ロマンチックは似合わない    連載第6回 




 それからしばらくして、姫川亜弓が「つきかげ荘」にやってきた。
二人芝居の話をした後、亜弓はハミルとの恋バナを始めた。亜弓はハミルとつきあっており、うまくいっているようだ。亜弓はハミルとの幸せな恋人生活を語った。
ハミルがいかに自分に愛の言葉を告げるか、いかに熱く自分を抱き締めるか、いかに自分に熱い口付けをするか、熱く熱く語った。そして、言葉を濁した。

「うふふ、マヤさん、私、ハミルさんとね、ふふふ、彼、素敵だったわ!」

「!」

亜弓はそれ以上何も言わなかったが、二人がどうなったのか、マヤにもよくわかった。


その夜、マヤはベッドの中に潜り込んで、いつもの真澄からのおやすみメールに返信した。
マヤはベッドの中で亜弓との会話を思い出した。
亜弓に触発されたわけではなかったが、マヤは真澄に触れてみたいと思った。
秀でた額。すべすべの頬。すーっと通った鼻梁。あの、柔らかそうな髪。
そこではっとした。思わずベッドの上に起き上がる。

――速水さんの髪、柔らかそうって、あたしったら、あたしったら、太ももで触ってるんだ!
  きゃあーーーー!、いやーーーーー!

マヤは真澄にエレベーターで肩車された時をまざまざと思い出した。
太ももで挟んだ真澄の頭、太ももにさわさわとあたる真澄の柔らかな髪!

――は、は、速水さんをいくら非常時とはいえ、太ももで、太ももで挟んだなんて!
  いやーーーーー!
  こ、この記憶を消してしまいたい!!!!
  でも、でも、速水さんには、いろんな意地悪をされた!
  今更、太ももで挟んだからって、なんだっていうのよ!

とは思ったものの、マヤは落ち込んだ。
はあーっとため息をつくとマヤは、もう一度、ベッドに潜り込んだ。


次の休みの日。
真澄はマヤと食事の後、マヤをなじみのクラブへ誘った。そろそろマヤを大人の社交場へ誘ってもいいだろうと思った。何より、マヤとダンスをしたかった。踊りながらマヤに愛の言葉を囁きたかった。
マヤは初めて行ったクラブに驚いた。大人の男と着飾った女が照明を落としたホールで酒を飲み、ダンスを踊っている。マヤは目を丸くした。
二人は席につくと、酒を注文した。
ダンス音楽が流れるフロア。
マヤの目は自然とフロアに釘付けになった。

「マヤ、踊ろう」

マヤは差し出された真澄の手に素直に手を重ねた。真澄はマヤの手を取ると、フロアにエスコート。音楽に合わせて二人は優雅に踊り出した。
抱きかかえたマヤの耳元で真澄が囁く。

「マヤ、きれいだ」

「え?」

「きれいだ、マヤ」

「ま、また、からかって!」

「からかってなどいない。本当にきれいだ」

「速水さん……」

耳元で囁かれる真澄の男らしい、深い声。
マヤは頬をそめた。

今日、マヤはふわふわとしたジョーゼットのワンピースを着ていた。真澄の為に精一杯おしゃれをしていた。それを褒められるのは嬉しい。だけど、今まで、真澄と自分は軽口を応酬する仲だった。それが、いきなり、きれいだと言われてくすぐったいマヤだった。
酒のせいか、体が熱い。背中に回された真澄の大きな手。熱はそこから全身に広がって行く。
ダンス音楽は、深夜になるにつれ、甘いジャズになって行った。
フロアで踊る男と女。
いつのまにか、ただ、抱き合って体を揺らすカップル達。真澄とマヤもまた、アルトサックスの豊かな音にのって体を揺らすだけになっていた。言葉もなく相手の体温だけを感じて踊る。夢の時間。


その夜、マヤは一人、ベッドに潜り込むと真澄の瞳を思い出していた。
いや、瞳しか思い出せなかった。
マヤは真澄に導かれて大人の階段を上り始めているのを感じた。
少女から大人の女へ。

――後悔しない。速水さん……。紫のバラの人!

マヤは真澄の夜の海より深い愛を知っていた。暖かな海。飲み込まれたい、深く深く沈みたいと強く思った。



地下劇場で里美とマヤは二人芝居「ラブシーズン」の練習を始めていた。
練習が一段落した時、里美が言った。

「覚えてる? 君は僕に手を掴まれてまっかになったんだよ」

「ええーーー、そんな古い事忘れて!! いや、恥ずかしい!」

「はは、忘れないよ。君の食べかけのエクレア。おいしかったな」

「もう、里美さんったら」

里美は意図的に懐かしい話をした。マヤがあの頃の気持ちを思い出してくれたらと思った。
マヤは里美が時々披露するダンスシーンに目が釘付けになった。高い跳躍。鋭い回転。
人を魅了する太陽のような笑顔。里美の魅力が炸裂する舞台。
しかし、演技部分はマヤから見ると今一だった。

――速水さんが言うようにちゃんとした舞台で演出家の先生に指導して貰って公演するようにした方がいい!
  里美さんのダンス。
  こんな所で日本デビューさせるのは気の毒だわ。

