白鳥は蒼穹にはばたく   連載第3回 




 メインディッシュを食べ終わり、デザートになった。ボーイが説明する。

「いちじくの赤ワインのコンポートでございます。添えられているアイスクリームはほのかな刺激のある黒こしょう風味となっております。また、コンポートの煮汁を凍らせた氷菓もそえております。お楽しみ下さい。」

「ああ、君、僕のデザートは彼女に渡してくれ。
 僕にはドライフルーツとチーズの盛り合わせ、赤ワインを頼む」

マヤは渡された2人前のデザートを嬉しそうに食べた。

「速水さん、このデザート、もの凄くおいしいですよ。
 本当に食べなくていいんですか?」

「ああ、俺は甘い物が苦手だからな」

「でも、でも、これ、あんまり甘くないですよ。特にこの黒胡椒風味のアイスクリームなんて、すごく変わってる」

「ふむ、そうか」

速水は、マヤの口に運ばれそうになっていたスプーンに乗ったアイスクリームをマヤの手を掴んでそのまま口にもってきた。
スプーン毎、ぱくりと口にいれる。

「な、な、な、何するんですか!」

スプーンに乗ったアイスクリームを速水は舐めとると

「ふむ、確かに黒胡椒の味がする。それでも、やっぱりアイスクリームだな」

そう言いいながら、速水はマヤの手をはなした。
マヤは、驚いてどぎまぎした。

最後にコーヒーが出てフィニッシュだった。
マヤはおいしい食事に大満足だった。

(あたし、速水さんとデートしてる、すごい、すごーい!)

紫織には悪いと思ったが、それでも、速水と二人で食事が出来たのが嬉しかった。
速水は速水で、今回の件で紫織に対して一気に気持ちが冷え込んだのがわかった。
そして裏返すようにマヤへ気持ちが傾いていた。

(俺は、一体、何をしようとしてるんだ……)

だが、仕事の事を考え、自らマヤへの気持ちにブレーキをかける速水だった。
やがて食事が終り、二人がサロンダイニングを後にしようとすると、ホテルマネージャーの正木が待っていた。

「速水様、紫織様からお電話がございまして、後ほどご連絡してほしいとの事です」

「わかった、電話は?」

「はい、どうぞ、こちらに」

正木に連れられてフロントまで降りると速水は紫織に電話した。

「紫織さん、速水です」

「真澄様、今日、私、高速の渋滞に巻き込まれてしまって……」

「あなたの気持ちは嬉しいですが、こういう不意打ちは好きではありません。
 今夜の事は、お父様やおじい様はご存知なのですか?」

「……ええ、あの、真澄様と一緒とは言ってませんが……」

「女性のあなたからこんな風に仕掛けられるとは思っていませんでした。
 僕を失望させないで下さい」

「真澄様! どうか、わかって下さい、私の気持ちを!」

「とにかく、今は込み入った話は出来ません。
 今度会った時に話し合いましょう。
 明日、迎えは不要ですから」

速水はそう言うと電話を切った。
電話が終わるとマヤが不思議そうに速水を見ていた。

「速水さん、紫織さんと待ち合わせていたんじゃないんですか?」

「ああ、違う。
 この所、忙しくて紫織さんの相手が出来なかったんだ。
 それで不安になったんだろう。
 普段はこんな大胆な事をする人じゃないんだが。
 さ、それより、どうだ、せっかく、こんな豪華な船に乗ってるんだ。
 ついでに、ショーを楽しもう」

マヤは不思議だった。
速水と紫織が魂のかたわれなら、二人で一夜を過ごそうという大事な夜なのに片方だけが一方的に夜を共に過ごしたいと思うのだろうか?
共に熱く相手を求めるものではないのだろうか?
さらに、マヤを複雑な思いにさせたのは速水の言動だった。
「紫のバラの人」から写真がびりびりに引き裂かれて送られてきた。
それなのに、暴漢に襲われた時、速水は身を呈して守ってくれた。
速水が写真を破いたりしないと信じられたが、だが……。
先日、速水から泥棒と疑われた。
泥棒と疑われたのは、速水の口から直接聞いた言葉だ。
その速水が今、一緒にショーを楽しもうと言ってくれている。
マヤは、はっとした。

(今、速水さんは紫のバラの人なんだ。
 あの時は速水真澄として、紫織さんの手前、私をなじる言葉を言わざるを得なかったんだ。
 きっとそう!)

