令嬢 鷹宮紫織   連載第4回 




 新婚旅行を終え、これからの生活に一つの結論を出した二人は東京に帰って来た。
最初のうちは、鷹宮の別棟で暮らしていた真澄だったが、真澄の仕事が深夜に及ぶ日が増えるにつれ、真澄は鷹宮の家に戻らなくなって行った。真澄は、仕事が終わると実家に帰るようになった。
真澄は、表面上は体調の悪い紫織がすでに休んでいるのに、自分が帰ると起こしてしまうので申し訳ないからと言っておいた。
だが、実際は真澄は大都ホールディングスのCEOと大都芸能の社長とを兼務するようになった為、それこそ寝る間のないほど忙しかったのだ。
また、大都芸能の最高機密を中央テレビの社長のいる家に持ち帰るわけにはいかなかった。
それでも、真澄の誕生日やクリスマスには二人は新婚の夫婦らしく外で一緒に食事をした。
枕を一つにして眠る事はなかったが、傍目には仲のいい夫婦だった。
そして迎えた「紅天女」新春公演初日。
真澄は芝居が終わると紅天女上演委員会の長らしくスタッフにねぎらいの声をかけた。
紫織は真澄がマヤの楽屋を訪ねるのだろうと悲しい気持ちで見ていたが、真澄は演出家の黒沼達とは話したが、マヤを訪ねようとはせず、すぐに会社に戻った。
何故、マヤに会おうとしないのかわからなかったが、紫織はほっとした。
そして、期待をこめてそっと楽屋をのぞいてみた。
もしかしたら、マヤの元に「紫のバラ」が届けられてはいないのではないかと。
だが、そこにはやはり、紫のバラが飾られていた。
マヤ宛ではないかもしれないと思いさりげなくスタッフに聞いたが、やはりマヤに贈られたものだった。
いつもの「紫のバラの人」から。
紫織は、ため息をつきながら楽屋を後にした。

鷹宮の家では、紫織の元気が無いのは、いつもの体調が悪いせいだと思っていた。
だが、暗い表情でため息をつく紫織を見て父親は娘の気持ちを推測した。
夫である真澄と同じ屋根の下で暮らせないのが原因だろうと。
父親は、嫁に出した以上、どういう理由であれ、実家に紫織がいるのは良くないと思った。
父親は娘を速水の家に引っ越させる事にした。
鷹宮翁は孫娘の姿が見えなくなるのを悲しんだが孫娘の為と思いやむなく賛成した。
真澄は鷹宮の意向を受けて紫織の部屋の準備をした。
真澄は紫織が台風を怖がっていたのを思い出し、窓を防音にするようインテリアデザイナーに指示した。

紫織は桜の咲く季節に速水邸に入った。
紫織は、窓を防音にした話を真澄から聞き、真澄の行き届いた心使いに気分が明るくなった。
その心使いにまたもや期待してマヤの主演映画「古都」の製作発表会を見に行ったが、そこにはやはり、紫のバラが送られていた。花束につけられていたメッセージを読むマヤの表情に、紫織は初めて嫉妬の感情を覚えた。
心の中で嫉妬という卵が割れ一匹の蛇が這い出して来たように思った。
が、紫織は首を振ってその思いを打ち消した。
紫織は思った。

(マヤさんに嫉妬してどうするの? 彼女は「紫のバラの人」が速水だとは知らないのに……)

紫織はため息をついて速水邸に戻った。



紫織は速水邸で暮らす内に自分の居場所を少しづつ確保して行った。
朝食の席で、英介と真澄にコーヒーをつぐのが紫織の仕事になった。
紫織が真澄を「真澄様」と呼んでいたのが、いつのまにか「あなた」に変わった。
やがて紫織は執事の朝倉と共に速水家の家政を取り仕切るようになった。
体調の悪いのは相変わらずだったが、それでも、鷹宮の家でいつ帰ってくるかわからない夫を待つよりは幸せだった。
そして、紫織の胸元には真澄が送った金色に輝く真珠のペンダントがいつも輝いていた。
速水邸で居場所を確保した紫織だったが、紫織のまわりは男ばかりだった。
紫織の抱えている悩みを相談出来る女性はいなかった。
本来は夫である真澄に自身の悩みを打ち明け夫に精神的支えとなって貰うべきだったが、紫織の悩みの原因が真澄にある以上、それも出来なかった。
紫織は相変わらず孤独だった。
もし、紫織に子供を持つ事が出来たら、彼女の孤独は癒されただろう。
さっさと夫に見切りをつけ、子供を溺愛する普通の妻となって行っただろう。
だが、紫織にはそれすら許されなかった。

