白鳥は蒼穹にはばたく   連載第16回 




 翌日、稽古場で桜小路は、マヤに対して以前と同じように振る舞った。
桜小路はマヤの「紫のバラの人」に対する真摯な想いに胸を打たれていた。
マヤを通して「紫のバラの人」の深い愛に触れたのである。

(マヤちゃん、試演で『紫のバラの人』に会うつもりなのかもしれない。
 会って告白するつもりなのかな?
 『紫のバラの人』が若い男じゃなかったらいいなあ。
 妻帯者とかだったら……。
 そしたら、マヤちゃんは『紫のバラの人』をあきらめてくれるだろうか?
 とにかく、『紫のバラの人』の正体がわかるまでは、僕には希望があるんだ。
 それに、試演の前にマヤちゃんと喧嘩したくないし……。
 なんとなく、この間、鷹宮紫織さんと話してから調子が狂ったなあ。
 なんか、あせっちゃって。
 とにかく、今は試演に集中しよう!)

桜小路は、もともと、まじめな性格だった。
紫織に唆されて、マヤに返事をせまってみたものの、マヤの真摯な態度に打たれ軽卒な行動は取らなかった。
桜小路は、マヤを強引に抱きしめたりしなくて良かったと思った。
試演の前にマヤとの仲がおかしくなれば、芝居に響いただろう。
一真役を、たとえ、大先輩だろうと赤目さんに渡すわけにはいかない。
とにかく、試演だと桜小路は思った。
試演を成功させれば、役もマヤの心も付いて来るだろうと桜小路は思った。


一方、大都芸能秘書室では、社長の速水の態度に全員とまどっていた。
婚約を解消したのは秘書全員が知っている。
婚約を解消しても『アテネシティ・プロジェクト』が推進されているのも周知の事実だ。
鷹宮コンツェルンとの関係が微妙なのも、鷹宮紫織の父親の会社、中央テレビとの関係が_綱渡りをするような危険なものだという事も秘書室の全員が知っていた。
にもかかわらず、今日の速水にはまるで緊張感がないのだ。
つい先日まで、目もあてられない程、機嫌が悪かったのに。
普段から笑わない人が、普段以上にぴりぴりとしていたというのに。
ところが、今日は違う。
今日は朝から、今まで見た事のないような笑顔をしているのだ。鼻歌まで唄っている。
冷血漢と言われた社長がこんな笑顔をするなんて。
何かあると秘書室の全員が思った。
きっと、どこかの会社を潰すのがうまくいったのだろう。
或は、新しい悪巧みを思いついたのかもしれない。
秘書室の全員が、速水の機嫌の良さを嵐の前兆と捉えていた。
が、実際はもちろん、速水にマヤという恋人が出来たからなのだ。
昨日、速水は久しぶりにマヤの顔を見る事が出来た。
携帯で長々と彼女と話せた。
その上、「いやみ虫(魂のかたわれ)」と言われ、「ゲジゲジ(愛しい人)」と言われ、「大っきらい(愛してる)」と言われた。
これで舞い上がらない訳があるだろうか?
秘書室の全員、冷血漢の速水にそんな奇跡が起きたとは全く思っていなかった。
ただ、水城だけが、速水の回りに飛んでいるピンクのハートに気がつき、

「社長! 仕事に集中して下さい!」

と激を飛ばした。

また、水城は、なかなか決済印が貰えなかった書類(大都芸能社員会の懇親会の費用を経費で落とす書類)を、速水の機嫌の良いうちにと持って行き、しっかりと決済印を貰って帰って来た。
社員会役員の面々が水城に感謝したのは言うまでもなかった。


 速水とマヤは、夜遅く携帯で話すようになった。
速水が仕事で電話が出来ない時は、メールを交換した。
実際に会う事はなかったが、二人の時間は濃密な恋の時間だった。
マヤは麗に気をつかっていつも、近くの河原で電話を受けた。
二人で話していると時間はすぐに経った。
大人の速水はマヤが稽古で疲れているのがわかっていたのでいつも30分ほど話したら切り上げるようにした。