その考えに自分を納得させるとマヤは、速水に向かってにっこり笑っていた。

「ええ、速水さん、そうですよね、こんなすごい船、滅多に乗れませんものね」

「だろう! では、行こうか!」

二人はショーの行われるメインラウンジへ向かった。
メインラウンジでは、マジックショーが行われていた。
マジシャンのトークが面白く時間はあっという間に過ぎて行った。
ショーが終わるとダンスタイムになった。楽団が曲を奏で始める。

「ちびちゃん、踊ろう!」

曲は「ラヴィアン・ローズ」。
オードリー・ヘップバーンの映画「麗しのサブリナ」で使われた曲だった。

(薔薇色の人生。俺には、のぞめん人生だな)

「速水さん、この曲、ヘップバーンの映画で使われてましたね」

「ああ、『麗しのサブリナ』の中で使われた曲だったな。
『ラヴィアン・ローズ』、バラ色の人生という意味だ。
 ヘップバーンがパリのアパートで聞いていたな」

「あの映画のお兄さんの方。
 仕事熱心で、まるで、速水さんみたいだった」

「俺はあんな無粋な人間じゃないぞ」

「ふふふ、あの映画のラストも船でしたね。」

「パリに行く船に二人で行くと嘘をついてサブリナを乗せるんだったな。
 弟が、俺が社長になると言って、兄を送り出すんだ。
 俺にも弟がいればな」

「そしたら、何もかも捨てて飛び出すんですか?」

「ああ、そうだな、まかせられる人がいればな」

「ふーん、速水さん、仕事が好きなんだと思ってました」

「仕事は好きさ! それでも、時々投げ出したくなる事もあるさ。
 俺だって人間だからな」

そんな他愛ない話をしながら二人は踊った。
速水は、マヤと踊るこの一時を夢のようだと思った。

(二度と、二度とこんな時間は持てまい)

いつまでもこうしていたかった。

曲が変わった。次の曲は「魅惑のワルツ」。
やはり、ヘップバーン主演の映画「昼下がりの情事」の主題曲である。
4人の楽隊によって演奏されるこの曲は映画の中で効果的に使われていた。

「ちびちゃん、この曲、知っているか?」

「ええ、テレビで見ました。ヘップバーンが素敵でした」

「4人の楽隊が、主役二人のデートシーンでいつもこの曲を奏でていた」

「コミカルでそれでいて恋する二人の切なさがとてもよくわかって……」

「ああ、ラスト、男は彼女の正体を知って何も言わず去ろうとする」

「ヘップバーンは最後までたくさんの男達と付き合っているふりをして気をひこうとする。
 最後、主役の男の人がヘップバーンを抱きかかえて列車に乗せて……、
 そして、ハッピーエンド。
 ヘップバーンのお父さん役をやってた方がすごくいい味を出していて……。
 素敵な映画でした。
 速水さん、日本語の台詞で良ければ、ここでやってみせましょうか?」

「いや、いい、今は。……今は君と踊っていたい」

「……速水さん……」

(速水さん、どうして……、どうして、そんな事、あたしに言うんですか?
 そんな風にいわれたら、あたし、あたし……。
 期待してしまいそう)

ターンする度にふわりと速水の煙草とコロンの混じった香りがマヤの鼻腔をくすぐった。
速水に握られている手が、速水の手が当てられた背中が熱かった。

(速水さん、紫のばらの人、このまま、時が止まってしまえばいい!
 あたしの気持ちなど、速水さんにとっては迷惑なだけ。
 わかっていても、今夜、この時だけは、あたしの一真!)

曲は続く。二人は踊る。共に真実の気持ちを隠して。







続く      web拍手     感想・メッセージを管理人に送る


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