白鳥は蒼穹にはばたく 連載第13回
鷹宮紫織は北島マヤの稽古場、キッズスタジオの出口をじっと見張っていた。
稽古が終り、役者達が楽屋口から次々と出て来る。
紫織は、車の中からその集団を見つめていた。
やがて、その集団の中にマヤを見つけた。
見知らぬ男と一緒だ。
マヤの様子をじっと見ていた紫織は、マヤの着ているTシャツを見て愕然とした。
胸にくっきりと「ASUTORIA」と入っている。
(まさか、まさか、まさか、あの子。
真澄様と一緒にアストリア号に乗っていたの?
待ち合わせた?
そんな筈はないわ。
真澄様は、どこに行くか知らなかった筈。
偶然、乗った?
まさか、真澄様がマヤさんにTシャツをお土産にあげた?
……確認しなければ)
紫織は、マヤに会うのをやめた。
一緒にいた男がボディガードらしかった事も紫織にマヤに会うのを躊躇させた。
紫織は、携帯で、船会社に電話をしてマヤがアストリア号に乗っていたか確認しようとしたが、アストリア号は既に世界一周の航海に出ておりホテルマネージャーの正木も船の上だった。
そこで、紫織は、劇団「つきかげ」がどこで公演を行っているか調べた。
劇団「つきかげ」の団員にそれとなく聞いて見ようと思ったのだ。
紫織は、アテネ座で公演中の青木麗を探し出した。
喫茶店に誘い出し、世間話をする。
青木麗も、「ASUTORIA」とロゴの入ったTシャツを着ている。
紫織がそれとなく尋ねると
「このTシャツですか?
この間、マヤが用事があって人に会いに船に乗ったら降りる前に出港して翌日の午後まで帰れなくなったんです。
それで、おみやげに買ってきてくれたんです」
「まあ、それは大変だったわね。相手の方にはお会い出来たのかしら?」
「それが、事故にあったらしく、船に乗り遅れたんだそうです」
(マヤさんは私に会いにきたんだわ。
あっ!
小切手、小切手を返しに来て、真澄様と会ったのだわ。
でも、マヤさんは水城秘書に小切手を返しに来たと真澄様は言っていたわ。
……なんだか、おかしい。
でも、きっとあの時、私の悪口を真澄様に告げ口したのね。
きっと、そう。
それで、真澄様はアストリア号から降りた後、私にあんなに冷たくなったんだわ)
「あの、どうかされました? 顔が真っ青ですけど、大丈夫ですか?」
「えっ! ええ、大丈夫です。
あの、実は、私、速水と婚約を解消しましたの。
でも、婚約している間に速水のいろいろな、その……、影の部分を見てしまいましたの。
『紅天女』の上演権。
どうなっているか、月影先生に確認した方が良くてよ。
速水がどんな手を使っても手に入れると、言っていましたから」
「ご忠告、ありがとうございます。
でも、速水さんは、昔からそう言ってます。
今に始まった事じゃないです。
仮に、速水さんが手に入れても主演を演じる女優がいないんです。
演じられるのは、今の所、月影先生か、亜弓さんか、マヤだけなんです。
速水さんが手に入れても、絵に書いた餅になるんですよ。
でも、いろいろ、気を使って下さってありがとうございました。
私、そろそろ時間なんで、これで……」
そう言って、青木麗は鷹宮紫織と別れ、喫茶店を後にした。
青木麗は、その夜、マヤに紫織と会った話をした。
「紫織さんって、ホント、お嬢様だよね。
どう言った経緯で、婚約解消になったかわかんないけど、上演権の事、心配してくれてさ。
月影先生に確認した方がいいってさ」
「そ、そうだね、あのゲジゲジが、また汚い手を使って手にいれるとも限らないものね」
マヤは、麗に速水との事を話そうかと思ったが、速水と約束していたので話せなかった。
一方、鷹宮紫織は、マヤに対して憎しみを募らせていた。
なんとか、マヤの目を潰してやりたい。演技が出来ないようにしてやりたい。マヤを滅茶苦茶にしてやりたい。
その為の機会を狙っていた。
毎日、キッズスタジオの出口を見張っていた紫織は、マヤの後ろ姿を切なそうに見送る桜小路に声をかけた。
「桜小路さんじゃありませんこと! こんばんわ」
「紫織さん! どうしたんです? こんな所で」
桜小路は驚いた。令嬢の鷹宮紫織がこんな時間に何をしているのだろうと訝しく思った。
「ほほ、演奏会の帰りですのよ。いかが、そこの喫茶店でお茶でもしませんこと」
桜小路は誘われるままに、紫織と喫茶店に入った。
紫織はコーヒーを注文すると早速、桜小路を質問攻めにした。
「マヤさんを見送ってらしたの? お好きなのね、マヤさんの事」
「ええ、僕はマヤちゃんを好きなんですけど、マヤちゃんには好きな人がいて……」
「まあ、それはどなたですの?」
「それが、一度も会った事のない『紫のバラの人』なんです」
「なんですって!」
桜小路は紫織の剣幕にぎょっとなった。
「本当ですの?
