白鳥は蒼穹にはばたく   連載第11回 




 速水真澄は、紫織との不愉快なディナーから自宅に戻ると、英介の居室に向かった。
婚約解消の話だけに家政を司る朝倉にも同行するように言う。
英介の部屋のドアを真澄がノックすると英介はまだ起きていた。
真澄は、英介に紫織から婚約の解消を告げられたと報告した。

「なんだと、真澄、さっさと紫織さんの機嫌を取りに行かんか!」

「お義父さん。
 前々から、不思議に思っていたのですが、
 何故、鷹宮ほどの家がうちのような成り上がりの家と縁を結ぼうとするんです。
 おかしいんですよ。この縁談は最初から」

「何を言う。
 どこがおかしいんだ」

 「紫織さんが僕を見初めて、どうしても僕と見合いをしたいと言う話だったら、鷹宮翁が孫娘かわいさに僕と見合いをさせたと言えるでしょう。
 それなら、家の格の合わない見合いでもおかしくはありません。
 でも、紫織さんは、見合いをするまで僕を知らなかった。
 それなのに、格下の速水の家と何故、見合いをする必要があるんです」

「それは、儂が昔のつてを頼ってぜひ見合いをさせてくれと頼み込んだからだ。
 もし、紫織さんがおまえを気に入らなければそれまでだったが、紫織さんはお前を気に入った。
 これ以上の縁談はあるまい。
 その上、今、婚約を解消してみろ。
 プロジェクトはどうなる」

「その件でしたら、すべて、解決済みです。
 鷹宮は僕と紫織さんが婚約を解消しても、プロジェクトから手を引く事はありません。
 すでに、鷹宮傘下の銀行からプロジェクトへの融資は終わっています。
 今、手を引いて損をするのは鷹宮側です。
 少なくとも、このプロジェクトに関しては婚約を解消しても影響はありません。
 僕が、言おうとしているのは、この縁談そのものが鷹宮翁の罠だという事です」

「罠? 罠だと!」

「ええ、鷹宮グループを調べてみました。
 結構、赤字の会社が多いんです。
 同族会社の悲劇ですね。
 鷹宮翁はぼくの経営手腕がほしいんですよ。
 鷹宮グループの業績の悪い会社を僕に立て直させる。
 事業がうまく行ったら僕を解任して鷹宮の本家筋の人間をトップにつかせる。
 そして、次の会社をあてがう。
 事業がうまくいかなかったら僕に責任を取らせて事業毎潰し、僕にはどこかの閑職をあてがう。
 鷹宮の本家筋はまったく、被害を被らないんです。
 うちを、鷹宮の手駒にするつもりなんですよ、鷹宮翁は。
 それでもいいんですか?
 大都芸能も鷹宮の傘下に組み入れられるんですよ。
 『紅天女』だって上演できるかどうかわからない。
 お義父さん、同族経営はあなたが一番嫌ったやり方ではありませんか?」

「ふむ、おまえの言う事も一理あるな。
 だが、紫織さんと婚約を解消するとおまえは鷹宮の後ろ盾をなくすぞ。
 それでもいいのか?」

「……お義父さん、僕は、仕事の実績を着実に積み上げて来たと思っているんですが……」

「儂から見たら、まだまだ、ひよこだ。
 おまえは、鷹宮のバックアップなしに、大都の重役達を押さえていける自信があるのか?」

「お義父さんが、梅の谷で消息を絶った時、僕に対する風当たりは確かにきつかった。
 ですが、おかげで、彼らの腹の中もわかりました。
 今すぐ、お義父さんに何かあったら困りますが、5年、いえ、3年あれば、掌握できます」

「ふむ、大した自信だな」

英介は皮肉な口調で答えた。しばらく考えていたが、やがて、口を開いた。

「真澄、鷹宮グループを調査した報告書はあるか。
 見せてくれ」

英介は真澄から報告書を受け取ると、丹念に調べ始めた。
真澄は、しばらく義父が結論を出すのを待っていたが、時間がかかりそうなので自分の部屋で待つ事にした。
だが、部屋を出ようとすると英介が後ろから声をかけてきた。

「真澄、婚約を解消してもいいぞ」

真澄は肩越しにふりかえりながら、

「ありがとうございます。お義父さん」

と感謝の気持ちを滲ませて応えた。


翌日、速水真澄は、執事の朝倉を伴って鷹宮家を訪ねた。
紫織の両親、鷹宮翁、紫織と会見する。
昨夜の速水の言動に怒り狂っていた紫織は喜んだ。
真澄が謝りに来たと思ったのだ。
婚約を解消すれば「アテネシティ・プロジェクト」は崩壊すると紫織は思っていた。
鷹宮がバックについている以上、引かなければならないのは速水の方だと紫織は思っていた。