マヤは思った通りに言うと里美は笑った。

「ありがとう、マヤちゃん、君にそう言って貰うと嬉しいよ。
 でも、今の僕には実績がないからね」

マヤには里美が這い上がろうとしているのがよくわかった。

「里美さん、あたしには実績があるわ。ちゃんとした舞台探しましょう」

「マヤちゃん、僕はね、ここで発表して実績を作りたいんだ。きっと、大きな舞台からやってくれって言ってくるって信じてる」

「そうね! 里美さんのダンス見たら、きっとオファーが来るわ」

マヤは里美と練習するのが楽しかった。里美は練習が終わると、マヤを食事に誘った。居酒屋に行き、若者が集うライブハウスへマヤを連れて行った。大勢の若者がロックを聞き踊っている。熱気溢れるフロア。大勢の若者がボーカルに合わせて、シャウトする。
弾ける若さ! みなぎる熱気! エネルギーの奔流!
マヤは圧倒された。真澄には無い奔放な若さが里美にあった。



或る日、地下劇場で里美とマヤは1幕の練習をしていた。出会いのシーン。若者が乙女にバラを捧げるシーンだ。練習が終わったあと、ふと、里美はマヤに聞いた。

「マヤちゃん、足長おじさんには会えたの?」

「『紫のバラの人』? ううん、会えないの。でも、使いの人を通じていつも応援してくれるの」

「あのさ、桜小路君から聞いたんだけど、マヤちゃんは『紫のバラの人』に恋をしてるんだって?」

「ええ! 桜小路君たらひどい! 里美さんに言うなんて!」

「ね、一度も会った事のない人にどうして?」

「だって……、ずっとずっと支えてくれた人なんですもん」

「それは憧れじゃないの? 恋ってそういうもの?」

里美はマヤの様子から、薄々マヤは速水が好きなのだろうと思った。そして、速水がマヤを好きなのは明らかだった。駐車場へやって来た速水。どう考えてもマヤを追ってきたとしか考えられなかった。
ここまで考えた里美に、出て来る結論は一つだった。

――速水さんが「紫のバラの人」じゃないんだろうか?

「ね、マヤちゃん、マヤちゃんさ、『紫のバラの人』が誰か知ってるんじゃない?」

マヤは真っ赤になった。口をパクパクと動かす。声が出ない。ようやく振り絞った声で言った。

「し、し、し、知ってるわけないじゃない!」

「『紫のバラの人』は速水さんじゃないの。だって、マヤちゃん、速水さんが好きだろう。マヤちゃん、二股掛けるタイプじゃないし、だったら、出て来る結論は一つだろう。ね、いつ、わかったの?」

「もう、里美さんったら! 違うの、速水さんは『紫のバラの人』じゃない。あんな冷血漢が『紫のバラの人』なわけないじゃない」

「嘘だね、速水さんを冷血漢だなんて思ってないくせに! じゃあ、マヤちゃんは誰もすきじゃないし、誰とも付き合ってないっていうの」

「……、ええ、そうよ。速水さんとは仕事上の付き合いなんだから!」

マヤは里美の追求に声が大きくなっていた。

「マヤちゃん、僕は君を忘れようとずっと努力して来た。だけど、結局、日本に帰って来て、君にあって忘れていない自分の気持ちに気付いたんだ。今も、君が好きだよ。誰とも付き合っていないっていうんだったら、僕と付き合わない? ね、考えておいてよ。返事は今すぐじゃなくていいからさ」

「でも……」

「あの時、君は僕の為に身を引いてくれたんだろう。もう、僕への気持ちは忘れた? だったら、どうしてこの芝居に僕を誘ったの?」

「……」

「ごめん、ごめん、難しい質問しちゃったかな!」

里美はふっと笑うとマヤにくるりと背を向け大きく伸びをした。

「さ、今日の稽古はここまでにして、何か食べに行こう、ああ、腹減った!」

たんたんと後片付けを始める。

「里美さん……」

マヤは迷った。真澄とは告白をした中ではない。きっと、自分を好きだろうと思ってはいるが……。自分もまた真澄に告白していない。何故か言えないまま、真澄と付き合って来た。告白はタイミングをなくしている。しかし、マヤは真澄を好きなのに里美と付き合うなんて出来ないと思った。しかし、断ったら、真澄を「紫のバラの人」と肯定してしまう事になりはしないだろうか?
迷いながらマヤは里美の背中に向って言っていた。

「里美さん、ごめんなさい。今度のお芝居、里美さんの気持ちも考えずに誘ってしまって……。馬鹿な事したわ。今から断ってくれてもいい……」

里美が振り向いた。いつものさわやかな笑顔だ。

「マヤちゃん、こっちこそ、ごめんよ。もう、二度と言わないから。今度の芝居、僕、すっごく楽しんでるんだ。君は凄いよ。一緒に芝居してわかったんだ。こんなに芸達者になってるなんて思ってもいなかった。今度の芝居、今までにない芝居の勉強が出来て凄く嬉しいんだ」

「……里美さん、ありがとう。あのね、里美さん、あたし、速水さんが好き。速水さんは……、あなたの言う通り『紫のバラの人』なの。お願い、黙っていてね。あたしが知ってるってわかったら、速水さん、きっとがっかりすると思う……」

「大丈夫、言わないよ。僕を信用して……。だけど、残念だなあ」

里美は言い淀んだ。しかし、明るい声で言った。

「マヤちゃん、もし、速水さんと別れたら僕の事、思い出して」

里美はふざけた調子で言った。

「もう、里美さんったら」

「さ、腹減った! 飯食いに行こう!」

二人は地下劇場を片付け、居酒屋に向った。

その時、速水真澄が建物の影から青ざめた顔で二人を見ているとはマヤも里美も思いもしなかった。





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