白鳥は蒼穹にはばたく   連載第6回 




 速水は必死だった。
アストリア号のデッキにマヤの姿を見た時、何かに突き動かされるように走っていた。

「マヤ!」

「速水さん……!?」

「君に……、君に話がある。
 マヤ、俺が……」

速水はそれでも、躊躇した。
最後の最後まで言えないと思っていた言葉を、今、口にしようとしていた。

「……バラを……、紫のバラを贈っていた」

「速水さん!」

マヤは、速水の胸に飛び込んだ。目からは、ぼろぼろと涙が流れていた。
数年前の夏の日、別荘で「紫のバラの人」を抱きしめたように、今、速水を抱きしめていた。
速水も抱きしめる。マヤの小さな体を。

「速水さん、長い間、支えてくれて!
 本当にありがとうございました。
 あたし、あたし……」

マヤは泣いて言葉にならなかった。

(やっと……
 やっと、速水さんが『紫のバラの人』だと名乗ってくれた)

それが嬉しくて嬉しくてマヤは、速水の胸で泣きじゃくっていた。
速水はマヤの顔を仰向かせ、指先でそっと涙をぬぐった。

「速水さん、あたし、知ってました。
 速水さんが紫のバラの人だって。
 狼少女のスカーフの色、青を使ったのは速水さんが来た初日だけだったんです。
 それで、わかりました。
 最初は、半信半疑だった。
 でも、母さんのお墓の前に紫のバラの花束と一緒に落ちていた万年筆。
 それを速水さんが受け取るのを見てわかったんです。 
 あなたが、『紫のバラの人』だって……」

マヤは唇を震わせた。

「……あたし、あたし、あなたの事、好きなんです。
 こんな気持ち、あなたに迷惑なのはわかってます。
 あなたが、紫織さんをものすごく愛しているのもわかってます。
 それでも、言わずにいられなかった……」

マヤは、一気に告白すると俯いた。速水の顔を見るのが怖かった。

(笑われる!ううん、『紫のバラの人』は笑わない。
 でも、速水さんはきっと困った顔をしてる)

マヤの目から涙があふれて来た。
速水がそっと囁く。

「……マヤ、俺も……君を愛している」

マヤは驚いて速水を見上げた。

「……、今、なんて?」

速水は、マヤの瞳をしっかりと見つめて言った。

「君を、好きなんだ」

「うそ! そんなの、そんなの信じられない!
 紫織さんは?
 あんなに綺麗で、お似合いで!
 婚約してるのに!」

マヤは、はっと思った。

「また、からかってるんですか?」

マヤは逃げ出したかった。だが、足が動かない。
速水の瞳が、真摯な瞳が本気だと告げている。

「からかって等いない。
 俺は、何年も君を愛して来た。
 君が大人になったら『紫のバラの人だ』と名乗りを上げて打ち明けるつもりだった。
 君にチケットを送って芝居に誘った時の事を覚えているか?
 俺はあの時、君の気持ちが、もし、少しでも俺に傾いてくれたなら待つつもりでいた。
 だが、何年待っても君の心から俺に対する憎しみは消えまいと思ったんだ。
 それで、義父の強い勧めも有って紫織さんと見合いをした。
 君の事を忘れようとした。
 紫織さんを愛そうと努力したが、駄目だった。
 紫織さんと結婚は出来ない。
 今日、それを悟ったよ。
 マヤ、君が好きだ。愛している」

