令嬢 鷹宮紫織   連載第10回 




 実家に1ヶ月程滞在した紫織は、速水邸に戻った。
紫織の元に蛇が訪れる事はなくなっていた。
相変わらず疲れやすい体だったが、紫織は寝込む事がなくなった。
季節は、夏が過ぎ、秋を迎えようとしていた。


北島マヤ主演舞台「炎 - - - 源氏物語より六条御息所」公演初日。
紫織は、またマヤの芝居を見に行けるようになっていた。
真澄と共に見たマヤの芝居は素晴らしかった。
紫織はマヤの心の中を推測した。

(マヤさん、きっとあなたは『紫のバラの人』が速水だと知っている。
 そして、嫉妬の炎を演技に昇華したのね。
 六条御息所が祟る演技、素晴らしかったわ。
 椿姫のマルグリット。あの切なさはあなたの恋心から。
 マヤさん、あなた、速水を愛しているのね)
 
紫織は、為すべき事がわかっていた。紫織はその時が来るのを待っていた。


9月末に行われた大都ホールディングスの取締役会は、戦々恐々とした物になった。
真澄は、鷹宮の名前を利用して集めた資金で大都ホールディングスの増資を行った。
名目は、大都不動産、大都興産、大都芸能の連携プレイによる新プロジェクト実行の為と言うものだった。
新プロジェクトの内容は全国主要都市のベッドタウンに複数のスクリーンを持つシネマコンプレックスと呼ばれる施設を流通系の施設、スーパー等と共にチェーン展開するという計画だった。計画は承認された。
表向きは新規プロジェクトの実行の為の増資だったが、その実態は会長英介の株の持ち分を減らし、幾つかの会社を通して集めた株によって真澄の持ち分を51%以上にする物だった。
さらに真澄は、会長派の数人の取締役達を解任、自身の派閥から取締役を指名、人事を刷新した。
そのやり方は強行で独断、それでいて総ての人間を納得させるものだった。
こうして真澄は大都の実権を握った。英介の築き上げた総ては、今、真澄の手の中にある。
真澄は勝利に酔った。
ただ、義父英介のくやしがる顔を見られなかったのが残念だった。

その頃、英介は、真澄を信じ総てまかせて自身は梅の谷で死んで行った千草を思って過ごしていた。
そこへ部下から取締役会の報告を受け唖然とした。
真澄にしてやられた事を知った英介は、一言「やられた」と絞り出すようにつぶやいた。


真澄は、取締役会が終わるとその足で母の墓前に向かい、英介から総て奪った事を報告した。

「母さん、あなたが喜んでくれるかどうかわからないが、でも、敵はうちましたよ。
 20年近くかかりましたけどね。」

真澄は静かに話しかけた。


紫織は真澄が取締役会で行った事を鷹宮の父から電話で聞いた。

「やってくれたね。真澄君は。いずれ大都の実権を握るだろうと思っていたが、こんなに早いとはね。
 これもうちの名前のおかげだからね。
 紫織、その辺の事をしっかり真澄君に言っておくんだよ。
 鷹宮の名前のおかげで銀行からの融資がスムーズに行われたのだから」

「ええ、お父様、わかりましたわ。
 でも、真澄様の実力があったから銀行も融資をしたのですわ。
 鷹宮の名前だけでは無理ですわ。」

「ふむ、すっかり速水の家の嫁になったみたいだな、紫織は。
 父さんは紫織が幸せならいいんだよ」

「お父様……」

紫織は父親にいい嫁になったと褒められて嬉しかった。

「うちも、うかうかしてられんな。
 紫織が真澄君の嫁だから、大丈夫だとは思うが……」

「どういう事ですの?」

「真澄君はまだ、若い。
 事業欲も旺盛だ。大都の内部をまとめたら次は事業の拡張に向かうだろう。
 今回、真澄君が大都を掌握する為に取った方法でうちを買収しようと思えば出来るんだよ。
 出来たらうちのライバル会社を潰してくれると助かるんだが……」

「まあ、ほほほ、お父様、そういう話は直接、主人におっしゃって下さいな。
 私に言われてもわかりませんわ」

と笑いながら言うと、紫織は電話を切った。
その日、自宅に帰ってきた真澄は、開口一番、紫織に向かって

「紫織さん、今日は御礼を言いますよ。
 あなたのご実家の名前のおかげで何もかもうまく行きましたよ。
 何かほしい物はありませんか?
 買ってあげましょう」

と機嫌よく話しかけた。
紫織は真澄の機嫌の良さにつられて笑いながら、

「まあ、ほほほ、あなた、気前のいい事。ほしい物はありませんの。
 でも、一つお願いが」

「いいですよ。言ってご覧なさい」

「踊って下さらない、あなた。以前はよく、踊って下さったでしょう。
 結婚してからは、ぜんぜんですわ」

「ははは、いいですよ、そんな事ならお安い御用だ。」

真澄は、朝倉にダンス音楽をかけるように命じると紫織の手を取って踊り出した。
真澄に抱かれて踊りながら紫織は心の中でつぶやいていた。

(これが、恐らくラストダンス。
 あなた、あなたにはもう鷹宮の名前は必要ないでしょう。
 ええ、わかってましたわ。
 あなたがお義父様への復讐の為に私と結婚した事は。
 あなた、それでも、私、あなたを愛していますのよ)

