白鳥は蒼穹にはばたく 連載第8回
港に着く直前から速水は船のスタッフに借りた双眼鏡で埠頭に待つ人々を見ていた。
水城から入った連絡によると、やはり紫織がお付きの滝川を伴って来ているらしい。
そこで、速水はマヤに簡単な変装をさせた。
マヤの髪をまとめキャップ帽をかぶらせサングラスをさせる。
船で買った大きめのTシャツとGパンを着せた。
速水はマヤに少年の役を演じさせ、紫織や滝川の目を欺こうと思った。
船が港に着く。
客達が一斉に下船し始めた。
速水はまず、マヤを先に下ろす事にした。
家族連れがいたので、マヤにその後から家族のようなふりをして付いて行くように言った。
別れ際、二人は目と目を見交わした。夢の時間が終りを告げる。
「行け!」
速水の声にマヤは一つうなずくとゆっくりと歩き出した。
紫織や滝川は速水を探しているらしくマヤには気づかない様子だ。
マヤが無事に紫織達の前を通り過ぎるのを待って速水はゆっくりと降りて行った。
速水は、ロイヤルスィートに用意してあったタキシードや何もかもを、一緒に置かれていたスーツケースに放り込み持って来ていた。
紫織の世話係、滝川に乱暴にスーツケースを渡す。
速水は、紫織に
「今日は、迎えはいいと言いませんでしたか?」
「ま、真澄様、どうか、お怒りにならないで!」
「これから社に寄って、今夜、鷹宮翁に会いに参ります。
今回の件、きちんとしておかなければなりませんから!
申し訳ないが、紫織さん、僕は社用車が来ていますのでそちらに乗って行きます」
真澄は、紫織に背を向けると足早に社用車に向かった。
秘書の一人が、鞄を持って待っている。
車に乗ると秘書が早速、モバイルパソコンを速水に渡した。
速水はパソコンを立ち上げ、案件を確認しながら、急ぎの件は携帯で、それ以外はメールで指示を出した。
社に到着する頃には、指示はあらかた終わっていた。
後は、紫織によって妨害された今朝の社内会議を午後に延期したのでそれに出席する。
会議が終わると、夜7時にセッティングされた鷹宮翁との面会場所に向かった。
面会は赤坂の料亭で行われた。
凝った数寄屋造りの和室で、速水は鷹宮翁が来るのを待っていた。
やがて、鷹宮翁が到着、部屋に案内されて来た。
からりと障子が開けられる。見事な大島紬を着こなした翁が入ってきた。
「やあ、真澄君、うちの紫織が夕べは世話になりそこなったそうだな」
そう言って翁は豪快に笑った。
速水は、そんな鷹宮翁に対し平伏して答えた。
「この度は、女性である紫織さんに無謀な計画を立てさせ大変申し訳ありませんでした。
幸い紫織さんが乗船出来ませんでしたので間違いは起こりませんでした。
しかし、翁のお心を考えますと紫織さんにこんな事をさせて申し訳なく、ただただ、頭を下げるばかりでございます。
大変、申し訳ございませんでした」
「いや、いいんだ真澄君、紫織の勇み足だったんだ。
もちろん、君が紫織を大切にしてくれて結婚まで紫織に、そのなんだ、手を出さないでいてくれると信じておるよ。
だが、女の紫織があそこまでやったんだ。
もし、紫織が乗船出来ていたらもちろん抱いてやってくれたんだろうね?」
「はい、もし、そういう事態になればもちろん、女性である紫織さんに恥をかかせるような真似は致しません。
ですが、僕としては、紫織さんはもっと慎みのある方だと思っておりました」
「君は、紫織に不足があるというのかね!」
「いいえ、そうではありませんが、ただ、あまりに慣れた様子で、今までにもこういう事があったのでは」
真澄の言葉は鷹宮翁の激烈な言葉によって断ち切られた。
「き、君は、うちの孫娘を侮辱する気か!」
「いえ、そうではありません。病弱ではありますが、優しく気高く聡明で僕にはもったいない女性だと思っています。
恐らく、お付きの方が唆されたのではと思います。
あの滝川という女性。まるで、遊郭のやり手ばばあのようで……」
「ふむ、滝川か、まあ、君の言う通り滝川あたりの入れ知恵じゃろう。
鷹宮の為に何十年も仕えてくれておるが、確かに今回の件はやり過ぎじゃったな。
何故か紫織がひどくあせっておってな、君が仕事ばかりして構ってくれんというのじゃよ。
実際、どうなんじゃ、この頃の若いもんの事はわからんが……」
「現在、『アテネシティ・プロジェクト』が進行しておりまして、それと平行して通常業務もこなさなければなりません。
しかも、もうすぐ『紅天女』の試演がございます。
なにやかやと忙しく、紫織さんをなおざりにしたつもりはなかったのですが……、
紫織さんに淋しい思いをさせ、大変申し訳ありませんでした」
「結婚するのは決まっているのに紫織も何をあせっているのか……。
さ、それより今日は男同士、一緒に飲もうじゃないか?」
「はい、ご相伴させていただきます」
速水は頭を上げると、パンパンと手を打った。
酒宴が始まった。
数人の芸者が呼ばれ場を盛り上げる。
鷹宮翁は上機嫌で真澄と酒を酌み交わした。
その夜、鷹宮翁の接待を終え、帰宅した真澄を英介が待っていた。
「真澄、昨日は紫織さんとクルーズに行く筈だったのか?」
「いいえ、紫織さんが勝手にセッティングしたんです。
おかげで、仕事に多少の遅れが出ました。
今度の休日で挽回できると思いますが……」
「しかし、あの令嬢がのう。
儂らの若い自分は女子(おなご)の方から誘う何ぞ、もってのほかじゃったがのう。
で、鷹宮翁は?」
「はい、上機嫌でいらっしゃいました」
「まあ、おまえに体を差し出してもいいと思う程、紫織さんはおまえに惚れとるんだろう。
可愛がってやれ」
「しかし、僕としては、紫織さんはもっと慎みのある人だと思っていました。
あまりこういう不意打ちをされるのは好きではありませんね」
「不満か? 鷹宮の係累なんだ。多少の不満は我慢しろ」
「……ただ、その、あまりに慣れた感じで、すでに男と寝た経験があるんじゃないかと……」
「ほう、それがおまえの不満か!
紫織さんは確か25、6だったな。
それなら、以前にボーイフレンドの一人や二人、いてもおかしくないだろう」
「おかしくはありませんが、最初の印象がそんな尻軽な感じではなかったので……。
結婚して何十年も一緒に暮らすんですよ。
紫織さんの最初の男が気になっては、穏やかな結婚生活が送れるかどうか……」
「おまえの不満はわかった。だが、それでも紫織さんは鷹宮の係累なんだ。
多少、尻軽でも目をつぶってやれ」
「ただの尻軽で、前の男と切れているならいいんですが……」
「ふむ、鷹宮の令嬢だと思って身上調査をしなかったが、おまえが不安に思うなら紫織さんの過去をもう一度洗いなおしたらいいだろう。何も出て来んとは思うが……」
「そうですね、そうします。僕も不安材料を抱えたまま結婚はしたくないので」
真澄は英介に就寝の挨拶をすると、自身の部屋へ引き上げた。
引き上げながら、真澄は、これで紫織をあからさまに調査する口実が出来たと思った。
続く
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