本当に、マヤさんは『紫のバラの人』に恋をしているんですの?
一度も会った事がない人に?
マヤさんは、『紫のバラの人』の正体を知って恋をしているのではなくて?」
「いいえ、彼女は一度も会った事がないって言ってます」
「人づてに聞いたのですけど、先日、『紫のバラの人』から最後のバラが贈られたって、
それも、マヤさんが『紫のバラの人』に贈ったアルバムや卒業証書が引き裂かれて送り返されたって聞きましたわ。
マヤさん、さぞ、落ち込んでいるんでしょうね」
「それが、貰った直後は落ち込んでたんです。
でも、次の日には、もう、元気になってて……。
マヤちゃんは、『紫のバラの人はこんな事しない』って言うんです。
なんか、すごく信頼してて。
僕は、そんなすごい信頼関係で結ばれた『紫のバラの人』に勝てるのかなって」
「大丈夫よ、女はね、愛されている方が幸せですのよ。
どこの誰かわからない人を想うより、目の前にいる殿方の方がいいに決まってますわ」
「そういうもんでしょうか?
……もう一度、彼女に僕の気持ちを伝えてみようかな。
舞台の上の演技を見ているとなんだか、彼女も僕を好きになってくれてるような気がしてたんです」
「まあ、そうなの。
そうね、ぜひ、打ち明けてご覧なさい。
きっと、マヤさんもあなたに恋をしていると私は思うわ。
だって、そうでなければ、魂の恋は演じられませんもの」
紫織は言葉たくみに桜小路を唆した。
(この男がマヤと恋仲になってくれたら、速水もマヤをあきらめて私とよりを戻そうとするかもしれない)
紫織はほくそ笑んだ。
桜小路は紫織の言葉に乗せられた訳ではなかったが、ボディガードのせいで、なかなか、マヤと一緒に帰れないのが辛かった。そこで、桜小路はマヤをデートに誘った。
「マヤちゃん、明日の休み、一緒に遊びに行かない?」
「う〜ん、ごめん、桜小路君。
明日は、麗と一緒に月影先生のお見舞いに行くの」
マヤは、そう言って桜小路の誘いを断った。
桜小路は残念だったが、また、機会があるだろうとその場は引く事にした。
マヤは、桜小路に自分には既に恋人がいるのだと、「紫のバラの人」と恋仲になれたのだと言いたかったが、速水との仲は試演までは公表出来ない。
マヤは桜小路に対して悪いなあと思った。
悪いと思った気持ちが、桜小路に優しくするという行動になって現れた。
その結果、ますます桜小路が誤解をするという悪循環を生んでいたが、マヤにはどうしたらいいのかわからなかった。
翌日、マヤは麗と一緒に演劇協会会長の別邸に月影千草を訪ねた。
そこには、速水真澄がいた。
続く
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