「まあ、真澄様、昨日の事、謝りに来て下さったのね。
 もちろん、あなたが、誠心誠意謝られるなら、婚約は解消致しませんわ」

「紫織さん、あなたを侮辱した僕をそんな風に許してくれるなんて、あなたは心の広い人だ。
 だが、例えどんなにあなたに謝った所で、あなたを侮辱した事実は変わりません。
 僕はあなたに相応しくない。
 あなたの望み通り婚約を解消しましょう」

「真澄様、どうか、一言、悪かったとおっしゃって下さい。
 そしたら、元通り、私達は結婚できるのですわ。」

「紫織さん、覆水盆に返らずといいます。
 僕たちの仲は、もう、壊れてしまったのですよ。
 話し合っても無駄でしょう」

「……あ、あなたとは、あなたとは、もうお会いしたくありません!」

紫織はそう言うと、席を立った。母親が後を追う。
紫織の父親は、紫織が速水に指輪を投げ返した以上、婚約を解消すると言った以上、速水との婚約解消は仕方ないとあきらめたようだった。
鷹宮翁は、速水を手駒にと思っていたが、紫織との仲がこじれたのを見て、速水を操るのは難しいと感じた。

(まあいい、手駒は他のを調達するか)

と胸の内で幾人かの候補者の顔を思い描いていた。

紫織の父親は、真澄に

「真澄君、『アテネシティ・プロジェクト』はどうするつもりなんだ」

「私の不徳の致す所により、紫織さんに婚約を解消されてしまいましたが、プライベートと仕事は別と思っております。
 もちろん、『アテネシティ・プロジェクト』は推進させていただきます。
 紫織さんから婚約を解消された僕を、鷹宮の皆様が、ご不快に思われないのであれば、ぜひ、今後共宜しくお引き回しいただければと思っております」

速水の挨拶に、鷹宮社長も鷹宮翁もほっとした。
紫織と結婚してくれれば、一族の一員になる。
一族になった方が信用出来るのだが、この男は、鷹宮の一族にならなくても、鷹宮の敵にはまわらないと言っている。
それどころか、鷹宮に協力したいと言っている。
この男は婚約を解消されてしまったからこそ、鷹宮の信用を得るために、必死になって協力するだろう。
鷹宮社長も鷹宮翁も、速水を信用していいだろうと考えた。

鷹宮紫織と速水真澄は、この日、正式に婚約を解消した。


速水真澄は、鷹宮邸を後にした。
大都芸能に戻り社長室で、一服する。
紫煙の先をぼんやり見ながら、自由を噛み締めた。

(マヤ、うまくいったぞ!)

速水は、すぐにでもマヤに会いに行きたかった。
しかし、婚約を解消してすぐにマヤに会いに行くのは、やはり、少し躊躇われた。
アストリア号での出来事は、婚約者のいる身でありながら他の女性と親しくしたのだ。
言い訳け出来る事ではなかった。
速水は、最初の計画通りマヤには試演までは会わないでおこうと思った。
そんな物思いに耽っていると秘書の水城がコーヒーを持って来た。

「真澄様、婚約を解消されたそうですね」

「ああ、俺が仕事ばかりで紫織さんを構ってやらなかったからな。
 振られたよ」

水城は、速水の答えにくすりと笑いたくなったが必死になって押さえた。

「プロジェクトの方はいかがです?」

「大丈夫だろう、今、中止すれば、鷹宮側の方が損害は大きい。
 このプロジェクトに関しては大丈夫だろう。
 問題は今後だが……」

「紫織様のお父様の会社、中央テレビとの関係ですね」

「ああ、多少は影響するかもしれんな。
 中央テレビの動きはしばらく要注意だ。
 君も承知しておいてくれ」

「はい、わかりました」

「そういえば、もうすぐ試演だが、この所、忙しくて稽古の話は聞いてなかったが、何か報告は入っているか?」

「いいえ、特には。姫川亜弓の目の調子が悪いとだけ聞いています」

「目が?」

「ええ、その為、今までのアクロバティックな演技から動きを押さえた演技に変えたそうです。
 ところが、その演技がまるで神業のように素晴らしいそうです」

「そうか、それは試演が楽しみだな」

水城と雑談をしていると会議の時間になった。


速水は知らなかった。
その同じ時刻、元婚約者の紫織が、先祖代々の道具類が収められている蔵の中から、1本の懐剣を取り出しているのを。
とある姫君の為に名のある刀工が鍛えたその懐剣は、刃に美しい紋が浮き上がる。
だが、今、紫織はその美しい紋を見ていない。
刃に写る自分自身の瞳も見ていない。
その刃を速水真澄の胸に深々と突き立て、自分自身も自害する。
そんな危険な夢を見ていた。







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