「速水さん!
 嘘みたい、信じられない! ほんとに! ほんとに、あたしを?」

「ああ、君を愛している。
 誰よりも深く心から君を愛している」

「速水さん!
 こんな、こんな幸せ!
 こんなに幸せになれるなんて!」

マヤはぼろぼろと涙を流していた。

「俺もだ、人を愛し愛される。それがこんなに幸福なことだとは……」

速水はマヤを抱きしめた。




やがて、二人は船の手摺によりかかり、海を見ながら話した。
長い間の行き違いを、誤解を。

「……そうだ、卒業証書、返さないとな。
 あれを貰った時、君の気持ちの深さにすごく驚いたよ」

「あの、あの、速水さん、この間、送り返されて来たんです。
 以前送ったアルバムと……、紫のバラと一緒に……」

速水は驚愕した。そんな筈はないと思った。

「送り返された? 君の卒業証書を?
 いつだ! それは?」

「やっぱり……、速水さんじゃなかったんですね。
 あの、この間、速水さんに会いに行った日です。
 ……びりびりに破かれて送り返されてきたんです。
 『これが最後のバラです』っていうメッセージと一緒に……。
 あたし、速水さんにすごく嫌われたと思って……。
 でも、誤解されたまま終りにしたくなかった。
 それで、ちゃんと話そうと思って、本当は誤解を解きたくて会いに行ったんです」

「マヤ! すまなかった、君にそんな辛い思いをさせて!
 俺のミスだ。やった人間が誰であろうと許してやってくれ」

「速水さん、速水さんじゃないって、あたし、わかってました。
 あなたは、『紫のバラの人』はそんな事しないって!
 だから、もういいんです」

「マヤ、ありがとう」

速水は、紫織がやったと確信した。

(紫織がどうやって知ったかわからないが、俺が『紫のバラの人』だと気づいたんだ。
 そして、伊豆の別荘に行き俺の書斎からアルバムと卒業証書を持ち出しびりびりに破いてマヤに送り返したんだ。
 なんてことだ!)

速水にとって、紫織は、一度は自らプロポーズした相手である。
その人に対し婚約を解消する。出来たら穏便に済ませたいと思っていた。
だが、マヤの話を聞いて気が変わった。
徹底的に追いつめようと思った。

紫織に対する怒りに速水が思いをめぐらせていると、マヤがそっと速水の腕にふれてきた。

「速水さん、そんな怖い顔しないで!」

「うん?、ああ、そうだな、君との大切な時間をつまらない考えで潰すのはもったいないな」

そう言って、にっこりと笑った。
速水は気持ちを切り替えるように空を仰いだ。
月が西に傾き始めていた。

「マヤ、もっと、話していたいが、今日はもう遅い。
 明日話そう。部屋まで送らせてくれるか?」

「ええ、速水さん!」

速水はマヤを送った。
マヤの部屋の前まで来て少し躊躇した二人だった。
だが、どちらからともなく二人は部屋に入っていた。
そして、抱き合い口付けをかわした。
暗闇の中、窓からかすかに月の光が差し込む。

そっと唇を離した二人に緊張感が漂った。

ぐぉ〜!

隣からひびくいびき。
緊張感が一気にほぐれた。
二人は目を見交わして声を殺して笑った。
マヤの部屋、ステートルームにはシングルベッドが二つ、壁際においてある。
二人はベッドの上に座り壁に背を持たせかけた。
手をつなぎ、小さな声でそっと話し合う。
やがて、マヤは安心したのか、速水の肩に頭を預けて眠りに落ちていった。

速水はマヤが眠ると、そっと抱き上げベッドに横たえた。
マヤの隣に添い寝をすると速水も、また、眠りについた。


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朝日がアストリア号を照らし始めた。
速水が目覚めると、隣にマヤが眠っている。
速水は眠っているマヤにそっと口付けした。
それから、起き出し思いっきり伸びをした。
窓の外を見ると太陽が水平線に顔を出し始めている。
速水はマヤを揺り起こした。

「マヤ、起きてごらん! 綺麗な夜明けだ」

マヤは眠そうな目を擦りながら起き上がった。
二人は一緒に海から昇る朝日を眺めた。
だんだん明るくなって行く空。
濃い青から明るい青へ。
雲は茜色から金色へ染まっていく。
その美しい空を二羽のかもめが飛んで行く。

二人は互いの体に腕を回し、夜が明けるのをずっと眺めていた。







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