ロマンチックは似合わない    連載第7回 




 真澄はマヤと里美が遠ざかっていくのをじっと眺めていた。
真澄はマヤが里美に「……里美さん、ありがとう。あのね、里美さん、あたし、速水さんが好き。速水さんは……、あなたの言う通り『紫のバラの人』なの」というのを聞いてしまったのだ。

――マヤは俺が『紫のばらの人』だと知っていたのか……。
  では、マヤが俺を好きになったのは、俺が「紫のバラの人」だからか?
  俺自身ではなく俺が演じた『紫のバラの人」を好きなのか?
  俺の中に「紫のバラの人」を見ているのか?
  ……
  では、あのスクラップブックはなんだ?
  あれは、俺が紫織さんと婚約を解消した頃の記事だ。
  写真に添えられていた阿古夜の台詞……。

ここで真澄は思い出した。
社務所で二人で過した一夜を……。
忘れない一夜。長くて短い夜だった。

――あの時、マヤはおかしかった。
  それに、マヤは俺に渡してくれたんだ、梅の枝を……。

 『あたしの気持ちです……』

真澄はまざまざと思い出した。手から散って行った梅の花。満開の梅の花があっというまに枯れ枝になった。
そして、あの夢のような経験。川を挟んで向かい合っていた二人が、魂だけになって抱き合ったあの瞬間。
今も耳に蘇る、阿古夜の台詞。
試演の席で真澄はマヤの台詞を聞きながら、思い出していた、この時の情景を。今まで聞いた事のない、思いのこもった台詞。抱き締めたマヤの温もり。

――あの時、既に俺を好きだったのか? 俺を?
  それとも「紫のバラの人」だろうか?
  ……、マヤ、君に聞きたい……。

それから、数日。
真澄はマヤに相変わらず、メールを送っていたが、どこか、以前送った物と同じ内容になり始めていた。以前のメールを再編集して送っていたのだが……。いつのまにかそのまま送信ボタンを押すようになっていた。さすがに、マヤから来たメールに返信する時は、ちゃんと返事を書いたのだが……。

真澄が心に抱いた不信感。

自分を好きなのではなく「紫のバラの人」を好きなのではないか?
或は
自分が「紫のバラの人」だから好きになったのではないか?

それは真澄を苦しめた。
一言、聞けばいい。一言、自分が「紫のバラの人」だと言えばいい。
だが、聞けない。言えない。
言ってしまったら……。
マヤに憧れ続けた時間。
影からマヤを支えて来た日々。
「紫のバラの人」を演じていた自分。
馬鹿なファン。
現実の速水真澄とは決して重ならない「紫のバラの人」
言ってしまったら、総てが壊れる。
言わなければ、紫のバラは咲き続けるだろう。

――どうしたらいい?

真澄はマヤとデートをしていても、何かの拍子にその疑問が頭をもたげた。



マヤは真澄の変化に気付いていた。一体、何があったのかどこか真澄がよそよそしい。それはマヤを落ち込ませた。マヤには何が原因なのかわからなかった。そして、マヤの落ち込んだ様子は里美に敏感に伝わった。
里美がマヤに何かあったのと聞くと、マヤは素直に話した。

「速水さんが……、どこか素っ気ないの……。やっぱり、あたしじゃあ、駄目なのかな?」

「何故?」

「だって、あたしは、舞台をおりたら何の取り柄もない。ちっとも綺麗じゃないし……」

「君は綺麗だよ」

「もう、里美さん、からかわないで!」

「からかってないよ。速水社長は言わない? 君を綺麗だって……」

「……、言ってくれたけど、でも……」

「自信をもちなよ。速水さんって確か、モーレツに仕事の忙しい人だよね。きっと、仕事で気になる事があるんだよ」

「……、そうね、きっと仕事よね」

マヤは里美に言われて、どんな仕事かわかったら安心出来ると思った。
マヤは応援してくれている水城に電話をした。水城ならきっと原因を一緒に考えてくれると思った。

「水城さん、あのね、この頃、速水さん、仕事で忙しいの?」

「……仕事はいつも通りよ。どうしたの? マヤちゃん、何故、そんな事を……」

「ううん、なんでもないの。速水さんが、時々、ぼんやりしてるの……。それに、メールが……」

「メールがどうしたの?」

「同じメールが何通か来て……、その、すごく機械的に送って来てるみたいで……」

「……、きっとマヤちゃんと付き合えるようになって、舞い上がってるのよ。大丈夫、真澄様はマヤちゃんにベタボレだから」

マヤは水城の言葉に疑問を抱きながら、電話を切った。


マヤから電話を貰った水城はマヤの疑問を不思議に思った。真澄はマヤにべた惚れだ。それなのに、何故マヤが不安そうなのか? 水城は真澄にさりげなく聞こうと頭を働かせた。

