令嬢 鷹宮紫織   連載第9回 




 紫織の心に住みついた蛇は紫織の夢に度々出て来るようになった。
蛇の夢を見た後は、紫織は必ず寝込んだ。
真澄は心配して、どこか悪いのではないかと思い医者に見せたが、疲れやすいというだけでどこが悪いと言う事はなかった。
真澄は紫織に話したようにしばらく実家に帰す事にした。
実家で休養すれば、また、元気になるだろうと思った。

紫織は実家に帰ると、やはり、ほっとした。
だが、実家に帰っても蛇は紫織の夢の中に頻繁に訪れた。
緑のうろこをきらめかせ、赤い目をした蛇は、二つに割れたピンクの舌をちょろちょろと出しながら紫織に話しかけた。

(なあ、北島とかいう女優をいじめてやれよう)

(マヤさんは関係ない)

(どうして? だんなを惑わしているんだぜ、なあ、いじめようよ)

(嫌、そんな事したくない!)

(そうかあ、でも、考えてるだろ、マヤがいなくなればいいって!)

(そんなこと、考えてない!)

(無理するなよ、普通なんだよ、嫉妬するのって!)

(嫌!)

(なあ、いじめようよ、いじめて追い出そうぜ、どっか旦那の目の届かない所へ追っ払おうぜ)

(でも、真澄様の心の中からは追い出せない。そんな事したって無駄なの)

(ふーん、追い出す方法、教えてやったっていいんだぜ。)

(嫌、聞きたくない。それに、そんな方法あるわけない。出て行って!)

紫織はそんな夢を、何度も見た。
実家で紫織が休んでいると、父親が紫織にさりげなく聞いて来た。

「紫織、どうだ? 体の具合は?」

「ええ、家に帰ってだいぶ、良くなりました」

父親は紫織の返事に良くなっているとは思えなかったが、そのまま、話を続けた。

「そうか、ゆっくりして行きなさい。
 ……紫織、真澄君から何か聞いているかい? 新しい事業の話を?」

「いいえ、私が聞いてもわかりませんもの」

「……そうか」

「何か?」

「ああ、真澄君が資金を集めているようだったからね。
 何か新しい事業でも始めるのかと思ってね」

「いいえ、何も聞いていませんわ」

「そうか、それならいいんだ」

そう言って、部屋からで出て行く父親の後ろ姿を見ながら、紫織は真澄が資金を集めるのに鷹宮の名前が役に立ったかしらと思った。

その夜、またしても出て来た蛇が紫織に言った。

(なあ、もしかして、真澄の役に立てて良かったとか思ってるか?)

(ええ、思ってるわ)

(ふーん、集めた金、何に使うんだろうな、え、女に貢んじゃないのか?)

(違う、あの人はそんな人じゃないわ)

(おまえは利用されるだけだな)

(そうよ、そんなのわかってたわ、わかってるのよ、そんな事、どっかに行って!)

紫織は、深夜汗びっしょりになって目覚めた。

次の夜も蛇はやってきた。口に紫のバラをくわえている。
紫織に近づくと、紫織の足下に紫のバラを落とした。

(ほら、拾えよ、ほしかったんだろう。)

(そんなものいらない)

(ほら!)

蛇は落としたバラを拾いあげ紫織に押し付ける。
紫織がそのバラを受け取るとバラは、美しく輝く一振りの宝剣となった。
ずしりと重い。
宝剣は金色に輝き鞘には紫のバラが象眼されている。柄には蛇が刻まれていた。
蛇の目には赤いルビーがはめられている。
紫織が美しい宝剣を見ていると蛇が言った。

(ほら、そこを見ろ! あそこにおまえが憎いと思っている女がいる)

蛇が指し示した方に振り返ると、マヤがソファに座っているのが見えた。
真っ暗な中にマヤの姿だけが浮き上がって見える。
そこに真澄が現れた。マヤの隣に座る。抱き合う二人。

(いや、やめて!)

(ほら、その剣を使えよ! 二人を殺すんだよ!)

マヤと真澄が口付けをしているのが見えた。
紫織は宝剣を、すらりと鞘から抜き放つ。
抜き身の剣を持って二人にゆっくりと近づいた。
蛇がするするとついて来る。
紫織は真澄とマヤが抱き合っているのを見下ろした。
二人は紫織に気づかず、口付けを交わしている。
紫織の剣を持つ手がぶるぶると震える。
蛇が囁く。

(ほら、その剣で殺せよ、二人共、殺せ!)


そこで、紫織は目が覚めた。

「はあ、はあ、はあ……」

紫織は肩で息をしていた。

(苦しい!)

