白鳥は蒼穹にはばたく   連載第7回 




 速水はマヤと朝食の約束をしてロイヤルスィートに戻っていた。
速水は二つ並んだ枕を見ても、もう何の感情も起きなかった。
速水は、ベッドカバーをはがし、あたかも夕べそこで眠ったようにした。
その時、枕の下に何かが見えた。
速水はそれを取り上げると、ぎょっとして、ゴミ箱に投げ入れた。

速水は服装を整えると部屋を出た。一旦5階のフロントによって電話を借りる。
水城に電話をかけ幾つか指示を出すとサロンダイニングに向かった。
サロンダイニングの前でマヤが待っていた。
二人は朝食を食べ、食後の散歩を楽しんだ。
船をぐるりと取り巻く8階のデッキを歩く。
船が進むに連れ、石廊崎の奇岩、富士山と美しい景色が続く。
速水とマヤはそんな景観を楽しみながら、いろいろな話をした。
話しても話しても話題はつきなかった。
歩き疲れた二人はプロムナードに設けられた椅子に座って休んだ。
速水はそろそろ今後どうするか話し合っておかなければならないと感じた。

「マヤ、俺を信じてくれるか?」

「え、何故そんなことを聞くんですか?
 もちろん、信じてます」

「何があっても俺を信じきると約束してくれ」

「あの、速水さん、でも、どうして……?」

「紫織さんには俺の方からプロポーズした。
 それなのに俺から破談にしなければならない。
 紫織さんから断ってくれるのが一番いいが、今の状況ではむづかしいだろう。
 必ず、迎えに行く。
 それまで、俺を信じて待っていてくれるか?」

「速水さん、あたし、速水さんを信じる。
 もう、迷ったりしない。
 だって、夕べ、あたしわかったの。
 速水さんが、あたしの魂のかたわれだって!
 速水さんを信じないのはあたし自身を信じないのと一緒だから」

「マヤ!」

速水は嬉しかった。幸福感が心を満たした。

二人は連絡方法を話し合った。
速水は、マヤに試演までは二人で会うのはやめようと言った。
紫織がマヤにどんな妨害をしてくるかわからない。
とにかく、試演が終わるまではマヤの稽古に支障が出ないようにしなければならない。

「マヤ、試演が終わるまでは、俺は君に対していつもの冷血仕事虫に戻るからな」

「ふふっ、それって楽しいかも」

「ああ、そうだな、二人だけの秘密だ」

二人は目を見合わせてにこっと笑った。

「あたし、あの、あたし……、速水さんにもう『大っきらい』って言えない」

「君は舞台を降りると途端に大根になるからな。
 そうだな、言葉を決めておこう。
 『大っきらい』っていうのは『愛してる』っていう意味にしよう。
 そうすれば、言いやすいだろう」

「速水さん、すごい、それ、すごくいい!
 これで人前でいくらでも速水さんの悪口が言える。
 『げじげじ』は『愛しい人』。
 『いやみ虫』は、えっと、『魂の片割れ』」

「ははは、俺は君から悪口を言われるのが楽しみになりそうだな。
 それと紫織さんなんだが、もう、決して紫織さんや鷹宮の人間と会うな。
 もし、どうしても会わないといけないんだったら、君にボディガードをつけるから、必ずボディガードと一緒に会ってくれ」

「はい、速水さん、あのボディガードってどんな人なんですか?」

「今、水城君に人選を頼んでいる。
 ……そうだな、黒沼さんに話しておこう。
 この間、俺が暴漢に襲われただろう。
 あの時、たまたま現場にいた君が巻き込まれた。
 君にとばっちりが行くかもしれない、それでボディガードをつける事にしたと黒沼さんに言っておくから。
 大都芸能の前に君がいた理由は、上演権を理由にすればいいだろう。
 上演権を勝ち取っても大都では演じないって言いに言ったって事にすればいい。
 そうすれば、君のいつもの行動パターンだ」

「速水さん、あのね、もし、『紅天女』の主演女優になれたら、大都で演じなければならないのかな。
 あたし、あたし、月影先生のお気持ちを考えると、どうしても大都で演じるのは……」