「社長、来週のスケジュールですが」

水城はわざとスケジュールを詰め込んでデートの暇がないようにしたのだが……。

「ああ、水城君、スケジュールはこれでいい」

「あの……、本当に宜しいのですか? 社長にはデートの時間をつくれと言われるかと思ったのですが……」

「いや、これでいい。マヤとは少し……、その……、距離をおきたいんだ」

「え!? マヤちゃんとですか?」

「ああ」

「社長、マヤちゃんと何かあったのですか?」

「……、マヤが俺を『紫のバラの人』だと知っていたんだ」

「マヤちゃんがですか? それは有り得ませんわ。もし、知っているならマヤちゃんはもっと大騒ぎをする筈ですわ。一体、何故、マヤちゃんが知っていると?」

「里美に話しているのをたまたま聞いたんだ。里美はマヤの初恋の相手だ。きっと何でも話すんだろうよ」

「……」

「マヤは速水真澄を好きなんじゃない。『紫のバラの人』が好きなんだ」

「つまり、速水真澄として愛されたいと……」

「そうだ……。だからしばらく距離を置く」

水城は困った。これではまた元の仕事虫に戻ってしまう。それでは、また、有休が取れない日々になる。水城はなんとかしなければと思った。

「……真澄様、マヤちゃんはどうして、真澄様が『紫のバラの人』だと知っているんです?」

「……、さあな、何故だろう。俺と『紫のバラの人』を結びつける物は何もない筈だが……」

そこまで言って、真澄はかつての婚約者、鷹宮紫織を思い出した。

「何か、お心当りでも?」

「いや……」

水城は社長の態度に、心当たりはあっても言えない理由があるのだろうと思った。しかし、ここでひいては元の木阿弥。水城は社長に付き合わされて休みのない日々を送るのはもう絶対にいやだった。

「社長、『紫のバラの人』だと名乗ってみたらいかがです?」

「……、いや、言うつもりはない」

「マヤちゃんは待ってるのかもしれませんよ。あなたが名乗ってくれるのを。話し合ってみては……」

「水城君、この話はここまでにしてくれ」

「しかし、社長、距離を置いたら、若い子の事です。里美茂に奪われるかもしれませんよ。距離を置くつもりでもデートは続けるべきです。デートを続けるうちにあなた自身を好きになるかもしれないじゃありませんか」

「……、そうだな、デートは続けるべきだな」

「はい、社長。では、スケジュールは?」

「……土日に仕事が入らないようにしてくれ」

水城は真澄を説得でき満足の笑顔を浮かべ社長室を後にした。


次の土曜日。
マヤは真澄との待ち合わせ場所、銀座のいつもの待ち合わせ場所に行った。
あの里美茂と偶然あった喫茶店。そこがいつもの二人の待ち合わせ場所だった。
マヤはその日、精一杯おしゃれをしていた。真澄に会う時はいつもがんばっておしゃれをするマヤだったが、今日はきっと帰りにダンスに行くだろうと思って、紅梅色したジョーゼットのワンピースを着ていた。先日真澄に買って貰った黒のジャケットを羽織る。髪はハーフアップに上げ、バラの髪飾りで留めた。
早めに着いたマヤは時間潰しにと、ウィンドウショッピングをして歩いた。銀座には様々なブランド店が軒を並べている。見て歩くだけで目の保養になった。
だが、デパートのショーウィンドウの向うに真澄とかつての婚約者鷹宮紫織の姿を見た時、マヤの心は凍り付いた。
真澄は鷹宮紫織と婚約を解消した。
それは、鷹宮紫織からの解消と言われていた。
つまり、真澄から婚約を解消したわけではない。
真澄が自分を愛しているのではなく、鷹宮紫織を愛していて忘れられないのではないかという疑問。
そして、今、マヤは真澄が鷹宮紫織を抱きかかえてソファに掛けさせるシーンを目撃してしまった。
マヤの目から涙が溢れた。
紫織のいつもの貧血だろうとマヤは思ったが、それでもたまらなかった。
マヤは飛び出して行って真澄に「どうしてこんな所で紫織さんと会ってるの?」と聞きたかった。
だが、マヤはただ、逃げ出しただけだった。
この頃の真澄のよそよそしい態度は自分と別れるためだったのかとマヤは合点が行った。

――どうしよう。速水さんが、紫織さんと寄りを戻したら……。あたし、一体、どうしたらいいんだろう?

待ち合わせ場所の喫茶店に行く筈が、マヤはどこをどう歩いたのか、朝日公園の歩道橋の上に来ていた。





続く     web拍手 by FC2       感想・メッセージを管理人に送る


Back    Index    Next


inserted by FC2 system