白鳥は蒼穹にはばたく   連載第10回 




 鷹宮紫織は速水真澄と共にレストランでディナーを食べていた。
都内でも有名なイタリアンレストランは、旧華族の洋館を借りて営業しており、ロマンチックな雰囲気を漂わせていた。
だが、紫織はロマンチックどころではなかった。
紫織は真澄にどう言ったら、誤解が解けるだろうかと思案しながらディナーのコースを食べ終えた。
有名レストランのシェフが腕によりをかけて作った料理も、今の紫織には砂を噛むのと一緒だった。
紫織はコーヒーカップに目を落としていた。

「どうしました? 今日は随分、無口ですね」

そう言って速水は紫織に、にっこりと笑いかけた。
紫織は速水の笑顔に勇気づけられた。

「あの、真澄様、私、私、他の男の方とおつきあいしたことなどありません。
 本当です。 信じて……」

速水は紫織がその話を始めるとあからさまに迷惑そうな顔をした。

「その話ですか……。
 あなたには、僕なんかより同族の従兄弟殿がお似合いのようだ」

紫織は速水が何を言っているのかわからなかった。

「従兄弟? 何の話です?」

「では、箱根の別荘と言えば思い出されますか?」

紫織は、はっとした。

「あ、あれは、子供の頃の話じゃありませんか?」

「ははは、そうでしたね、あなたが女子校に行っていた頃の話でしたか」

「何故……、何故、あなたがあの話を……?」

紫織は、あっと思った。

「私の事をお調べになったのね!」

「ええ、今回の件であなたがどんな人か、僕はわからなくなった。
 それで、調べさせて貰いました」

「ひどい! 私をお信じにならないなんて」

「信じられないようにしたのは、あなたの方だ」

「それは、あ、あなたが悪いのですわ。
 いつも、仕事ばかりで、ちっとも私を大事にしてくださらないから。
 私、不安だったのです……。
 それに……」

紫織は少し、言い淀んだ。
言葉を投げつけた後、速水がどんな態度をとるか、それを考えるといきなり言うのはもったいないように思われた。
だが、言わずにいられない衝動にかられた紫織は次の瞬間、真実を速水にぶつけていた。

「あなたが、北島マヤに紫のバラを送っているのを、私、偶然知ってしまったのですわ」

紫織は勝ち誇ったように言った。
これを言えば、速水が自分の思い通りになると思った。
非はそちらにある、正しいのは私だと紫織は言いたかった。

「は? なんの事です?」

「とぼけたって無駄ですわ。
 あなたが北島マヤを何年もの間、影から支えていたのを、私、存じておりましてよ」

「ほう、何か証拠でも」

「ええ、私、あなたの伊豆の別荘で、以前、北島マヤのアルバムを見かけましたの。
 書棚の後ろの方にまるで、隠すようにおいてありましたわ。
 それに、あなたは私に紫のバラだけは駄目だって言うし……。
 それで気になって、マヤさんの稽古場に行ったら、ちょうど、紫のバラの花束が送られて来ていて……。
 劇団『つきかげ』の方にお尋ねしたら、マヤさんには『紫のバラの人』という足長おじさんがいて、
 マヤさんを高校にやったり、劇場を修理してくれたりなにかと援助してくれたそうですわ。
 それで、マヤさんは御礼に『紫のバラの人』にアルバムやら卒業証書を送ったって言ってましたわ。
 私、あなたの伊豆の別荘に調べに参りましたの。
 そしたら、あったのですわ、北島マヤの卒業証書とアルバムが!
 いかがです、この話をおじい様にしたら、『アテネシティ・プロジェクト』はおしまいですわ」

「つまり、あなたは僕の別荘に北島のアルバムや卒業証書があるから、僕が『紫のバラの人』だと言うんですね」

「そうですわ」

「では、行きましょう」

「は?」

「伊豆の別荘ですよ。
 そこに、証拠の品があるのでしょう」

「いいえ、もう……」

紫織は、しまったと思った。
もちろん、証拠の品などないのだ。紫織がびりびりに引き裂いてマヤに送り返したのだから。
紫織は婚約者とはいえ、まだ、妻ではない。他人の家に入って人の物を勝手に持ち出し、引き裂き、元の持ち主に送り返したのだ。
真澄にはいえない。

「もう?」

「いえ、あの、その……」

「もう、なんです?」

「……」

(速水は知っているのだわ。私が、アルバムと卒業証書を持ち出した事を。
 あの別荘番がしゃべったのね。いいわ、私が速水の妻になったら一番に首にしてやる)