テーブルにおいてあるバカラのガラス瓶から水をコップに注ぐと一口飲んだ。
そして、祈った。

(助けて、誰か助けて、ああ、神様、私に強さを下さい。
 心の蛇に負けない強さを下さい。
 マヤさんを憎みそうになる私を救って下さい。
 真澄様を恨みそうになる私を助けてください。
 どうか、愛し続ける強さを与えて下さい)

紫織は特に信じている神がいるわけではなかった。
どちらかと言うと無神論者だ。
ただ、高校がミッションスクールだったので、キリストの教義は知っていた。
部屋には小さなキリスト像も置いてあった。
月がキリストを照らす。
紫織は思わず、キリスト像にすがった。


次の日も、次の日も蛇は現れた。
紫織は何度も同じ夢を見た。
真澄とマヤが目と目を見交わし幸福そうに微笑み合う。
その二人に抜き身の剣を下げて相対する自分。
殺せとそそのかす蛇。
日を追うごとに剣を振り上げて行く自分がいる。
明日には、きっと二人に振り下ろすだろう。
紫織はいつも同じ所で目覚め、キリスト像に祈った。


紫織の家族は、紫織がひどく弱っているのを心配して、やはり、医者に見せたがどこも悪くはなかった。
医者は、精神的な物ではないかと紫織の家族に助言した。
紫織の父親は、真澄に会えないでいるのが淋しいのではないかと思い、真澄に連絡を取った。
翌日、真澄が紫織の元に見舞いにやって来た。

「紫織さん、どうです。体調は?」

真澄は紫織に会って驚いた。
随分、顔色が悪い。

「あなた、来て下さったの? 嬉しい!」

紫織は真澄に手を差し伸べた。
真澄はその手を取る。
紫織の家族は気を使って二人だけにしてくれた。
真澄は、紫織の父親から紫織に何か悩みがあるようなので話を聞いてやってくれと言われていた。

「紫織さん、何か、悩んでいる事でも?」

紫織は困った。
本当の事を言えるわけがない。
でも、蛇の話はしたかった。

「夢の中に蛇が出て来るんです。
 そして、私がやりたくない事をやらせようとするんです。」

真澄は、夢の中の事を言われてもと思ったが、自分もまた、やりたくない事をさせられて来た。
何事であれ自分の意志に反してさせられるのは嫌なものだ。

「では、今度、蛇が出て来たら、蛇に立ち向かってご覧なさい。」

「え? 立ち向かうってどうやって?」

「夢の中ならなんとでもなるでしょう。
 手近に石があればそれで叩き潰せばいい。」

「石? 石ですか?」

「夢の中なんですから、石があると思えば出て来るでしょう。
 蛇なんて所詮、獣です。
 人間にはかないませんよ。
 本当に恐ろしいのは人間です。」

その答えを聞いて紫織は思わず笑い出していた。

「ほほほ、あなたに相談して、良かったですわ。
 どんな事でも解決してしまわれるのですね、あなた」

真澄は、紫織が笑顔になったのを見てほっとした。
先ほどより少し顔色も良くなったような気がした。

「あなた、抱いて下さらない?」

「いいですよ、奥さん」

真澄は紫織を抱き起こすと膝の上に乗せて抱きしめた。
真澄は軽いと思った。

「紫織さん、ちゃんと食べていますか?
 食べないといけませんよ。」

紫織は真澄の首に回していた腕を緩めると真澄を見上げて

「ええ、あなた、これからはちゃんと食べるようにしますわ」

と言い、それから、初めて真澄の頬に口付けをした。

「ありがとう、あなた、もう大丈夫ですわ」

そう言って紫織は、寝床に戻った。
紫織の家族は、紫織の部屋から響いてくる笑い声にほっとした。
やはり、真澄に会えないでいるのが淋しかったのだろうと皆、思った。
真澄はしばらく紫織と話をしてから鷹宮邸を辞した。


その夜、眠りについた紫織の元へまたしても蛇がやってきた。
そして、いつもと同じように蛇は、真澄とマヤが抱き合い口付けを交わす姿を見せる。
紫織がなかなか剣を振り下ろさないでいると、蛇は怒り出しとうとう真澄とマヤのベッドシーンを見せた。

(見ろ、これが二人の姿だ。二人はおまえを裏切っているんだ。ほら、殺せ!)

紫織は、いつもと同じように、抜き身の剣を下げたまま二人を見下ろす。
裸で絡みあう二人を見ると紫織の心にどす黒い感情が沸き起こった。

(さあ、殺せ! その剣を振り下ろせ!)

紫織は、ゆっくりと両手で剣を高く振り上げた。
目の前が怒りで真っ赤に染まる。

ひゅっ

剣を振り下ろす。

どすっ

蛇の鎌首が足下に転がる。胴体は断末魔にのたうった。
紫織は傍らの蛇に向かって剣を振り下ろしていた。
蛇の血で紫織は血まみれだ。
紫織は満足だった。

(勝った! 蛇に勝った!)

勝利の余韻で目が覚めた。

その夜から紫織はよく眠れるようになった。
食欲も出て来た。

(真澄様の言ったとおりだったわ、蛇に立ち向えるなんて!)

そして幾日かが過ぎた、或る夜。
またしても夢に蛇が現れたが、蛇は何も言わず紫織を見つめるだけだった。
そして、蛇の姿が融けると人型に変化した。キリストの姿に。
キリストが穏やかに話しかけた。

(あなたはもう、自分が何を為すべきか知っている)

紫織は目覚めた時、心が穏やかに凪いでいるのがわかった。
為すべき事はわかっていた。後は時期を待つだけだった。



続く      web拍手    感想・メッセージを管理人に送る


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