛のない内容だった。
おはようからお休みまで、真澄とマヤの間には小さな言葉が飛び交った。
そして、あっというまに金曜日になった。
マヤは大都に所属。さまざまな仕事をこなしていた。しかし、仕事の内容は芝居が中心であり、出演している芝居のプロモーションの為に写真撮影があるといった具合だった。
現代では月影千草のようなカリスマ的女優や俳優は出にくい。ある一定レベルの人気が継続的に続く時、人気女優なり俳優になる。マヤはすでにベテランの域に達していた。芝居は北島マヤが出演するだけで、必ずヒットした。
それでいて、舞台を降りるとまったく人目を引かないマヤだった。
ただ一人の「紅天女」女優となりお金の出来たマヤは一軒家を借り、長年の念願だった劇団「つきかげ」のメンバー達とシェアして一緒に暮らし始めた。居間には他界した月影千草の遺影が飾られていた。
金曜日、マヤは先日、エレベーターの事故があった時に着ていたピンクのワンピースを取り出した。水城がクリーニングに出しきれいにして届けてくれたピンクのワンピース。
そして、やはり水城が着せてくれた黒のセクシーなドレスを出して比べた。
――速水さんは似合っていたと言ってくれたし、大人になったと言ってくれたけど、やっぱり、黒はあたしらしくない。こっちのピンクにしよう。
マヤは精一杯おしゃれをして、真澄との待ち合わせ場所に向った。
待ち合わせ場所は、その日見る予定にしていた二人芝居「スターズ」が上演される劇場の近くだった。
世界展開をしている既製品メーカーが初めて銀座に店舗を出した、その向かいの喫茶店だった。
早めに着いたマヤはコーヒーを頼んで待った。
「マヤちゃん?」
マヤは声の方を振り向いた。
懐かしい声。暖かな瞳。すらりと伸びた足。ジーンズとTシャツ、ジージャンというラフな姿でありながらカリスマ性のあるオーラを放つ若者。
「里美さん!」
すっかり大人になって落ち着いた里美茂がいた。
「やっぱり、マヤちゃんだ。驚いたな。ここ、座ってもいい?」
「あ! ごめんなさい。待ち合わせしてるの」
「……、彼氏?」
マヤは手を振って否定した。
「あの、あのね、事務所の社長とその……、演技の勉強でこれからお芝居を見に行くの」
「へえ〜、研究熱心なんだね」
「里美さん、アメリカに行ったって聞いたけど?」
「ああ、ブロードウェイでミュージカルに挑戦してたんだ。ダンスや歌に磨きがかかったよ」
「へえー、凄い! 見てみたいな、里美さんのダンスシーン!」
「日本でダンス公演の話はまだないけど……、そうだな、決まったら真っ先にマヤちゃんに知らせるよ」
こうしてマヤと里美は携帯の電話番号を交換した。
「チビちゃん」
真澄だ。いつもの、いや、いつもよりずっと決まった格好をした真澄だ。普段からスーツが似合うが、今日の明るいブルー系のスーツは真澄を若々しく見せていた。
「あ、速水さん、今ね、偶然、里美さんに会ったの」
「ああ、里美君。久しぶりだな。日本には最近?」
「速水社長! お久しぶりです。はい、3日前に戻って来ました。あ、じゃあ、マヤちゃん、大都に復帰したの?」
「うん」
マヤが照れくさそうに笑った。
「そうか……」
里美は眩しそうにマヤを見た。一瞬、最後に別れた時の、雨の中、遺影を抱き締めていたマヤが蘇る。あの哀しみからここまで……。里美はマヤの生きて来た道を思った。
「チビちゃん、そろそろ開場の時間だ。里美君、今日は会えてよかった。これからの君の活躍に期待している」
「ありがとうございます。速水社長、がんばります」
真澄とマヤは里美に別れを言って喫茶店を出た。
真澄はマヤを如才なくエスコートした。芝居が始まると、マヤは芝居に没頭し真澄の存在を忘れた。芝居が終わり、劇場から人影がなくなっても真澄とマヤは席に腰掛けていた。
「チビちゃん、そろそろ食事に行くか?」
マヤははっとした。今見た芝居の世界から、現実に戻った。
「あ、ごめんなさい! はい、食事に行きます! お腹が空いちゃった!」
「ははは、そうだな。俺もだ」
二人が劇場から出ようとすると、支配人に呼び止められた。
「速水様、今夜主演の二人が、芝居を見てもらった御礼を言いたいと言っているのですが……」