「あの、あの、真澄様、ごめんなさい。
 私の勘違いでしたわ、あなたが、北島マヤの『紫のバラの人』だなんて……」

「わかって貰えたらいいんですよ。
 ああ、そうだ、北島といえば、預かっている物があります」

速水はそういって、ポケットから小切手を取り出し、紫織の前においた。
紫織はそれを見て、ぎょっとした。

「先日、北島がうちの水城の所へこれを持って来ましてね。
 僕からあなたに返してほしいと言っていたそうです。
 直接、あなたに返しに行きたかったらしい。
 が、あなたとどうやって会ったらいいかわからない。
 それで、水城君に頼んだそうです。
 北島から伝言ですが、
『あなたの指輪を盗んでいないし、ドレスをわざと汚そうとしたわけでもない。
 こういう物を貰ういわれはない、誤解です』
 と言っていたそうですよ」

「違いますわ、真澄様、あの子が私を脅したのですわ。
 これ以上、嫌がらせをされたくなかったらお金を寄越せと言ってきたのです。
 私は脅されたのですわ」

紫織は、ハンカチを目に押しあてながら、泣く振りをしてほくそ笑んだ。

(あの子、小切手を持って来てくれてよかったわ。
 これで、完全に真澄様の心から北島マヤを消してしまえる)

「ほう、北島があなたを脅したというのですね。
 それにしては、おかしな話だ。
 だったら、さっさと金を貰えばいい。
 わざわざ、水城君の所にかえしに来る必要はないでしょう。
 違いますか?
 あなたの話はおかしな所だらけだ
 こうなってくると、北島が指輪を盗んだというのも、あなたのドレスを汚したというのも信じられなくなって来ますね」

「真澄様は、私の話よりマヤさんの話を信じるんですの!」

「いいですか、紫織さん!
 北島は僕を憎んでいる。
 あなたに嫌がらせをする理由がないんです」

「だから、それは、私に嫌がらせをする事で間接的にあなたにダメージを与えようとしていると言ったではありませんか?」

「それなら、僕に直接、ジュースでもなんでもかければいい。
 指輪にしたってそうだ。
 指輪を盗んであなたに嫌がらせをしようと思うんだったら、盗んだ後、さっさとどこかに捨てればいい。
 わざわざ、指輪を持ってあなたに会いに来る必要がないんです。
 北島はあなたに指輪を返しに来たんですよ。
 知らない間にバックに入っていた指輪に驚いて。
 少なくとも、北島の性格から言ってその方が、彼女らしい」

「ひどい! では、私が出鱈目を言ったと、あなたはそうおっしゃりたいのですか?」

「いいえ……。
 紫織さん、話を元に戻しましょう。
 あなたは僕にこれまで男性と付き合った事はないと言っていた。
 しかし、高校生の頃、あなたは二つ年上の母方の従兄弟、野村謙一君と親しかったんじゃないですか?
 場所は箱根の別荘。16歳のあなたはさぞ、初々しかったでしょう。
 謙一君は受験を控え、箱根の別荘で受験勉強に専念しようとやって来た。
 他の従兄弟達は、船遊びをしたりハイキングに行ったりと外で遊んだが、病弱なあなたは大抵、別荘で過していた。
 自然、謙一君と一緒の時間が長くなった。
 やがて、謙一君はあなたに夢中になった。
 それは、傍目にもわかるほどだった。
 あなたも彼に好意を持つようになった。
 しかし、二人とも子供だった。夏が終わると二人の淡い恋は自然消滅した。
 僕が調べたのはここまでです。
 で、本当の所はどうだったんです。清いままだったんですか?
 僕はそうは思わない。
 謙一君は受験のストレス解消にあなたと関係を持ったのではありませんか?」

「ま、真澄様! ひどい!」

紫織は怒りのあまり立ち上がっていた。

「こんな侮辱を受けたのは初めてですわ。
 私だけならまだしも、謙一様まで貶めるなんて!
 あの方はそんな方では、ありませんわ!
 私にとっては、唯一の淡い思い出でしたのに!!!
 思い出まで汚らしく言うなんて!
 あなたとは、あなたとは!」

紫織は怒りに任せて大切な言葉をいいそうになった。
一瞬、ためらった。

「僕とは?」

速水の冷たい瞳と口元を見た時、堰が切れた。

「婚約を解消しますわ!
 『アテネシティ・プロジェクト』なんて潰れてしまえばいい!」

紫織は、左手の薬指にはまっていた指輪を抜き取ると、思いっきり真澄に投げつけた。
平然と指輪をよける真澄。
紫織は、真澄を睨みつけるとレストランを出て行った。







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