白鳥は蒼穹にはばたく   連載第12回 




 話は少し遡る。
 マヤは、アストリア号を無事脱出した後、電車で一旦アパートに戻った。
それから、着替えると急いで稽古場に行った。
稽古場では、黒沼の雷が待っていた。
黒沼はマヤを呼んで、叱り飛ばし、罰として稽古場の掃除を1週間、一人でするように言った。
また、黒沼は水城から北斗プロによる暴行事件の話を聞いていた。
速水からのボディガードはすでに到着しており、黒沼はマヤにボディガードを紹介した。
榊と呼ばれたその男は柔道の達人だった。幾つもの大会で上位入賞を果たしている。
がっちりとした大きな体格、太い眉毛、目の輝きの強い四角い顔をしたその男は人懐っこそうな笑顔を浮かべてマヤに挨拶した。
他の団員達は一様に驚いたが、先日マヤに送られて来たびりびりに引き裂かれた写真といい、マヤの回りに不穏な空気が漂っているのを、皆なんとなく感じていた。
大都芸能の速水真澄が絡んでいる以上、「紅天女」を速水英介が何よりも欲しがっている以上、どこかきな臭い事件がマヤの回りで起きても仕方が無いという空気があった。
月影千草のような悲劇がマヤに起こらないよう皆祈っていた。

その日の稽古は、マヤがいなかったのでマヤのいないシーンから始められていた。
マヤは黒沼に一真との対決のシーンをやらせてくれと言った。
黒沼は、

「何か掴んだのか?」

「はい」

「そうか……。
 では、やってみろ」

一真が禁足地を通り千年の梅の樹を切り倒しにやってくる。

「……おまえさま!」

見事な一言である。
愛する男に殺される悲哀。
魂の片割れを亡くす悲しみ。
魂の片割れを殺さなければならない男に寄せる愛。
そして、何よりも久方ぶりに愛する男に会えた喜び。

マヤの全身で愛と哀が表現されている。

続く、一真との対決。

演技が終わると、どこからともなく拍手が沸いた。
黒沼が珍しくマヤに一言、

「いいだろう」

と言った。黒沼の最高の褒め言葉だった。
マヤの演技は抜群によくなっていた。


やがて、練習が終り帰る段になって桜小路がいつものように送って行こうとすると、ボディガードの榊が

「申し訳ないんですが、試演まで送り迎えをするように申し付けられてまして……」

と、自身の首の後ろをぽんぽんと叩きながら、桜小路にすまなそうに言った。
マヤと一緒に帰れないのは残念だったが、試演までと思えば耐えられた。
桜小路は青木麗から、昨日、マヤは用事があって人に会いに行き船に乗ったら降りる前に出港してしまい今日の午後まで帰れなくなったと聞いていた。マヤらしいドジだなと桜小路は微笑ましく思った。

マヤは稽古場に置きっぱなしになっていた引き裂かれたアルバムの入ったダンボール箱を梱包し直した。
アパートに持ち帰り、翌朝、週間ジャーナルの松本に変装してやってきた聖にそれを渡した。
卒業証書の再発行が出来ないか、写真を修復出来ないか聖が試してみるのだと言う。
また、パフェおじさんのメルアドを聖に見せた。
その結果、パフェおじさんは速水英介と判明。
マヤは、次回パフェおじさんに会う時は必ず連絡を入れる様にと聖に言われた。

マヤが紫のバラの人にメッセージを頼みたいと言うと聖がマイクを差し出した。

「昨日、黒沼先生から演技を褒められました。
 ファンの方が応援して下さったおかげです。
 ありがとうございました。
 体に気をつけて下さいね」

マヤはメッセージを聖に託した。
速水に会えないのは辛かったが、マヤは速水といつも繋がっているような気がしていた。
試演まで、後わずかだ。
速水が修羅場で戦っているのだ。
どうして試演をがんばれずにいられるだろうか?
マヤは速水を想い、試演をがんばろう、きっといい演技をして「紫のバラの人」に喜んで貰おうと思った。