時がやがて満ちるのを予感した紫織だった。

速水の家では、真澄が英介に勝利した事を使用人達も知る所となった。
朝倉は、真澄に

「そこまでしなくとも、いづれ真澄様の物になったでしょうに」

と言ったが真澄は聞く耳を持たなかった。
義父英介から実力でもぎ取る。
そこに意味があるのだと思った。
その為には何もかも利用した。結婚すら復讐の道具だった。
真澄は勝利に酔った。
そして、思った。

(さて、これからどうしよう!
 まあ、いい、じっくり考えるさ。
 やっと、俺は俺の人生を取り戻したのだから)

数日後、そんな勝利に酔う真澄の元に聖から連絡が入った。
真澄は聖との待ち合わせ場所で、聖から数枚の写真を受け取った。
そこには、マヤとマヤの初恋の人、里美茂が写っていた。
二人が親しげにカフェで話している。

「いかが致しましょう。写真週刊誌の記者が取った写真ですが今なら記事を止められます」

「これくらいならどうと言うことはない。むしろ、宣伝になるだろう。
 ほおっておけ。彼らはもう高校生ではないからな。」

「わかりました」

里美とマヤが親しげに写っている写真は、1週間ほどしてある写真週刊誌に掲載された。
それを見た紫織ははっとした。そして、急がなければと思った。

真澄は、マヤと里美の写真を見せられた時、自身の恋心の深さを知った。
何度もあきらめようと、忘れようと必死に押し殺したマヤへの熱い想い。
だが、マヤに対して行った行為を真澄は激しく後悔していた。
マヤの母親を死に追いやった事。
上演権を姑息な手段で月影千草から取り上げた事。
そして何より、彼女を抱いた事。
たとえ彼女が演技の為と言ってきても、キス一つで誤摩化せば良かったものを。
抱いてしまった。己の欲で抱いた事を真澄は恥じた。
結婚した事もあって真澄はマヤと会うのを避けていた。
マヤが大都芸能と契約する時も総て秘書の水城にまかせた。
だが、マヤに紫のバラを送るのだけはやめなかった。
やめられなかった。
マヤの舞台を見た熱い感動をどうしてもマヤに伝えたかった。

真澄は仕事は以前と同じようにやっていたが、夜、時間があくとクラブへ行って女性を口説くようになった。
あの夜のマヤの幻影を探し求めて真澄は女を口説いた。
マヤが里美と付き合うなんて真澄には耐えられなかった。
真澄は自暴自棄になっていた。
そんな時、芸能週刊誌が、モデルのララと真澄の関係をスキャンダラスに報じた。
紫織は、その週刊誌を見て機が熟したのを知った。
そして季節外れの嵐の夜。
紫織は真澄に向かって芸能週刊誌をつきつけ真澄を追求、自分が知っている事を総て話した。
そして、離婚を宣言した。

その夜、紫織は人知れず泣いた。
紫織は離婚などしたくなかった。

(真澄様にはもう、私は必要ない。
 それに早くしなければマヤさんが他の男の人の物になってしまう。
 今なら、まだ、間に合う。
 ……あなた、どうか、勇気を出してマヤさんと向き合って下さい。
 きっと、あなたの想いは通じますわ。
 ああ、あなた、私がどれほどあなたを愛しているか、
 きっと知らずに過ごされるのでしょうね。
 それでもいい。
 あなたが、あなたが、幸せになるのなら。)

紫織は例え真澄に愛されていなくても、真澄と家族でいたかった。
そうすれば、家族の情でつながっていられる。
だが、真澄がマヤを死ぬ程愛していると知っている以上、
真澄が打ち明けさえすれば、マヤと相思相愛になれるのがわかっている以上、
真澄の幸福を思って離婚するのが、紫織のとるべき道だった。
蛇との苦しい戦いから見つけた答えだった。
辛い事もあったが、真澄と一つ屋根の下で暮らした2年間、紫織は幸せだった。

翌日、紫織は実家に戻り、やがて二人は正式に離婚した。

真澄と離婚して鷹宮姓に戻った紫織は、速水真澄と北島マヤの結婚が執り行われる日、パリにいた。
パリの有名な教会で一人、二人が幸せになるよう祈っていた。

それから、1年の月日が流れた。



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