「なんだか、テレビゲームを30分だけって言われている小学生みたい」

とマヤがこぼしたが、速水は笑いながら

「電話を切ったら次に電話で話すのが楽しみになるぞ」

と言ってマヤの気持ちを宥めた。
マヤは速水と電話で話すのが楽しかったが、会えないのが辛かった。
どうやら、速水も同じ気持ちのようだった。
或る夜、マヤがやはり速水と河原で携帯で話していると速水が言った。

「マヤ、俺が今どこにいるかわかるか?」

「え〜、そんなの、わからないですよ」

「川の対岸だ。
 俺には、君が見えるよ。」

「ほんとに」

マヤは、向こう岸を探した。速水の姿を。
車が1台、止まっているのが見えた。車の側に背の高い男が立っている。
速水だ。

「速水さん、見えた!」

マヤは思わず、手を振った。

「……今から会ってはだめですか?」

「ああ、だめだ。試演まで後少しだ。それまで、我慢しよう」

「……姿が見えて携帯で話してるのって、なんだかへん。
 まるで、糸電話で話しているみたい」

「糸電話か、そうだな」

二人は笑った。

二人の間には広い川がある。相手の顔は見えない。
それでも、二人には互いの表情がわかった。
マヤは速水が、柔らかな優しい笑顔をしているのがわかった。
速水はマヤが、黒目がちな大きな目を細めて生き生きと笑っているのがわかった。


一方、鷹宮紫織はマヤをつけまわしていた。
あまり夜遅くまで出歩けなかったが、コンサートに行くといっては、マヤの後をつけた。
車をマヤのアパートの近くに停めマヤの様子を伺った。
そして、マヤが、河原で毎晩携帯で話しているのを知った。
最初、相手が誰かわからなかった。

その夜マヤが手を振るのを紫織は車の中から見ていた。
マヤの視線を追って紫織は対岸を見まわした。
そして、マヤと同じように速水を見つけた。

(真澄様! これは一体どういう事! 真澄様を憎んでいる筈のあの子が、何故、親しげに真澄様に手を振っているの?
 毎晩、マヤさんが電話をしていた相手は真澄様だったの?
 そんな、そんな……。
 あ! 紫のバラ!
 真澄様は、ご自分が『紫のバラの人』だと打ち明けたのね。
 婚約を解消して自由になった途端に打ち明けたのだわ。
 マヤさんは、『紫のバラの人』が真澄様だとわかって、自分が恋をしている相手が母親を死に追いやった男だとわかって混乱しなかったのかしら?
 ……
 とにかく、今は、毎日、長電話をするほどの仲がなんだわ。
 くやしい!
 私には、一度も電話をかけて下さらなかったくせに!
 電話がかかってくる時は、仕事が忙しくていけないっていう断りの電話の時だけ。
 それも、秘書の水城さんから。
 真澄様、ひどい!
 どうして、あんな子に?
 ……
 でも、二人で会っている所はみた事がないわ。
 婚約を解消して間が無いからかしら?
 私に気を使って下さっているのかしら?
 ……
 いいえ、そうじゃないわ。
 マヤさんと相思相愛になったのを私が知ったら、私がマヤさんに何をするかわからないと思ったのね。
 ……
 真澄様、あなたは私のものですわ。
 それがおわかりになりませんの。
 ほほほ、わからせてさしあげますわ)

紫織は車のバックシートで懐剣を握りしめた。

(でも、今は……、今は、まだ、早いわ)

紫織はにぃーっと笑うと静かにその場を去った。



そして、迎えた試演前夜。
やはり速水とマヤが河原で話していると、マヤの背後に女が立った。
それが、紫織だとわかった速水は叫んでいた。

「マヤ、逃げろ!」

速水の切羽詰まった声が携帯から響いた。




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