「マヤ、その件も俺にまかせてくれないか?
 俺に考えがあるんだ」

「どんな?」

「悪いが君には話せない。君はすぐ顔に出るからな」

「もう、あたしだって、あたしだって、顔に出さないようにするぐらい出来ます!」

マヤは口をとがらせて速水に反論した。

「くっくっくっ、いや、悪かった。そうだな、君の気持ちに長い間気がつかなかった。
 その実績を思うと話してもいいが……。
 やはり、やめておこう。
 騙す時は味方からと言うしな」

「ああ、もう、やっぱり速水さんだ。
 魂のかたわれってわかってても、速水さんは速水さんなんだ。
 いいですよ、信じてますから。
 この後、速水さんからどんなひどい状況に追い込まれても、きっとあたしの為だって思いますから」

「……俺との件は、君の演技に役立つかもな。
 一真と阿古夜は愛し合っている。
 互いに相手が魂のかたわれだと知っている。
 一真が千年の梅の樹を伐りに来る。
 そうだな、例えば、俺が君から上演権を取り上げようとする。
 どうだ、その時、どんな気持ちがする」

マヤは速水の問いに考え込んだ。

「悲しい!
 好きな人から一番大切な物を取り上げられる。
 あたしを好きなら、あたしの大切な物を一緒に大事にしてほしい。
 いつもあたしの味方をしてほしいって思う」

「そういう事だ。それを、阿古夜の演技に反映させてみろ。
 どうだ、君なら出来るだろう」

「ええ、速水さん、『紫のバラの人』!
 ふふ、今は冷徹仕事虫の速水さんじゃなくて『紫のバラの人』なんだ」

「ははは、そんなつもりはなかったが、そうかもしれんな」

速水はマヤの頭に手をやると、ぐしゃぐしゃと撫でた。

「もう、速水さん、あたしは子供じゃありませんって」

「くっくっく、わかってるさ、だけど、ついな」

速水は、ふと、時計を見た。
下船まで、後3時間ほどだ。

「……船を降りたら、現実が待っている。
 俺に取っては修羅場が始まる」

マヤは紫織の事を考えた。

(紫織さん、あたしのような女の子に婚約者を奪われたってわかったら、どんなに傷つくだろう。
 失恋の身を切られるような辛さ。きっと、あたしを殺したいって思うだろうなあ。
 紫織さん、ごめんなさい。でも、速水さんは、速水さん譲れない)

  「紫織さん、速水さんの事、すごく好きなんですよ。
 この船に速水さんを誘ったのだって愛してほしかったからなんですよ」

「ああ、わかってる。それでも俺は彼女を愛せないんだ。
 はっきりと断らないと行けないんだろうが、断ってもあきらめてくれるかどうか……。
 それに紫織さんだけじゃない、義父ともやりあわなければならん」

「速水会長ですか?」

「ああ、だが、必ず解決して見せる」

速水は久々に闘気が体にみなぎるのを感じた。

「そういえば、マヤ、君がパフェおじさんと呼んでいる人物だが、うちの義父じゃないかと思うんだ」

「え? どうしてです」

「うちの義父も足が悪い」

「え〜、そうなんですか?」

「ああ、車椅子に乗っていつも黒めがねのボディガードに守られている。
 もし、今度会う機会があったら、写真を取って聖にみせてやってくれ。」

「はい、速水さん。でも、ちっとも悪い人には見えなかったですよ」

「うちの義父はたぬきだ。いくらでも好々爺を演じられるさ。
 何の目的で君に近づいたのか、それが知りたい」

「今、携帯持ってないんですけど、パフェおじさんとメルアドの交換したんです。
 メルアドで速水会長かどうかわかるんじゃないかと思うんですけど……」

「君は知らない人とメルアドの交換をするのか?
 だめだぞ、そんな事をしたら!
 どんな危険に巻き込まれるかわからないじゃないか?」

「大丈夫ですよ、そんな悪い人に見えなかったし……」

速水は頭が痛くなった。
どうしてこの子はこんなに無防備なんだと速水は思ったが、今更心配しても仕方のない事だった。
速水はマヤの天性の気性が義父英介の心を溶かすかもしれないと淡い期待を抱く事にした。

やがて、ランチの時間になった。
二人はアストリア号での最後の食事を楽しんだ。
そうしている内にも船はどんどん港に近づいていた。







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