英介は紫織と真澄の間に交渉がなくいわゆる「白い結婚」である事に早くから気がついていたが紫織の体調を考えるとそれも仕方のない事だと思っていた。
そして二人の関係を見て見ぬ振りをして過した。
英介は、跡継ぎはまた養子を貰えばいいと、血のつながりより真澄のような優秀な子供を育てた方がリスクが少ないと考えていた。
その考えが人を人とも思わぬ冷たい考えだとは夢にも思わなかった。
英介の関心は死んでしまった月影千草にあり、かつて旺盛であった事業欲でさえ減退していた。
英介は千草を思って四六時中梅の谷へ出掛けた。
とうとう梅の谷に別荘を買うとそちらに引き蘢った。

そんな或る日、おせっかいな人種が紫織に真澄が女性と親しげにしていたと、さも親切そうに注進してきた。
紫織は、

「まあ、ご親切に教えていただいてありがとうございます。
 私の夫は芸能社の社長ですのよ。
 駆け出しの女優が体を武器に売り込みに来るのはよくある事ですわ」

と毅然として応対した。
注進した人間は紫織の態度に

「まあ、さすが鷹宮の方でいらっしゃいます事、ごりっぱですわ」

と残念そうに言って帰って行った。
紫織は真澄がマヤを愛している事を知っていたので逆にその辺のつまらない女性に心を動かされるわけがないと思っていた。
また、真澄程の男がたまには女性を求めずにいられないのもそれなりに健全なことと受け止めていた。
それは、食事をするのと同じだった。
ただ、噂になって妻としての体面を傷つけられるのだけは我慢ならなかった。
その夜、帰宅した真澄に紫織はそれとなく話した。

「あなた、今日、斉藤の奥様がいらして、あなたがある女性ととても親しくしていたとおっしゃっていましたわ」

「で、あなたはそれを信じたのですか?」

「いいえ、あなたがそんな浮気をされる方だとは思っていませんもの」

紫織は明るく言った。

「でも、たとえ浮気をされてもどうかこっそりなさって下さいね。
 斉藤の奥様のような方から聞かされるのだけはごめんですわ」

真澄は妻の言葉に二人の間に交渉が無い以上、真澄が他の女性を欲望の対象とするのを暗に許してくれたのだと思った。

「紫織さん、まだ、準備は出来ませんか?」

真澄はそう言って妻の手をそっと握った。
紫織は、真澄の手を両手で握ると悲しそうな瞳で真澄を見上げながら

「ごめんなさい、あなた、どうか許して……」

「いいんですよ、僕は気長に待つとあなたに約束したのですからね」

そう言うと自室に引き上げた。

梅雨の季節になった。
舞台「ハムレット」の初日、マヤのオフィーリアを見に夫と共に劇場に行った紫織は、楽屋でマヤに贈られた紫のバラを見つけ落胆した。紫織は急に気分が悪くなったから舞台の始まる前に帰りたいと真澄に言ったが

「紫織さん、舞台を見るのは僕の仕事なのです。
 一人で帰って下さい。」

と紫織に冷たく言うと運転手に紫織をまかせ自身は舞台を見に戻って行った。
その後ろ姿を走って行く車の窓から見ながら紫織は静かに泣いた。
真澄が紫織よりもマヤの舞台を選んだ事は紫織に取って辛い出来事だった。
だが、それでも紫織は真澄を愛していた。
それは、真澄が父や祖父の真綿のような愛情の中から連れ出し確かに生きていると実感させてくれたからかもしれない。
なによりその美しい容貌に魅かれたからかもしれない。
理由はどうあれ、紫織は真澄を愛していた。
たとえ、真澄に愛されなくても……。
そして真澄の幸せを誰よりも願った。

紫織は速水邸に入った事で表には出て来なかった速水家の事情を知るのに時間はかからなかった。
速水の母、文が火事の時に受けた傷が悪化して死に至った事。
英介の親族があからさまに真澄を養子と言って卑下する事。
その原因が真澄の母が家政婦上がりだという事。
英介の月影千草への執着。
「紅天女」、つまり月影千草のコレクションを集めた部屋があった事。
今は梅の谷の別荘に持って行っているが、そこに飾られていた紅梅の打掛けに焼けこげがありそれは、文が火事の中から打掛けを運び出す時についた物である事。
真澄が子供の頃、誘拐された経験がある事。

そんなたくさんのうわさ話の断片が紫織に真澄の心の奥底を推し量らせた。

(私と結婚したのはやはりお金や鷹宮の名前が目当てだったのかしら)

紫織は、もしお金が目当てなら真澄の為に自身の財産を差し出そうと思った。
それで真澄が幸せになるなら、お金などいらなかった。



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