マヤは紅天女の演技を順調に掴んでいった。
マヤの恋の演技。
演技の隅々に、甘く切ない乙女の恋心がにじむ。
舞台を降りた後も、マヤの頬はピンク色に輝き恋する乙女特有の美しさを発散していた。
男達は皆、マヤに恋をした。
桜小路もまた、マヤへの想いを募らせた。
舞台の上で、魂の片割れを演じている筈が、現実世界でも魂の片割れのように桜小路には思えていた。
もし、ボディガードがいなかったら、桜小路はマヤにもっと接近していたかもしれない。
速水はマヤにボディガードを付ける事で、間接的に恋敵を牽制していたのである。


真澄とマヤは会う事も、電話も、メールもしなかった。
真澄の婚約が無事解消され、試演が終わるまで、二人は決して連絡を取らずにいようと約束していた。
ただ、いままでと同じように、聖唐人を通じて小さなメッセージが二人の間を行き交うだけだった。
或る日、聖によって持たらされたニュースをマヤは複雑な想いで聞いた。

「マヤ様、あの方の婚約は無事、解消されましたよ。
 良かったですね」

「聖さん!」

「今すぐは無理ですが、試演が終われば、大手を振ってあの方と会えますよ」

マヤの目からみるみる涙が溢れ出す。
一粒、二粒、大粒の涙がこぼれ落ちる。

「聖さん、ファンの方に伝えて下さい。
 とても、嬉しいニュースですと」

マヤは泣きながら聖に言った。


一方、鷹宮紫織は速水真澄と心中するという考えに取り付かれていた。
体の弱い紫織が、婚約解消というストレスにさらされたのである。
体調を悪くして寝込んでもおかしくない筈だった。
が、真澄と心中する、死をもって真澄と永遠に結ばれる、他の誰にも渡さないという強い想いが紫織に活力を与えていた。
体調がいいので病院に行く必要はなかったのだが、いつもの貧血の薬が切れかかっていたので取りに行った。
主治医は、紫織の様子に

「何かいい事でもありましたか?
 随分、良くなりましたね」

と言うと、紫織は

「ええ、婚約を解消しましたの。それでだと思いますわ、ほほほ」

と冗談めかして応えた。
そして、その帰り、病院の庭を歩いていると木立の影から看護婦の話し声が聞こえた。

「……姫川亜弓も気の毒よね、あんなにきれいなのに、目が見えなくなるなんて」

「今、手術をすれば治るのに……
 なんとかいう芝居の試演の方が大切だなんてねえ……」

紫織は、その話に体を硬直させた。

(なんですって! 姫川亜弓の目が見えなくなるですって?
 そんな! では、北島マヤが『紅天女』の主演女優になるというの)

紫織の考えはごく普通の考えだった。目が見えなくて演技が出来る筈がない。
亜弓に演技が出来ない以上、主演女優はマヤのものになるだろう。
紫織は腹立たしかった。

(これでは私の真澄様がますます北島マヤにのめり込んでしまうわ。
 なんとかしなければ
 ……
 フェアじゃないわ。フェアじゃない。
 では、フェアにすればいいのだわ)

暖かい秋の日差しが降り注ぐ病院の上空を雲がよぎった。
一瞬、影が出来る。
暗くなった中庭に紫織の狂ったような笑い声が響き渡り、そして消えた。


鷹宮紫織は、北島マヤを見張る事にした。
真澄との心中の前にしておかなければならない事がある。

(マヤさんをめちゃめちゃにしなければ。
 そうしなければ、真澄様の魂が彷徨うわ。
 演技が出来ないようにしなければ。
 演技さえ出来なければ、あんな子、ただのみすぼらしいだけの娘じゃありませんか。
 そうよ、姫川亜弓が目を悪くしたなら、北島マヤも目が悪くならなければ)

紫織は自分で作った目薬の瓶をそっと撫でた。







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