「すまないが、この後、予定が入っている。二人には宜しく伝えてくれ」
「は、畏まりました」
真澄はマヤのやや不満そうな顔を見て言った。
「マヤ、遠藤茜は野心家だ。俺としては気疲れする相手と今夜は会いたくない」
「あの、野心家って……?」
「常に上を目指している。そうだな、俺のような立場の人間には、常に個人的に取り入ろうとするんだ」
「……」
「チビちゃんには縁がない話だな」
「あ、また、子供扱いする!」
真澄は、笑いながらマヤの頭をぽんぽんした。
劇場を出てレストランに落ち着いた二人は、早速、今見て来た芝居の話を始めた。
「今日見た芝居、どう思った?」
「あの、芝居の部分とダンスや歌のシーンが面白くミックスしてて、昔のハリウッドの映画みたいでした。でも、ちっとも古臭くなくて、お話のストーリーも良かったし……。ただ、あのラブシーンにはびっくりしました。だって、あれ……」
マヤは言い淀んだ。言わない方が良かったと、口に出して思った。真澄と大人のラブシーンの話をするのは気が引けた。
遠藤茜と芹沢光一の二人芝居、「スターズ」
男と女の出会いと別れ。最後はハッピーエンドだが、二人の恋が紆余曲折する物語だ。遠藤茜が主に派手なダンスを、芹沢光一が主に芝居のパートを受け持つ。
ダンス中、大きく足を開いた遠藤茜を芹沢光一が膝にかかえあげ上下に揺するシーンがある。もちろん、遠藤茜は網タイツのバニー姿だし、芹沢光一も衣装をつけている。だが、その振り付けがベッドシーンを表しているのは一目でわかる。芹沢が客席に背中を向けているのに対し、茜は客席を向いている。茜は演技で恍惚とした表情を見せる。バックミュージックと照明によって、きれいなワンシーンに仕上げっている。
「そうだな、二人の愛を的確に表現していたな」
真澄はマヤの話を受けつつ、如才なくマヤの言いにくさをカバーする。
「あの後、別れるじゃないですか、二人が……」
「ああ」
「あそこは辛かったです。可哀想で……。速水さん、あたしも二人芝居、やってみたいです。そうだな、里美さんとじゃ駄目かな?」
「……」
「里美さん、ニューヨークのブロードウェイでダンスをやってたって言ってたんです。里美さんがダンスのパートをやって、あたしがお芝居の方を受け持つの」
「……、しかし、二番煎じになるぞ。それより里美君と共演したいなら、何か考えておこう」
その夜、真澄とマヤは次に会う約束をして別れた。
真澄は自宅に戻り、嫉妬に苛まされた。
――里美と二人芝居が演じたいだと。
今日見たラブシーンを里美と演じたいのか?
あんな濃厚なシーンを?
真澄は悶々とした。
――マヤ、君は俺の事をどう思っているんだ……。
以前は俺を憎んでいた。
だが、今は……。今は俺と楽しそうに話す。
彼女とは長い付き合いだ。
俺を只の気のおけない相手と思っているのだろうか……。
このまま、付き合っていけば、いつか彼女は俺を好きになってくれるのだろうか?
真澄の悩みは深かった。
時間は数日前に遡る。
たまたま、里美茂の営業に来ていた営業マンと出先の放送局で偶然会った水城は、これぞ天の采配と思った。里美茂が近々帰国すると聞くと、営業マンにさりげなく言っていた。
「里美茂が帰国するんですって? 里美君、マヤちゃんに久しぶりに会いたいんじゃないかしら」
「うーん、どうでしょう? あれから随分時間が経ってるし……」
「あら、だって、初恋宣言した仲よ。それに、あの頃と違って、マヤちゃんはもうベテランよ。きっと里美さんの役にたてると思うわ。今度の金曜日の夕方、○○っていう喫茶店にマヤちゃんが行くって言ってたわよ。偶然、会わせて上げたら、きっと喜ぶわ」
「確かに……」
営業マンもまた北島マヤの人気を知っていた。
「あら、いけない、もう、こんな時間」
水城は営業マンと別れたが、営業マンの心中に「北島マヤとの共演」という考えがはっきり浮かんだだろうと思った。
――ライバルが出て来たら、社長のお尻にも火がつくでしょうよ!
なんといっても独占欲の強い方ですもの!
ほーっほっほっほっほ!
水城冴子の口角はきれいに持ち上がり、見事な笑顔を作り出していた。
続く
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