令嬢 鷹宮紫織   連載第6回 




 秋の気配と共に今年の芸術祭が始まった。
マヤの演目は「ロミオとジュリエット」
マヤのジュリエットは素晴らしかった。今までにないジュリエットだった。
紫織は本場イギリス、ロイヤルシェークスピア劇団の「ロミオとジュリエット」から姫川亜弓の「ジュリエット」まで幅広く見て来たが、マヤのジュリエットほど可憐で、情熱的なジュリエットを見た事はなかった。

娘のジュリエットから妻としてのジュリエットへの変身。
そして、クライマックス。
最愛の夫を失ったジュリエットの嘆き。胸に短剣を突き刺すジュリエット。
マヤのリアルな演技が観客の涙を誘った。
観客を魅了してやまなかった。

真澄と共に初日の舞台を見た紫織は、観劇中、そっと夫の顔色を伺った。
舞台に心を奪われている真澄がいた。
楽屋に行くまでもなかった。夫の様子を見れば、マヤに紫のバラが届けられているのは容易に推測出来た。
紫織はそっとため息をついた。

その夜更け、ふと目を覚ました紫織はお手洗いに行った帰り真澄の仕事部屋のドアから灯りが洩れているのに気がついた。
いつもは、仕事だろうと思って素通りする紫織だったが、何故か、ドアをたたいていた。

「あなた?」

紫織は返事がないので、ドアをそっと開けた。
テレビがつけっぱなしになっている。
ソファを見ると真澄が眠っていた。
床にグラスが落ちている。酒を飲んでいてそのまま眠ったようだ。

(ソファで眠ると風邪を引くわ)

紫織はベッドの上にあった毛布を取ると真澄にかけた。
テレビを消そうとしてふと見るとビデオデッキの電源が入っている。
紫織は真澄が何をみていたのか気になった。
巻き戻されていたテープをそのまま再生する。
マヤが主演した映画「古都」のテープだった。
それも、ただのテープではない。撮影中のスタッフの様子を映したいわゆるメイキングといわれるテープだ。
マヤがスタッフ達と楽しそうに話す様子が映っていた。
紫織は心の中の蛇が鎌首を持ち上げるのを感じた。
紫織は首を振ってその蛇を押しとどめると、急いでテープを止め電源を切った。

(見なければ良かった)

そう思いながら紫織はグラスを拾おうと身をかがめた。
真澄の顔が間近にあった。
その寝顔を見ると紫織は何もかも許せるような気がした。
真澄の柔らかそうな髪にそっと手を伸ばす。
真澄が目を開けた。
紫織と目が合う。
紫織は真澄に腕を掴まれるとあっという間にソファの上に組しかれていた。

「あ、あなた!」

紫織は真澄の体を押しのけようとした。
が、真澄の体はびくとも動かない。
真澄が耳元で囁く。

「まだ、だめ?」

真澄の甘い声。真澄はそのまま紫織の耳朶を甘噛みした。
そして首筋に唇をはわせる。
紫織は肌が粟だつのを感じた。
が、真澄は急に体を起こすと

「奥さん、夜更けに夫の元を尋ねたらそれは求めたのと同じ事ですよ」

と言って笑った。

「まあ、あなたったらからかったのね」

「でも、どうです。まだ、準備はできませんか?」

紫織は迷った。

(いっそ、抱かれてしまおうか、そうしたらこの人は私の物になるだろうか?)

だが、紫織は昼間みたマヤの演技を思い出した。

(あの演技の前に私の女としての魅力などどれほどの価値があるのだろう?
 いいえ、やはり出来ない、私には無理だわ)

「ええ、ごめんなさい。あなた」

「いいんですよ、さ、寝室まで送りましょう」

真澄は紫織の腕をとって立ち上がらせると紫織を寝室まで送った。

その夜、紫織はまんじりともしなかった。

(あれが、男の人に抱かれるっていう事?)

紫織は真澄のたくましい腕を、体の重さを、体温を、煙草とバーボンとコロンの混じりあった香りを思い出していた。
体が熱い。
右に左に紫織は寝返りをうった。いつのまにかうつ伏せになって眠りについていた。


翌日、真澄は聖に連絡を取っていた。
真澄は聖に一抱えもある段ボールを渡す。

「真澄様、これは?」

「聖、すまないが預かってくれ。
 紫織さんに見つかりそうになった。ちょっとショックを与えて誤摩化しておいたが……。
 普段、俺の部屋には入ってこないから油断した」

「マヤ様の?」

「そうだ。忘れないといけないんだろうがな」

「……真澄様……」

「今更言っても仕方ない事だ。とにかく頼む」

「真澄様、私の方でマンションをご用意致しましょう。
 いつでもご利用できるようにしておきます」

「ありがとう、そうしてくれ」

半月程すると真澄の元に聖から住所と鍵が送られて来た。
大都芸能から車で5分ほどのマンションで、地下駐車場から直接、階上へ行けるようになっている。
広さも2LDKと手頃で仕事が忙しくなった時の仮眠用としても最適だった。
居間に据えられた大型テレビとビデオデッキ。書棚には、ずらりと並べられたマヤのビデオがあった。



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